未来の仲間達
大型車のようなコンクリートブロックが崩壊を続けている。重さ数百キロに達するそれらに押し潰されてしまえば、誰であろうと絶対に生きて帰れない。大葉の身体に落ちてきたのはそう言う物体達だった。
だが、それらブロックの下敷きになった彼女は傷一つ負っていなかった。
「俺がババァを死なせるわけないだろ」
「……腕を上げたね」
「だから言ったろ。舐めるなって」
クラゲの形をした巨大生物が大葉に覆い被さり、瓦礫による圧死を防いでいた。
「何かに使えるかと思って捕まえておいたんだが、マジで使うことになるとはな」
右手を掲げた隼士が安堵の溜息をつく。彼が召喚した新生種の正式名称は「脚クラゲ」。海棲のクラゲが毒の雨によって歪に進化し、陸上に上がってきたものだ。分厚いゼラチン質の傘はそのままだが、十八本の触手が鋼鉄のような硬さになっている。こいつらはその触手で陸上を歩き、動物を刺殺して喰らう。大きいものでは高さ4メートル、幅6メートルにも達する。だが、今回はその柔らかな傘が瓦礫を弾き、大葉を守ってくれたのだ。隼士の狙い通りの結果となった。
「一応死んでるみたいだね」
「流石に生きたまま飼うのは無理だったからな。他の新生種が喰われちまう」
非常に獰猛で、生物なら何でも喰らう危険な新生種。もちろんそこには人間も含まれる。
「感謝するよ。あんたのおかげでまた命を拾った」
「やめろ気色悪い。それより早く戻ろう。上で何かあったのは確実だ」
「大砲の音じゃ無かったから、昔の地雷が発動したのかもしれないね」
もしくは、また新たに設置された物か。新宿区は真人の出入りが多く、それを狙って地人が定期的にトラップを仕掛けている。
「それじゃ、その子はあたしが抱えるよ。あんたには両手を空けてて欲しいからね」
「……連れて帰るつもりかよ」
「そりゃそうさ。そのままにしてたら死んでしまう」
「この検査服、
先程の爆発とも関係があるかもしれない。いや、あると考えて動くべきだ。あれだけ大きな爆発や崩落があっても少女は目覚めておらず、隼士の左腕の中で力無く首を垂れている。この少女自身にも何か問題があると思われた。いずれにしても、大葉が背負うメリットが一つも無い。
「別にあんたが面倒見るわけじゃ無いんだから、構わないじゃないか」
「だから言ってんだ」
また空気が悪くなる。隼士と大葉の考えは徹底的に真逆だった。だが、両者とも妙な違和感を感じていた。隼士の記憶が正しければ、かつての大葉はここまで頑固では無かったし、他者を介護のように一方的に助けたりはしなかった。生き抜く技術を教え込み、自立させることが彼女の目的だったはずだ。
大葉は大葉で、隼士がこれほどまで強硬に異を唱えてくることに驚いている。五年と言う月日は、二人を遠ざけるのに十分なものだったらしい。
「場合によってはーー」
隼士が右手にククリナイフを握ろうとしたその時、少女がパチリと目を覚ました。一般的な三級真人が持っているよりも濃厚な、美しい翡翠色の瞳だった。だが、窶れて青白くなった肌色と蜘蛛の糸のような白髪に対比するとあまりに煌々とし過ぎていて、バランスが悪い。はっきり言って気味が悪いくらいで、少なくとも隼士はそう思った。隼士と少女の目線がぶつかる。
直後、少女が甲高い悲鳴を上げて暴れ始めた。
「ぃやぁ!! いや、やめ、やめて!」
「ちょ!? お、おい!?」
「お願い、お願いします……!! お願い!」
その暴れように、流石の隼士も慌てた。だが、少女がそうしていたのはほんの一瞬だけで、すぐに顔を隠して小さくなった。小刻みに震えながら、自分はそこに居ないフリをしている。抵抗する素振りは見せず、ただ怯えていた。
「……これを見ても、あんたは連れていくなと言うのかい」
「あぁ、言うね」
ロクでもない研究の対象にされていたのはわかった。だが、少女を憐むような心情は隼士には無い。暗殺者になると心に決めた時、迷いは全てを捨てたのだから。それに、誰かの不幸に近づけば大葉までも巻き込まれることになる。
「う、うぅ……」
少女が震えている。歯の根をカチカチとさせ、ギュッと目を瞑って縮こまっている。だがそれでも、隼士の腕からは逃れようとはしない。ただひたすら動かないように、誰かに赦しを請うように。そんなことでは何からも守られはしないとわかっているはずなのに。ただずっと、ひたすらに。
「はぁ……。仕方ないね」
「……おい。本気かババァ」
「あぁ、本気だ」
隼士の瞳が大きく開く。大葉が懐から拳銃を取り出し、己のこめかみに当てたのだ。
「五秒やるよ。五、四、三……」
「……クソが!!」
隼士は少女を下ろし、両手を上げて七歩退がった。大葉はそれを確認してから、
「まだまだだねぇ」
ニヤリと笑って引き金を引いた。だが、当然のように弾は出なかった。隼士は何とも言えない顔で舌打ちする。
「いい歳してやることかよ」
「引っかかる相手にしかやらないさ」
「クソが」
相手にとって大切なもの押さえるのは交渉の基本だ。大葉の老獪さは昔のまま、いや、よりタチが悪くなっていた。
「さて。ほらおいで、お嬢ちゃん」
「ひっ……!」
「大丈夫。あたしはあんたを傷付けない。怖いことは何もしない」
大葉がしゃがんで手を広げ、少女をその豊かな胸筋の中に招く。だが、まだ少女の怯えは消えない。警戒ではない。ただ怯えている。
「ふむ。隼士、あんた甘いもの持ってないかい?」
「はぁ?」
「持ってるだろ。寄越しな」
「ケッ」
隼士が投げたのは金平糖がいくつか入ったプチタッパーだった。砂糖は超希少品で、一級真民でも殆ど口にできない。隼士もこれを手に入れるのにはかなり苦労した。人を殺すよりよっぽど難しかったくらいだ。
「ほら、食べると良い。甘くて美味しいから」
「……」
大葉とその手の中の金平糖を交互に見やる少女。大葉は満面の笑みで頷くと、少女に金平糖を一つ握らせた。
「大丈夫」
大葉の顔が慈愛のしわでくしゃくしゃになる。それを見た少女は、震える手で金平糖を口にした。コリ、と言う小さな音で咀嚼する。
「っ! 〜〜っ!」
骨のようだった少女の頬に、微かな赤みが差した。二つ目、三つ目を夢中で口に放り込む少女は、その瞳に大粒の涙を溜めていた。
群青は頭を掻きながらボヤく。少年のようなあどけない顔が苦味に歪んだ瞬間だった。
「降着早々に襲撃に遭うとか、ほんとツイてないよなぁ」
五年ぶりの地下世界は、相変わらず不快な臭いで満ちていた。汚物と血と、腐った肉の味がする風が漂い、塵と硝煙の色をした臭いのする空気が舞っている。この無駄に銀色の隊服がさっそく汚れていた。別に気にもしてないが。
「相田と九条が死亡。他六名が重軽傷を負っております」
部下の二級真民の報告に頭痛を覚える。群青達に下された任務は、
「我々の降着の情報が漏れていた、と言うことでしょうか」
「そうかもねー。穢人の目はどこに光ってるかわからないからねー」
口ではそう言いながらも、群青は心中でそんな訳あるかいと独りごちていた。今回の降着は彼自らがいくつもの偽装を講じ、絶対安全を確認してから行ったものだ。この被害はもう、完全に運が悪かったとしか言いようがない。
正直、ツキがない時には下に潜りたくないのだが。
「で、捕まえたの」
「八匹を。雄が五匹と雌が三匹」
「オッケー。処理は任せた」
「は、はぁ。あの、処理とは……?」
「えぇ? 知らないの?」
新入隊員の手際の悪さに呆れる。木下と名乗ったこの若者は群青と彼女の世話役として寄越されたのだが、どうやらあまり使えないらしい。
ーーこれ、僕じゃなかったら殺されてるよ。
二級の生き死には一級の気まぐれで決まる。それを理解していないのか。これは長生きできないなと思っていると、向こうから顔を真っ青にして走ってくる男がいた。今回の任務を共同で行う
「もぅっしわけございません! この者、先日入隊したばかりの新入りでございまして! どうか、どうかご慈悲を!」
「いやぁ、もぅ良いから良いから。ついでだし、僕が色々教えるよ」
「あぁ、ありがたき幸せ! ほら、貴様も頭を下げろ! 【舞遊する言狐】様に直々にご教授願えるのだぞ!!」
「は、はぃっ! 若輩者ですが、どうかよろしくお願いします!!」
「うんうん。あと、任務中は静かにしてね」
「はい!!」
元気良く返事した木下の頭を副隊長が本気で殴る。彼はもうこの場に居たくないらしく、早々に前線に戻りたそうにしている。
「あ、あの! 【舞遊する言狐】とは、どう言う意味なのでしょうか!」
「おまっ!? ほんっとうに申し訳ございません!」
副隊長の顔は青白いを通り越して紫色になっていた。
「【舞遊する言狐】とは群青様の二つ名だ! 掃除で特に素晴らしいご活躍をされた方に贈られる称号! これをお持ちの一級真民様は二十八名しかおられないのだぞ!」
「な、なるほど! 失礼いたしました!」
「あー、はいはい」
群青からしてみれば心底どうでも良いし、二つ名なんて付けられても恥ずかしいだけだ。
「んじゃ、お姫様がいないうちにやっちゃおっか」
群青が指を鳴らした。すると、八つの小さな竜巻が起こり、彼の目の前に同数の地人を運んできた。右から女が三人、男が五人。逃げられないように一本の鎖で脚を繋がれている。逆脚は切り落とされてどこにも無い。
この新人はともかく、《黒鉄の英》はよく訓練された部隊だ。地人達の腕や首も鉄枷でしっかり拘束している。
「さて。君らに質問。誰が答えてくれても良いからね」
全員が血走った目で群青を見上げる。止血をされていない太腿からは鮮血が流れ続けている。今すぐにでも治療をしないと失血死してしまうが、《黒鉄の英》がそんな無駄なことをするはずもない。
「君らは獅吼聯隊? それとも別の組織?」
「死ね!」
「はい、お手付き〜〜」
群青の指が鳴る。答えた男ではなく、隣にいた男の首が跳んだ。ぴったり5メートルの高さまで上がり、クルクルと横回転しながら落ちてきた。群青はそれを片手でキャッチし、残る七人に見せつける。死体の首からぴゅっと飛び出た血潮が、隣の男の頬を濡らした。
「ここで君らにビックチャンス。こちらの質問にちゃんと答えてくれれば、三人は殺さないでいてあげる」
三人、と言う群青の表現に《黒鉄の英》達は首を傾げた。群青は構わず続ける。
「じゃ、君に質問。君らはどんな組織?」
半目になった首を突きつけられ、女が暫し逡巡する。数秒後、観念したような声でどこの組織でも無いと答えた。
「オッケー。じゃ、君らの仲間に生き残りは?」
「……いない」
「他に武装勢力はいる? いるのならその構成員の数と活動指針を教えて欲しいな」
「それも、いないわ」
「ふーん」
この時、一番右にいた女が死亡したが、群青は気に留めることなくじっくり時間をかけて思考した。この女が嘘を言っている感じはしないし、彼らのような末端からこれ以上の有益な情報が引き出せることはないだろう。
「わかった。女二人と最初に質問に答えてくれた彼を
「かしこまりました!」
無機質な死刑宣告に抵抗すべく暴れ出した六人を無視して、群青は降登用戦機に戻る。降着前は五日間の捜索を予定していたが、早めに切り上げた方が良いだろう。
ーー僕らに課せられた任務は児童の捜索だけど、裏では《焔撃》までもが出撃してる。どう考えてもキナ臭いよね。
「さーて。お姫様はどこまで行ってるかな」
好きにやらせておく方が後々ゴネられないだろうと探索に行かせたが、果たしてどこまで潜っているのやら。降登用戦機のレーダーで居場所を特定すると、彼女は第四層を歩いていた。三層より下には行くなと言ったはずだが、まぁ、生真面目な彼女がそれを無視するはずもない。これはおそらく迷っている。直ちに数名の手練れを迎えに行かせるよう手配した。
「あれでなかなかお転婆だからなあ」
群青は面倒くさそうにボヤいた。
先程の大きな爆発は、周辺地区に住む地人達の生活を激しく乱した。面倒を見ている子供達が心配になった日向彩は、彼らの安否を確認するために住処を一つずつ回っていた。だが、それも一歩間に合わず、すでに四人がいなくなっていた。子供達はとても不安定だから、パニックになってしまったのだろう。
「どうしよ……。全員を集めるべきなのかな」
不測の事態への対応力。日向のそれは決して高くない。いや、地人街に暮らしている者の殆どがそうだ。皆んなが皆んな、大葉と言うグレートマザーに頼り切りになっている。
「あの、すみません」
「うわ!?」
背後からの声に日向は飛び上がった。直後せり上がってきた強烈な悪寒に支配され、彼女は本能のままゆっくりと回れ右をし、そして今度こそ硬直した。
そこに、月のように美しい少女がいたからだ。
「初めまして。私、《銀翼の閃隊》三番隊次期隊長見込、皇さくらと申します」
そう名乗った少女は被っていた隊帽を取った。銀一色の隊服を黒のネクタイとベストで引き締め、更にその上に豪奢な銀のコートを纏っている。ゴテゴテギラギラしすぎな服装も、この少女は凛と清楚に飼い慣らしている。後ろで一纏めにしていた滑らかな茶髪がふわりと広がり、優しい香りを振りまく。
「少し、お聞きしたいことがありまして」
腰に下げた二本のサーベルのうち、より細い方を引き抜いた皇さくら。一級真人特有の炎色の瞳が、地人を穏やかに見つめる。
圧倒的な上位存在を前にして、日向は死を覚悟することすらできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます