夢のような研究


 時間は一日遡る。大葉も隼士も、翌日から真人による無差別殺人が始まることを知らない。だが、二人ともその可能性があることは理解していた。


「おや、彩がいないね」


 少女を肩から下ろした大葉が辺りを見回す。彼女達にとっての住処、アジトであるこの場所には常にどちらかが待機することになっているのだが、いない。ゴミ溜めの中で何か作業でもしているのだろうか。


「何言ってんだ。ちゃんと家の中にいるだろう。寝てるみたいだぞ」


「ん、言われてみればそうだね」


 窓から聞こえてくる小さな寝息を聞き逃す隼士ではないし、大葉もそうだ。だが、一秒前の彼女は何故かそれができなかった。


「なぁ、本格的にボケてきたんじゃねぇか?」


「ふざけんじゃないよ。あたしゃ二百歳まで生きるつもりさね」


「耳タコだよ」


 大葉は少女の頭を撫でると、日向の様子を見に行った。先程の爆発のこともある。怪我をしていたら大変だと思ったのだ。


「……」


 必然的に、少女と隼士が残された。広い空間に二人だけになると、何とも湿った空気が流れ出す、わけがない。隼士は少女のことなど何とも思っていない。何か思うとすれば、どうすれば大葉の元から引き離せるか、つまり、どんな方法で殺すかと言うことだけだ。

 そんな隼士の思考をよそに、少女は感情の無い表情で突っ立っている。隼士には少女が人間性そのものを失っているように思えた。それは地人街に暮らす物乞い以下の子供が持つ性質と同じだ。元から無い憂いがこれで完全に消えた。よし殺そうとナイフを構える。が、また邪魔が入った。


「隼士くん、お帰りなさい」


「どうも」


 日向が体調が悪そうながらも家から出てきたのだ。大葉は、おそらく少女が食べられるものを探しているのだろう。


「あのね、ちょっと二人に聞いて欲しいことが……って、えぇ!?」


「どうしました?」


「いや、その子……」


「あぁ。ババァが考え無しに拾ったんですよ。邪魔になるだけだからさっさと殺そうって日向さんから説得してくれません?」


 少女の頭を小突く。彼女にとっては物騒どころじゃない会話をしているのだが、反応がなかった。意味不明なタイミングでパニックを起こすことといい、この子はどうしようもないほど壊れてしまっている。


「いや、あの……」


 日向が何か言い淀んでいるが、隼士は興味を持たない。対真人用に地雷でも仕込んでおこうかと考えていると、


「さっき私、一級真人に子供を探してるって話しかけられて……」


 思わぬ方向に話が展開した。


「……一級?」


「う、うん。君と同じ色の瞳に、ギンギラの服着てて、あと、《ぎん、よくのせん隊》とか、すめら……何とかって言ってたんだけど……」


 喋るごとに日向の唇が青くなっていく。なるほど。彼女が憔悴している理由がわかった。


「それって多分、その子のことじゃないかな……?」


「《銀翼の閃隊》に、皇……。皇さくらか」


「そ、そう! そんな感じ!」


 そんな感じ、ではなく、もっときちんとした情報を持って帰ってきて貰いたいものだったが、それも無理からぬこと。地人からすれば一級真人は歩く災害みたいなものだ。日向が生きてここにいることが不思議なくらいだったし、彼女もそれを理解しているからこうなっているのだろう。


「それ、本当かい?」


 向こうにいた大葉も話が聞こえていたらしい。蒸した芋を山盛りにした盆を抱えて出てきた。


「は、はい。本当です」


「一級か。流石に見過ごせないね。隼士、その銀翼の何たらってのには詳しいのかい」


「詳しいってほどじゃないが」


 説明を求められている。大葉はドシンと言わせながらあぐらをかいて座ると、自分の膝の上に少女をのっけた。芋を少女が食べられる大きさに素手でちぎっている。彼女の手のひらの皮には蒸したての芋も常温のようなものだ。


「《銀翼の閃隊》は天の層エリア・ヘヴン宙の層エリア・コスモを繋ぐ登りゲートの守備隊だ。一級軍学校の成績優秀者、名家出身者でないと入隊できない。謂わゆるエリート部隊だな」


「……おかしくないかい? 何だってそんな連中が降りて来てるんだい」


 よほど大規模の「掃除」でない限り、一級は地下社会と関係を持たない。汚らしい穢人に近付きたくないからだ。日常的に降りてきている連中と言えば、地人殺しを楽しむ快楽殺人狂か、極度の加虐性癖者くらいなものだ。


「考えられるのは、皇さくらの経験値稼ぎだな。あれは『次期隊長見込』だから、易しい任務で地下世界に慣れさせるつもりだ。要するに、そのガキの捜索だ」


 大葉に渡された芋をぼうっと眺めている少女を指差す。


「それだけじゃない。次期隊長見込が来てるってことは、『隊長助監』も来てる。皇が所属する三番隊の助監は【舞遊する言狐】だ。厄介さで言ったらこっちのが遥かに上だぞ」


 有能な若手の育成を任される者が「隊長助監」だ。彼らは確かな実績と経験、そして戦闘力を備えている。今回降りてきていると思われる【舞遊する言狐】は、自身のギフトを周知されていながらも勝ち続けてきた男だ。その辺の一級とは一線を画した戦闘員であると断言できる。ちなみに、【舞遊する言狐】はあどけない少年のような外見をしているが、実年齢は三十七である。


「あんたでも勝てないってことかい?」


「勝つ必要はない。殺せば良いんだから」


「それじゃあ意味がない」


 大葉は芋を頬張った。少女にこれは食べ物だと教えているのだ。にっこり笑って飲み込めば、少女もそれを真似る。


「さて。お相手のこともわかったことだし」


「あぁ」


「お嬢ちゃんの名前を教えて貰わないといけないね。お嬢ちゃん。君の名前は何て言うんだい?」


「このクソババァ! 俺の話を聞いてなかったのか!」


「聞いてたさ。だからこの子のことも知らないといけない。さぁお嬢ちゃん、あたしに教えておくれな」


 少女は芋を食んでいる。なかなか飲み込めないらしい。飲み込むと言う行為が上手くできないのだ。これは彼女が「食べ物」を長らく口にしていなかった証拠だった。


「……ク」


「んん?」


「ニイロク」


「それは……」


「あそこでは、ニイロクって呼ばれた……。だから」


 それが少女が初めて喋ったまともな日本語だった。だが、その内容は大葉が訊きたかったものとはほど遠いものだった。


「お嬢ちゃん。『あそこ』とやらに行く前や、出てきた後に別の呼び方をされなかったのかい? それとも、名前ってものがよくわからないのかね」


「……覚えてないの。私が、誰だったとか、どんな生活をしてた、とか」


「そうかい」


 研究によって忘れたのか、それとも忘れさせられたのか。

 記憶が欠落していると言う一点においてのみ、隼士と少女は同じ境遇だった。


「なら、新しい名前を考えなくちゃいけないね。いつまでもお嬢ちゃんじゃ、他人みたいだ」


「他人だろ」


「同じ食卓を囲めば家族さ」


 この場をもしそう呼んでいるのなら間違いだ。そもそも地べたに座っているのだから。


「そうだねぇ。こう言う言い方も何だけど、お嬢ちゃんはあたしの娘に似てるね」


「大葉さんの娘さんって、えっと、その……」


「あぁ。十五歳には、成れなかったんだけどね」


 その子がもし生きていたなら、四十代前半くらいの歳になるだろう。立派なおばさんだ。だが、大葉にとってはいつまでも少女のままだ。


「佑月って言うんだけどね。お嬢ちゃんの髪も月みたいに綺麗だ。どうだい、一つ、受け取ってみてはもらえないかい?」


 大葉にはこの少女が実娘の後ろ姿に見えている。大葉はその長い人生において、何百人もの子供に名前を贈ってきた。だが、自分の実娘の名前をそのまま預けたのは初めてだった。


「……」


「ま、気に入らなければ、それでも良いさ。こんな風に呼んで貰いたいってのがあるなら、それが一番良いからね」


 もうすぐ陽が落ちる。薄暗い地下社会に太陽は関係はない。だが、大葉は人は自然とともに生きるべきだと考えている。朝になったら起き、夜になったら眠る。死源燃料などを節約する意味でも、これが最も効率の良い生き方だろう。


「あんたも泊まってきなよ」


 大葉の一声が立ち上がろうとした隼士の機先を制した。


「……頼むわ」


「じゃあ、隼士くんの寝具を出さなきゃだね!」


「あ、それは自分のがあるんで」


 今度は隼士が制した。


「最近二つ目のベットを組み立てたんだ。あたしが寝たら潰れちまうから、お嬢ちゃんが使うと良い」


「ベット?」


「そうさ」


 骨組みから布まで、全てそこのゴミ溜めから漁ってきたものだ。数十年前の日本人には絶対にベットに見えない代物だが、この世界ではこれがベットだ。地人にとっては最高級の寝床である。


「……っ!」


 だが、それが少女のトリガーを引いた。


「うぅぅ!? うわぁ!? うく、はっ、はっ! はっ! はっ! はっ……!」


「っ! またかい!」


 ベットを見せられた途端、少女は激しい動揺と呼吸困難に陥った。肺が引き絞られたみたいな音をさせて胸を抑えている。


「家には入れそうもないね」


 大葉がやっと一息つけたのは、気絶した少女がようやくまともな呼吸を取り戻してからだった。
















 焚き火の残火が作り出す影の中、隼士はナイフの手入れをしていた。彼にとっては武器など全て使い捨てだが、それでも時折、こうして手に馴染ませる時間を作っている。

 隼士は黒手袋を外していた。手の平に描かれた赤い円が炎に映し出される。その直径は彼の手首から五指の付け根いっぱいまで。右手と左手、それぞれ一つずつ。

 隼士の右手の中にあったナイフが消えた。逆に、左手の中にデザートイーグルが現れる。隼士はそれを全く音をさせずに分解し、また組み立てた。


「……」


 視界の端で動く影があった。


「眠れないのか」


 大葉と日向に川の字で挟まれていた少女が転がってきたのだ。寝返りを打ち続けて移動した結果、たまたま隼士の側にたどり着いたらしい。

 少女が震えながら隼士がいる方向を見ている。最後まで脱がなかった白い検査服と充血した目がウサギを連想させる。荒い息をしながら震える姿もそっくりだった。まぁ、この星にウサギはいないのだが。


「これを見ろ」


 隼士が右の握り拳を差し出す。パチンと指を鳴らすと、親指サイズの犬のぬいぐるみが飛び出してきた。賢そうな黒犬が少女を見つめる。


「……っ!」


「次はこっち」


 白い犬が左手の上に現れる。隼士は二匹を地面に並べた。少女の瞳に強い関心と熱っぽさが宿る。そんな様子を確認した隼人は右手で二匹を隠す。すると、二匹ともがいなくなった。だが、同じ場所に左手をかざすと、


「家族になったな」


 黒犬と白犬の間に挟まれた白黒ブチの仔犬が三匹、仲良さそうに現れた。


「こいつらは成長し、いずれ大人になる」


 仔犬達が隼士の左手に隠されて消え、今度は成長した姿で右手の上に再登場した。その中の一匹が、突然ワンと鳴いた。少女は驚いて一瞬ビクついたが、


「でも、こいつはお前と一緒にいたいらしいぞ」


 再び隼士の右手から現れたそれを見て、そっと手の中に包み込んだ。


「そいつらは『犬』って生き物だ。もういなくなったが、昔は人間のパートナーだったんだ。だから、お前にやるよ」


 少女の震えが治まった。人形の柔らかな手触りに触れる度、少しずつ恐怖から解放されていく。


「明日、ババァと偵察に行ってくる。その時ここを去れ。武器と食糧、あと、逃走ルートを書いた地図を準備しておく。郊外に行き、三級真人にでも保護してもらえ」


 隼士は別に、この少女が嫌いなわけではない。ただ、少女に関わることで大葉が危険な目に遭うが嫌なだけだ。頑固な大葉はこの少女を育てるつもりでいるらしいか、少女自身の意思でいなくなったのなら、納得するだろう。おそらく、その結末が最も平和的だ。


「だから早く寝ろ。今晩だけは、お前は誰にも殺されない」


 隼士が少女の頭に触れると、少女はゆっくり目蓋を閉じた。すぅすぅと言う穏やかな寝息が聞こえてくる。その音を静かに感じながら、隼士も意識を落とした。


「……っ!?」


 唐突に視界が眩しくなって飛び起きた。目を開けていられないほどの不健康的な白い光。だが、目が慣れる時間は与えられなかった。


「〜〜〜〜っ!!!! んンンっ!!!!」


 叫び声と呼ぶには生易しすぎる音が空間をつんざく。背後から殴られたみたいな衝撃に隼士はよろめいた。


「ンン!! っん!! んぅぅっ!!!!」


 手術服の男が四人いた。彼らは小さな診察台を囲み、忙しなく手を動かしている。その手つきはまるで機械のように迷いがない。

 診察台には、子供が寝かされていた。だが、顔はよくわからない。何故なら、その子供は目を開けぬよう目蓋を縫い合わされ、音が聞こえぬよう耳を焼き塞がれ、叫び声を上げられぬよう唇に釘を打たれていたからだ。唯一機能を許された鼻腔には透明な管を通され、無理やり酸素を送られている。首も、肩も、腕も、腰も、脚も、指の一本すら動かせないように拘束され、一切の自由が奪われていた。

 そして、その全ての拘束は、子供が自分の右手に集中できるようにするためのものだった。


「薬指、爪」


 男がペンチで子供の爪を剥ぎ取る。すでに親指、人差し指、中指の次、四つ目の爪がプレートに載せられている。


「小指。爪」


 男達には子供が泣き叫ぶ声が聞こえていないらしい。淡々と、最も敏感な場所を剥ぎ取っていく。


「中指、第一関節」


「ンんんんん!!!!」


 指が鋸で切り落とされていく。ゆっくりゆっくり、あえて時間をかけて。少しずつ少しずつ、関節ごとに切り分けていく。プレートにはプラモデルのパーツのように指が並べられていった。白い世界に鮮やかな赤が飛び散っていく。男達のマスクや手術服が赤い斑点に彩られていく。


「右手終了。左手に移ります」


 握ることができなくなった右手に包帯が巻かれ、再び固定される。左腕を拘束していた診察台が動き、肩の高さまであげられた。磔の状態になった。


「開始」


 人差し指の先端から箸のような針が通されていく。暴れることすらできない子供は、針が骨を撫でていく感覚に絶叫する。針が指の根本から顔を出した時には、もう声も出せなくなっていた。

 五本の針が指を刺し貫くまでに二十分。そして、全てを指先から抜かれるまでもう二十分。


「左手終了」


小宇宙ミクロコスモの拡張率は」


「向上なし」


 左手に包帯が巻かれる。


「右手に戻る」


 右手の包帯が外された。どんな手品を使ったのか、右手は完全に元通りになっていた。


「水を飲ませろ」


 鼻に通された管から水が注入される。子供は確かに生きているが、もうピクリとも動かない。


「意識覚醒」


「意識覚醒。覚醒完了」


「小指、爪」


「っ〜〜!!!!」


 子供がまた叫びにならない叫びを上げる。先程行われた工程をもう一度繰り返されている間、ひたすら叫び続けていた。


「右手終了」


「二時間休息」


「個体ナンバー26にサプリメントを与えろ」


 鼻腔から管が抜かれた。口の釘を無理やり外され、目蓋の糸を遠慮なくちぎられる。耳の火傷はドリルで穴を開けられた。

 絶叫とともに顕になった少女の瞳は、濃い翡翠色だった。


「26。休息だ」


 少女が微かな、本当に微かな安堵を見せる。血と涙と汗と鼻水と唾液でぐちゃぐちゃになった顔は、隼士ですら直視に耐えない壮絶なものだった。


「近頃、拡張率の向上が見られない」


 少女の指を弄っていた男が呟く。


「人は慣れる。もっと強い刺激が必要だ」


「え」


 少女の拘束は解かれていない。診察台の真上にある無影灯から、二本の針が突出した。それが徐々に降りてくる。その位置は、


「眼球は脳と直結した機関だ」


 ボールペンと同じ太さの針が、抵抗できない少女の眼球に近いていく。この瞬間、器具によって少女は瞬きを禁止された。


「や、いや……!」


「回転」


 針が回転を始めた。少女の眼球に、近づいていく。近づいていく。針と眼球の距離が1ミリ以下になった。


「あ、あぁ、あぁぁ……!!」

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