話が動く



 金平糖の糖分がよほど効いたのか、少女は多少の落ち着きを見せるようになった。大葉に向ける目の昏さが薄くなり、氷のようだった身体に柔らかさが戻ってきている。


「さぁ、あたしらと一緒に行こう。焚き火も毛布もある。お腹いっぱい食べて、元気になろう」


 大葉は象のような皮膚に覆われた手の平を差し出した。そこに刻まれた深いしわから伝わる温もりは、どんな炎よりも温かい。隼士はそれをちゃんと覚えているし、忘れたくない。自分にとって大切なこと、忘れたくないことはちゃんと文字にして残している。


「……おい」


「……あぁ」


 隼士が大葉に目配せし、大葉も頷きを返した。隼士はフードを被り、大葉は少女をそっと背に隠す。一秒後、耳を裂くような金属音とともに天井が落ちてきた。落ちてきたのは天井だけではない。黒い装甲服を着用した三人の真人が重々しく着地し、隼士と大葉に小銃を突きつけてきた。


「両手を上げろ。我々の質問に答えれば、生かしてやらんこともない」


 隼士はその装備から彼らの所属部隊を素早く見抜いた。掃除を主任務とする二級真人の部隊、《黒鉄の英》だ。今は小銃を構えているが、三人とも何らかのギフトを持っているのは間違いない。防弾ベストにフルフェイスのヘルメット、上半身は撤退的に守られているが、下からの攻撃には弱い。


「この辺りで我ら真民の子供を見なかったか。特殊な検査服を着ているから、見ればすぐにわかるはずだ」


「さぁて。あたしは見てないね」


「本当か? 嘘をついたら承知せんぞ」


 大葉が肩を竦める。彼女の巨体に隠されて、三人は少女に気付けていない。


「おい、貴様。フードを取れ」


 二つの銃口が隼士の心臓に向けられる。隼士は無視をする。


「聞こえないのか! 顔を見せろ!」


 一人がサバイバルナイフを取り出した。研ぎ澄まされた歴戦の凶器が煌めく。その時、


「いやぁぁぁぁ!!」


 少女が前置きもなく叫び始めた。


「っ!?」


 驚いた三人が銃口を向ける。そこにいるのは彼らのお目当て。

 最後列にいた一人が肩の通信機を使おうとした時には、手首から先が宙に飛んでいた。隼士が投擲したナイフが奥の壁に突き刺さっている。


「なっ!?」


「おまぇ!」


 連射された弾丸を首を振って躱し、相手の懐に入り込む。逆手に構えたナイフが翻り、横腹から鳩尾へと肉を斜めに抉り裂く。隼士のナイフ捌きの前では二級の装備など無いも同じ。左手に持ったデザートイーグルを腹腔に押し込み、上向きに引き金を引く。体内を駆けた弾丸は心臓を撃ち砕き、生命活動を停止させた。


「く、この!!」


 背後にいた真人が即死した仲間の死体越しに発砲するが、そこに隼士はいなかった。左の壁、天井と二度踏んで頭上に回り、両手のナイフで首を刺し貫く。左右の頸動脈から血を吹き出して、二つ目の死体が出来上がる。


「……」


 隼士が着地した時、奥の三人目は前向きに崩れ落ちていた。一人目を殺した際に死角から両膝を撃ち抜いていたのだ。回し蹴りで頭部を蹴り飛ばし、壁にバウンドして返ってきたところを背後からナイフで刺した。

 二秒もかからぬうちに三人の二級真人が沈黙した。血の池を隼士のブーツが踏む。少女はパニックから抜け出しておらず、大葉が必死に宥めているが、まるで聞こえていない。


「ほら。いい加減わかっただろ。そんなガキ捨てて、さっさと戻った方が良い」


「知ったことじゃないね。下らないこと言ってないであんたも手伝いな。ほら、お嬢ちゃん、大丈夫。大丈夫だから落ち着くんだ。何も怖いことなんかない。あんたはあたしが守る。あんたは安全だ」


 大葉の意思は梃子でも動きそうになく、先に息を上に吐いたのは隼士の方向だった。いざとなったら少女は当身で眠らせれば良いと思いながら、三つの死体に死源燃料を撒き、火をつける。見る見るうちに炎は燃え上がり、死体が炭化していく。


「それで火葬のつもりかい」


「なわけねぇ。俺の痕跡を消してるんだ。殺しで重要なのは下調べと事後処理。第三者に手の内さらすようなヘマしてたら続かねぇからな」


 死体とは情報の塊だ。情報の漏洩は自身の生存率低下に直結する。隼士は絶対に死体は残さないし、場合によっては撃った弾を全弾回収することもある。


「こいつらは斥候だ。心臓に発信器がつけられていて、死んだら作戦本部に連絡がいく。早くしないと次手、三手が出てくるぞ」


「しょうがないねぇ」


 大葉は暴れ続ける少女を肩に乗せた。この場で宥めることは諦めたらしい。


「何だって急に、こんななったんだろうねぇ」


「……」


 その呟きに、隼士は黙した。少女は銃はもちろん、血や死体にも反応していない。目の色が変わったのは、ナイフを見た瞬間だった。


 ーーメス、かな。


 風を切る速度で走り出した隼士には何となく心当たりがあった。だが、それが形になるのはもう少し先のこととなる。

















 任務二日目。出だしこそ襲撃を受けた群青達だったが、その後の捜索は順調に進んでいた。土地勘のある《黒鉄の英》の活躍で新宿区一層の隠し通路はほぼ潰すことができた。だが、不思議なことにまだ一つの手掛かりも見つけられていない。


「おっかしーなー。子供一人でそんなに遠くまで行けるはずがないんだけどー」


「え?」


「いや、こっちの話」


 ここにいる木下はもちろん、《黒鉄の英》の隊員達は目標が「攫われた」と認識している。誰も目標が自分の意思で逃走しているとは思っていない。


 ーー襲撃犯と一緒にいるっことかな。でも、瀕死の子供四人を連れて宙の層エリア・コスモから逃げられるとは思えないよね。


 だが、もしそうであるなら、現状の戦力で武力衝突はしたくないと言うのが正直な感想だった。


「あら、珍しいですね。群青さんがそんな難しいお顔をされるなんて」


「司令官にいきなり迷子になられたからね。こんな顔にもなるさ」


「そ、その節はご迷惑を」


「冗談だよ」


 登降用戦機から降りてきたのは、今作戦の司令官を任された皇さくらだ。育ちの良さが滲み出る雰囲気に、群青は何とも複雑な気分にさせられた。慣れない地下世界に体調を悪くしていたのだが、もう仕事に復帰するつもりらしい。傲岸不遜な名家出身とは思えない生真面目さだった。


「ですが、地下の過酷さを知れたのは個人的には収穫となりました。子供達はきっと辛い思いをしています。一刻も早く保護してあげないといけません」


「ま、そだねー」


 更に気分が悪くなる。世間知らずで優等生なお姫様には、この任務の「裏」が推理できていない。自分達の任務は、保護ではなく捕獲だと言うのに。

 皇さくら。二年前に一級軍学校を次席で卒業し、《銀翼の閃隊》に入隊したエリート。清楚で美しい外見と淑やかな立ち振る舞いから「お姫様」なんて周りに呼ばれて祭り上げられている。まぁ確かに、無駄に煌びやかなこの隊服を品よく着こなせるのは彼女だけだろう。


「それで、救助隊から何か報告はありましたか」


「無ーし。どうせ死体も残ってないだろうし、仕方ないよ」


 捜索初日、群青の勘を頼りに先行してもらっていた三人が死亡した。正確には、登降用戦機の通信機に赤ランプが灯った。この通信機は隊員一人一人の心臓とリンクしており、彼らに不測の事態が起こると灯る仕掛けになっている。赤色のランプは隊員の死亡を意味し、どうやら三人は六層と七層の狭間くらいの場所で死亡したらしい。


「そこそこ動ける三人だったんだけどなぁ。襲撃にあった直後だったし、油断も無かっただろうに」


 音声通信も暗号通信も届いていない。それすらできないほど速殺されたと考えるべきだろう。新生種か、それとも地人か。


「穢人だとするなら、A級クラスを想定した方が良いな。はぁあ。ますますやんになってくるなー」


 A級の存在を確認すれば問答無用で撤退しよう。群青は脳内で逃走のシミュレーションを開始する。


「一つ、よろしいでしょうか!」


 横で黙っていた木下が元気良く右手を挙げた。


「はい、何でしょう」


「穢人につけられるレートとは、一体どのようなものなのでしょうか!」


「……君、本当に軍学校出身?」


「座学は全くダメでした!」


 それにしたって酷すぎる。だが、運は良いらしい。群青も皇も無能を理由に下級真民を殺したりはしない。その証拠に、


「地人のレートは危険度でつけられるものです」


 皇がニコニコしながら解説を始めた。


「その等級はGからSまであり、Sが最も危険と言うことになりますね」


 2080年現在、真人が把握できている地人の総数は30万だと言われている。その中でも真人に対抗するだけの意思、力を持っている者は10万前後。《深都》の者は真人との決別を目的としているため、その数を差し引けば3万にも達しないだろう。真人はその殆どに危険度によるレートを設定している。


「各レート毎に基準はありますが、やはり注意すべきはB級以上になりますね。B級は二級真民の皆さんに有効な攻撃ができる者、とされていますので」


 その一つ上のA級は一級真民に対して有効な攻撃ができる者、または地人に対して影響力を持つ者と規定されている。A級として登録されている地人は140人。最近一人増えたらしいが、すぐに「掃除屋」に始末されたと言う。


「あの、それはつまりですが、S級とは上級真民の皆様に対抗できる穢人共、と言うことですか」


「そうなりますね」


「し、信じられない……」


「その気持ちは、私もわかります。上級真民の皆様は、その、何というか、この星の摂理を超越した方々ですから」


 過去の「日本人」の記録に倣うなら、三級は超人、二級は怪物。一級は、鬼神とでも評するべきか。


「でも、確かにS級はいる」


 群青が静かに言った。


「会ったら即刻逃げることをお勧めするよ。間違っても戦おうなんて思わないことだね」


 急に真面目な口調になった群青に驚き、二人は口をつぐんだ。


「ま、等級は戦闘力だけでつけられるものじゃないし、必ずしも上級と対等ってわけでもないさ。過剰に不安がらなくて良いよ」


 二人が変に緊張したので、群青はニッコリ笑って話を纏めた。


「さて、隊長さん、君も捜索に出るんでしょ。早くしないと夜になっちゃうよ」


「そ、そうでした。もう準備はできてますから、行きましょう」


「はいはい」


 指揮官たるもの常に一番前にいなくてはならない。それが皇の方針だ。自分の体調不良を理由に安全な場所に留まっているつもりはない。


「二層は《黒鉄の英》の皆さんに任せて、私達は三層に潜りましょう。木下さんは酒井隊長さんと合流してください」


「はい! かしこまりました!」


 二本のサーベルをしっかりと腰に固定し、ネクタイを締め直した皇。彼女は《銀翼の閃隊》の次期隊長見込として恥ずかしくない装いをしなくてはならない。《黒鉄の英》の隊員達とは真逆の方向に進み、予め開けておいた穴から下の階層に飛び降りた。


「はぁぁぁぁ……」


 その瞬間、皇の口から特大の溜息が漏れ出た。


「お疲れだねぇ」


 群青が労う。


「……二日目にして五人の殉職者を出してしまいました。隊長失格です」


「まぁ、初めての地下世界だし、ちょっと特殊な事例も多かったし。運が悪かったね」


 最初の襲撃はともかく、死亡した三人を先行させたのは群青の判断なので、本来の責任は彼にある。だが、素直にそれを背負ってしまうのが皇だった。


「あんまり肩肘張るのは良くないよ。その隊服とかコートとか普及装備のサーベルとか、はっきり言って邪魔でしかないじゃん」


「これは栄光ある《銀翼の閃隊》の正装です。着用するのは大事なことです」


「邪魔なのは否定しないんだね」


「……」


 皇がむっつり黙るのが可笑しくて、群青は笑ってしまった。明らかに実用向きではない隊服に対する不満は同じらしい。地下社会の構造などを確認しながら、二人はしばらく進んだ。


「あ」


「ん?」


 すると、皇がパッと顔を上げて右手を見た。そこには、


「地人の子供だね」


 瓦礫で作った屋根の下から、十歳くらいの子供が三人、皇達を眺めていた。ボロ切れを身体に巻き付けただけの汚い子供達。肋骨が浮いた胸に、真っ黒になった手足。もう数日の寿命も無さそうだった。


「ちょっと、待っててください」


 皇は群青に一言断ると、自らの胸ポケットに手をやりながら子供達の元へ駆け寄った。


「これを。三人で分け合って食べてくださいね」


 手渡したのは、ベリーを乾燥させた保存食だった。甘味としても栄養食品としても高価な食べ物で、一級真民でもなかなかお目にかかれない。子供達は皇の言葉も手の平のベリーが何かもわかっていなかったが、優しさを受けたことだけは理解できたらしい。すっかり歯の抜けた口を大きく開けて笑った。

 そんな彼らに皇も笑顔を返し、群青の元へ戻った。


「あんまり、ああ言うことしないほうが良いと思うよ。あの子らのためにならないからね」


「分かってます。でも、今日を生き抜けば、明日は良いことがあるかもしれないでしょう?」


「……そう言うことじゃないんだけど、まぁ良いや。ん?」


「どうしました?」


「ちょっと戻ろう。《黒鉄の英》達が本格的に仕事を始めたみたいだから」


「え、今までしてなかったんですか!?」


「ま、そんな感じかな」


 群青が早足で来た道を戻っていく。皇は歴戦の戦士の歩速に驚きつつも付いていく。


「何が、あったんですか!」


 かなりの距離を歩いてきてしまったから、どんなに急いでも戻るまでには一時間はかかる。


「彼ら、地人を無差別に捕まえて焼き殺し始めた」



 












 真人の本隊は、駅構内だった場所を拠点としている。そんな彼らを12メートル上の配管から偵察している者達がいた。大葉と隼士である。大葉は登降用戦機の大きさに驚いている。戦車と装甲車を合わせて造られたそれは、一機だけでも新宿を蹂躙できる火力を備えていた。そんなものが三機もある。

 

「ん。何か動きがあったようだね」


「一級二人がいない。二級どもを皆殺しにするなら今がチャンスだが?」


「馬鹿をお言い。殺せばますます追ってくる」


 仲間を殺されて憤るのは地人も真人も同じこと。程良く諦めてもらうにはそれ相応の「倒し方」がある。大葉はその調整が絶妙に上手かったし、本人も自信があった。その結末を勝ち取るために、今は真人達の動向観察に徹する。

 だが、真人達は大葉が思っているよりもずっと性急で、容赦がなかった。彼らの動きは迅速で、尚且つ無駄が無い。

 《黒鉄の英》は地人を無差別に殺すことで、少女を保護、捕獲している地人を炙り出そうとし始めたのだ。

 大葉が真人達の狙いに気付き、大急ぎで拠点に戻った時には、少女はいなくなっていた。

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