首刈り
《黒鉄の英》の隊員達は実によく心得ていた。彼らは二人以上で生活している地人を見つけては捕獲、連行し、片方だけを拘束した。そして、残った方に銃を突きつけ、こう脅すのだ。
「我々が捜している『子供』を十分以内に連れて来い。出来なければこいつを焼き殺す」
連れてこれるわけがない。それをわかった上で言っているのだ。地人の手首と足首を銃剣で刺し貫き、壁に磔にする。子供が連れてこられないまま十分経つと、その者の頭から死源燃料をぶっかけ、容赦なく火を付けた。地人の悲鳴と肉の焼ける匂いがよく広がるよう、あえて風が通る場所を選んで焼いた。
当然、彼らのこの虐殺はすぐに新宿区中に知れ渡った。命の危険を感じた地人達は少しでも遠くを目指して逃げ始める。だが、《黒鉄の英》の隊員達はその逃走経路を予測し、次々と地人を捕らえ、同じように脅し、燃やし、殺していった。
子供を連れて来いと命令された地人達の殆どは、捕まった家族、恋人、友人を見捨てて逃げた。だが、一部の者は真人達の言う「子供」を必死に捜し回り、それらしいものを見つけては真人の元へ連れていった。だが、彼らが連れていくのは全て地人の子供。《黒鉄の英》は自分達が捜している「子供」が真人だと教えていなかったのだ。ただただ、時間の経過とともに焼死体が増えていく。
《黒鉄の英》の隊員達の狙いは、仲間を殺されることに耐え切れなくなった「誘拐犯」が姿を表すことだった。もちろん、彼らは心得ている。誘拐犯が強い意志を持っているなら、この程度でのこのこ出てくることはない。また、すでにこの近隣に潜伏していない可能性もある。はっきり言って、彼らもこんな安直な方法で目標の子供を保護できるなどとは考えていない。もし保護できればしめたもの、程度のものだった。
要するに、真人にとっては地人の命などゴミ以下だと言うこと。それゆえに、こうして無意味に焼き殺しても構わない。地人が連れてきた子供を手慰みに撃ち殺しても問題ない。
そして、焼死体が五十、子供の死体が二十をこえた頃、
「お願いします……!」
黒い帽子と眼鏡で顔を隠した地人が、少女を抱き抱えて現れた。
「もう、これ以上……! 仲間を、子供を、殺さないでください……!」
釣れた。思ったよりも早かったが、それならそれで良い。「無闇に戦闘をするな」など言う意味のわからないことを命じてきた一級に、本当の仕事とはこう言うものだと教えることができた。
最高の結果に《黒鉄の英》の隊長はご機嫌になった。だから、少女を返しにきた地人を捕まえなかった。明らかに下っ端以下で、拷問しても旨味は無いと言う部分もあったのだが。
それから数分後、二人の上官が帰還した。
「あぁ、皇隊長、お帰りなさい」
衝撃に唇を青くしている少女隊長に、《黒鉄の英》の隊員達は爽やかな笑顔を向けた。刺すような異臭がする中、彼らは自分達の成果を純粋に誇っていた。
大葉と隼士が拠点に戻った時には、すでに少女はいなくなっていた。
「私が、連れていきました」
日向は言い訳せず、だが、泣きながら告白した。
「そうかい」
大葉は責めなかった。この辺りの子供達と親しい日向に、先程までの状況を見過ごせと言うのは無理があった。一人の真人と、数十人の地人の命を秤にかけ、後者を選んだだけのこと。大葉が呪ったのは、自分の見込みの甘さと愚かさだった。
「正解だ。あなたは正しい」
隼士も言う。彼が思い描いた結末とはいかなかったが、むしろこっちの方が良かったかもしれない。あの少女には、新宿区内全ての地人の命がかかっていた。あの子を生かすことはつまり、他を殺すと言うことだ。頑固な大葉もそれくらいは理解しているだろう。
「あとは、このまま奴らが帰ってくれれば万事解決だな。どうやら数人を捜してたみたいたが、慣らしの任務の成果としては、上々だろう」
捜索対象を発見したことで、一級の面目も立った。これ以上彼らが汚らしい地下世界に留まることはない。一級が
「やっと落ち着けたな」
珍しく溜息をついた隼士が、ローブの内ポケットに手をやる。昨日の話の続きをするつもりだった。だが、大葉は無言で石の家に入っていく。そして、
「……冗談、だよな?」
「日向。あんたとはここでお別れだ。あたしが囮になるから、上手く逃げるんだよ。これからも、助け合う優しさを忘れないでおくれね」
「お、大葉さん?」
いっぱいになった軍用リュックを肩に下げ、日向に惜別の言葉を述べた。
「冗談だよな?」
隼士は同じことを言った。
「あたしゃ本気だよ」
何故、と言う気持ちだけが隼士を支配した。こんなにもあからさまな動揺を見せたのは、もう何年も前のことだ。日向でさえ、口を覆って固まっている。
「大葉さん、どうして……?」
「どうしたも何も、娘を連れ去られて黙ってる母親がいるものかい」
「あれは、あんたの娘じゃ……!」
「何を言ってるんだい? 佑月は、正真正銘、あたしが腹を痛めて産んだ子だ」
この時、大葉の眼球を見て隼士は衝撃を受けた。彼女の白内障が進んでいることを、今になって気が付いた。
「ババァ、お前……」
「それじゃあね」
日向では、走り出したその巨体に付いていけない。真っ白になった頭でただ見送ることしかできなかった。隼士はそんな日向を置き去りにする。
「待てこら!!」
何のためか、大葉はどんどん下層へ潜っていく。狭い通路を抜け、扉を蹴り開け、穴に飛び込む。その速度は隼士が全力を持ってやっと背中を追えるほどだった。だが、先に体力が尽きたのは大葉だった。胸を抑えて膝をつく。
「あんた、速くなったねぇ」
隼士は大葉の数メートル後ろで止まった。これ以上近付くと危険だ。
「話がある!」
「あたしにゃ、無いね」
「いいから、聞け! 聞いてくれ!」
呼吸を荒げたまま隼士が内ポケットから取り出したもの。それは受領書と契約証明書だった。支払人は大葉隼士と記載されている。
「この二枚は、
「居住?」
「そうだ。本当に極々一部だが、
裕福でない者、裏の事情がある者、また、特別なコネがある者。そう言う二級真人が土地と権利、個人登録を極秘ルートで売りに出す。札束の詰まったトランクが複数必要な金額にはなるが、その性質ゆえに地人でも購入者になれる。
大葉の元を離れた五年の期間。隼士はついに、それだけの金額を稼ぎ切った。
「上なら衣食住に困ることはない。医療だって受けられる。何年もかけて綺麗な水を作る必要もない。蛇口を捻れば出てくるんだから」
「あんた……」
「それだけじゃない。ウイルス耐性のある小麦の生産は五年前から軌道に乗ってる。最近じゃ、米の試供品もできたって話だ!」
すでにパンは三級真民にまで普及している。米はまだ時間がかかるだろうが、真人の科学力ならそう遠くない内に食卓に並ぶことになるだろう。
「別に二百歳まで贅沢三昧しろとは言わねぇよ! でも、あと少し、ほんの少しの余生を楽に暮らしたって良いじゃねぇか! ババァは沢山の仲間を救ってきただろ! 真人と闘って、開放街の連中を追い払って、新生種を狩って、ボロボロになりながら、自分のことなんか二の次、三の次で生きてきただろ!」
大葉に楽をしてもらいたい。幸せになってもらいたい。自分を育ててくれた人、愛してくれた人、たった一人のその人に、ただただ恩を返したい。
隼士の五年間は、いや、人生は、全てこの瞬間のためにあった。この想いを実現するためなら何だってやってきた。それしか方法が無かったから。何人も何人も地人と闘って、殺して、殺されかけて、そして殺して。腐った赤黒い血の池から、空に向かって手を伸ばし続けてきた。だが、その地獄のような時間も遂に報われた。願いは叶った。
「誰も文句なんか言わねぇよ。もし言う奴がいたら俺がぶっ殺してやる。いや、教えてやる。ババァがどれだけ仲間のために生きてきたか。そいつらのために身体を張ってきたか」
隼士の言葉に熱が入る。唾を飛ばして、手を強く振って、大葉に語りかける。その表情は少しずつ笑顔に近付いていた。自分の話を真剣に聞いてくれている大葉が、その意を汲んでくれると信じる。
「あぁ」
大葉は破顔した。肩の力を抜いて、少し俯いて、両の手の平を見つめる。
「良かった。あんたは、何も変わってなかったんだねぇ」
隼士は冷たく悟っているようでいて、人には優しい子供だった。この子にとっての「人」に含まれる存在が極端に少なかったのも、その誤解を加速させた。どうしてか、この子はいつも人に頼ることに迷いがあって、人の優しさに怯えていた。
ーー助け合うのが人なら、この世に人はいないんだね。
これが七歳の子供が言うことか。その時の顔は、辛い生き方をした前世を覚えているとしか思えないものだった。
「それがわかっただけでも、あたしゃ長生きした甲斐があるってもんだ」
「あぁ。だから行こう。もう話はつけてある」
この権利は、沢山の仲間を殺して手に入れたものだ。大葉が隼士の話を断るなら、きっとそれを理由にすると思っていた。だが、その部分については何も触れてこなかった。
やっと、やっと、大葉を
そう思ったのに、
「これからは、その優しさをもっと沢山の人のために使うんだよ」
大葉はそんな言葉を残して、隼士に背を向けた。
「おい」
「……」
「ババァ! どこにいく!」
「娘を取り戻しにいくんだよ」
「〜〜っ!!」
金切り声で叫んだ。
「牛が食いたいって言ってたじゃねぇか!!」
極限の懊悩に拳が震える。隼士は歯軋りしながらデザートイーグルをグリップした。銃口が大葉の後頭部に狙いをつける。
「親に銃を向けるのかい」
「上の医療なら、手足の一本やそこらなら簡単に治る」
「そりゃ、良い所だねぇ」
「これは最後のお願いだ。頼む。俺と一緒に来ると言ってくれ」
「……ハッ」
大葉は再び口角を上げた。だが、それは先程見せたものとはまるで異なる表情だった。
「舐めるんじゃないよ、小童が」
大葉の右足の踵が、地面を強かに踏み抜いた。亀裂が一気に隼士の足元にまで走る。直後、床が抜けた。奈落へ繋がる大穴が隼士を呑み込む。
「っな!?」
「まずは地形を理解しろ。教えたはずだがね」
ここは七層だ。一つ下の八層は、新生種の巣になっている。そして、その境目はとても薄い。
「六十分で戻って来れたら合格だ」
ただ床が抜けただけなら、余裕で回避できた。だが、幾重にも伸びてきた新生種の触手が、隼士の足首を掴んでいた。
「くっ……!! っそババァーー!!!!」
数十メートル落ちていく。日本人の地下進出黎明期、火葬の追いつかない死体を八層に放置したのがこの惨状の始まりだ。餌の匂いに引き寄せられた数千数百の肉食新生種によって、広大な空間が僅か数日で阿鼻叫喚の地獄と化した。捕食者が捕食者を呼ぶ食物連鎖の法則の下、新生者達は日夜狂ったように殺し合っている。
生き残っているのは、見紛うことなき怪物のみ。
深海のような暗闇で、無数の眼光が隼士を捉えた。
「退け……! 蟲供が……!!」
隼士は着地など無視して武器を構えた。
お帰りなさいと言う木下隊員は明るかった。彼はあまり気の回るタイプの男ではないので、皇の精神的ショックをわかっていない。
「これは、地人の」
「はい? あ、そうです。穢人を……大体八十匹くらい処分しましたね」
「はち、じゅう……」
気色の悪い色に変色した生焼けの焼死体。これはまだ「良い方」だった。アタッシュケースに乱雑に放り込まれている子供の死体の塊を直視する勇気は、皇には無かった。頭を撃たれた者、心臓を突き殺された者、踏み殺された者、それらの全てが、隊員達の玩具にされた末の姿だった。楽しげに談笑しながら死体を拾っている彼らの様子を見ればわかる。彼らは楽しいと思いながら子供を殺したのだ。
「あなたたち……!」
皇が初めて声を荒げた時、
「ダメだ」
群青に肩を叩かれた。
「どちらもは選べない」
「……え」
「仕方ないんだよ。自分達と同じ姿形をした知的生命体を殺すには、これくらいの割り切りが無いとやってられないんだ」
「っ!」
「君はこの部隊の隊長だ。君が守るべきは真人で、地人じゃない。まぁ、地人を選ぶと言うのなら、僕は止めないけどさ」
必ずしも、全ての真人が地人を穢人と呼び蔑んでいるわけではない。その率が最も高いのが二級真民。その次が三級、一級。地人と密接に関わる階級の者が、地人を蔑むのだ。それは、等級と言う覆しようのない差別社会に生きる者達の、最も重要な処世術だった。
「任務完了。早く戻ろう」
「……わかりました」
皇は唇を噛みながら了解した。保護カプセルに収容された目標を確認する。《黒鉄の英》が保護したのは、年端もいかない少女だった。生気を感じられない透き通るような髪に、ボロボロの肌。その子を抱えてみると、重さは20キロにも達していない。その理由を察せられる余裕は、今の皇には無かった。
「女の子か」
群青が眉を潜めて言う。その時、
「ーー!!」
少女が目を覚ました。翡翠色の瞳が泳ぎ、そして皇を見た。
「あぁ、よかった。目をさまーー」
「ぃや……」
「え?」
「や、いや、いや……! な、なんで!? え、いや、どうして!?」
「ちょ、ちょっと!」
突然少女が暴れ始めた。極度の恐怖と混乱の渦中にいるらしく、何がしたいのかわからないような動きで、とにかくひたすら暴れた。皇は必死に宥めようとしたが、無秩序に動いた足で頬を蹴られ、手を離してしまった。
「ど、どうされました?」
隊員達が集まってくる。
「動転しているみたいです! 保護して精神安定剤を打ってください!」
「了解しました」
逃げようとする少女の肩を、隊員が掴んだ。少女がギュッと目を瞑って何か言った。
「こら、落ち着きなさい! 我々は君を……」
その隊員の右手首が、ぽとりと地面に落ちた。
「……は?」
自らの腕から血が滴り落ちているのを、隊員は信じられないと言う目で見ている。それは、周りにいる仲間達も同様だった。
「っ!」
「ガッ!?」
「うぉ!!」
近くにいた三人が尻餅をついた。両脚の腱を斬られている。
動きを目で追えたのは、群青と皇だけだった。群青の指が鳴り、その着地点へと風の刃が襲い掛かる。
「ふっ!!」
全て弾かれた。登降用戦機の甲板に降り立ったのは、自身よりも巨大な鎌を手にした少女だった。だが、その姿を見て先程までの少女と同一だと認識した者はいなかった。
顔つきがまるで違っている。
「やっと、私を呼んでくれましたね……!」
少女が微笑んだ。だが、それも束の間、絶対零度の瞳で真人達を見下ろす。並みの人間なら震え上がって動けなくなるほどの圧。
少女が鎌の柄を背中に担ぐ。
「生きるに能わぬゴミ屑供が。今すぐここから失せなさい」
歴戦の隊員達すら慄かせたその言葉を前にして、群青は一人歩み出た。首を大きくゆっくり回しながら、答える。
「僕らの任務はさ、君の『保護』なんだよね」
彼にとってはこの程度、イレギュラーですらない。
「それってつまりさ、その手脚引き千切って達磨にして持って帰るって意味なんだけど」
首の回転の終着点、群青の眼光が少女を射抜いた。
「その覚悟はできてんだろうな?」
突如として跳ね上がった圧力に押され、少女の頬に一筋の汗が流れた。心臓を撫でられたような恐怖感を身体に刻み込まれる。
次の瞬間、少女の足場である登降用戦機が消えた。重さ数トンを誇る巨大質量が折紙の如き薄っぺらさで吹っ飛んだのだ。
それは、群青の本気の一割にも届かない一撃だった。
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