Chap.16-2

 窓の外に目を向けると、山手線はいつの間にか品川を越え、田町、浜松町を通過していた。新橋、有楽町、東京方面へと向かって行く。乗り継ぎの多い主要駅を迎える度に、乗客の数が少しずつ増え、東京駅から新幹線を利用しようとしている人々の大きな荷物も目に付くようになった。

 この辺りから山手線は進路を変え、都内を北上し始める。自分が今何処に向かって進んでいるのか……流れていく景色に違和感と錯覚を覚え、めまいに似た混乱を感じた。

「タカさん、沖縄に帰る日取りは……もう決めたんですか?」

 電車はサラリーマンの町、新橋に到着しようとしていた。高架上のホームから見える居酒屋やネットカフェの看板が、車窓の動きに合わせて次々と目に飛び込んでは消えて行く。

「ああ、来月だ。四月になる前には帰ろうと思っている。今のバイトもちょうど新しい人が入って来て交代ができそうなんだ」

 思っていたよりずっと早い時期だった。

「バイトをして思い知ったよ。やっぱり自分の店をやりたい。沖縄で店を持つことはずっと考えていたことだから」

 タカさんが改まって僕を見た。

「俺が出て行っても、あのマンションはみんなで住めるように、寺井さんには言ってある。何も心配はいらない」

「でも、ユウキは新しい部屋を見つけたみたいですよ。引っ越すのはタカさんより早いかもしれません。リリコさんだって、タカさんが居なくなったら、たぶんあの部屋を出て行くと思います」

「だが、チャビが退院したら帰る場所が必要だ」

「チャビは退院したら、しばらく、ユウキと一緒に住むそうです」

「え?」

 タカさんの上げた声に周囲の乗客の視線が集まる。少し声の大きさを落とした。タカさんもチャビのことが一番心配なのだろう。あの部屋があれば、援助ができると思ったのかもしれない。

「二人とも最近仲がいいんです。ユウキは『別にずっと一緒に住むつもりじゃないし、家賃もちゃんと折半だよ』と言ってましたけどね。チャビは部屋を借りるのにも保証人とかいろいろ難しいですから。タカさんが沖縄に帰ると聞いて、ユウキから言い出したんです。二人で住めそうな物件を探して」

 チャビのストーカー事件を通してユウキが見せた行動力や真っ直ぐな気持ち。入院中のチャビを見舞いに行ったときも、

『反省してるなら、早く良くなって……帰って来てよね』

 とそっぽを向いたままのセリフだったが、チャビのことを心配していた。そんな気持ちが伝わってからというもの、すっかりチャビはユウキに懐いたのだった。

 僕を慕ってくれた時もそうだったが、どうやらチャビは優しくされると、コロッといってしまうタイプのようで。親もなく生きてきたチャビの境遇が、人との関わり方を少し極端にさせたのかもしれない。先の事が心配なので、少しずつ近寄ってはいけない男のタイプとか、騙されないように色々教えてあげなきゃいけない。僕だってあまり人のことは言えないが。

 チャビは、何でもひとりでやって来たので、意外と生活能力が高い。実はタカさんの次に炊事洗濯が得意だったりする。あの二人なら上手くやっていけるだろう。

「僕ひとりであの部屋の家賃は払えないです。だから、タカさんがあの部屋を出て行ったら、たぶん、ルームシェアは終わりです。僕らだけで一緒に住むことはないと思います」

 車窓に目を戻すタカさん。

「今日、話したかったことって、それかい?」

 僕は返答をしなかった。

 東京駅で乗客が降りてしまうと、また車内は閑散とした雰囲気に戻った。ここから上野、西日暮里くらいまではあまり人も乗ってこない。

「前に……」

 声がかすれてしまう。

「前に、タカさんの部屋に入ったとき、僕、気付きました。壁にかかっていた日に焼けたカレンダー、あれずいぶん古いものじゃないですか?」

 停電があった夜。あの晩感じたいくつかの違和感は、亡くなった恋人マサヤさんの気配をタカさんが自作自演しているのだと僕に気付かせた。引っかかりを覚えた違和感のひとつ。それは、タカさんの部屋のカレンダーの曜日が、ズレていたことだった。その時、まだマサヤさんの存在を知らなかった僕には、何を意味しているのかわからなかったのだが。

「六年前のものだ。あの部屋はもともとマサヤが使っていて、カレンダーも当時のままにしてあった。どうしても新しいものに貼り替える気になれなくてね」

 死んでしまった人の面影を、いるはずのない気配を、タカさんはずっと探していたのだ。遺品となったカレンダーも剥がすことができないまま。

「そうやって、俺自身がマサヤをあそこに縛り付けてしまったのかもしれない。今はそう思う」

 独り言のようにつぶやく。

「マサヤさんはどんな人だったんですか?」

「それを聞いて、どうする?」

「僕が、マサヤさんに似ていると聞きました」

「リリコに言われたんだね」

「はい。源一郎さんにも聞いてみました」

「ゲンちゃんにも? ゲンちゃんは何だって?」

「目元が似ていると」

 ため息をつくタカさん。

「そうか……ゲンちゃんはそういうことハッキリ言うからな。まいったもんだ。リリコにも問い詰められたばかりだよ」

「リリコさんが?」

「ああ、一平をルームシェアに誘ったのは、マサヤに似ているからじゃないのか。そうだとしたら、あの子を自由にしてあげないとダメだと」


Chap.16-3へ続く

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