少女との出逢い


 新宿区地下第四層を隼士は歩いていた。この辺りは二度の反乱と数え切れないほど行われた「掃除」によって荒廃している。原型を残さない線路、ひび割れた壁、コンクリートブロックで破壊された通路、かつて改札機だった何か。そして、駅構内のあちこちに座っている地人達。

 一切の希望が失われた目が隼士の背中に粘っこくまとわりついている。これが地人だ。現代を生きる人間の姿だ。彼らはブルーシートを重ねただけの家モドキに身を潜め、瓦礫やプラスチックのカケラで作った隙間を寝床としていた。

 隼士はそんな彼らに関心を持つことなく線路に下りる。そこには力尽きた老人の死体や身包みを剥がされて気を失った子供が転がっていたが、死体が残っているだけマシと言うもの。よくあるいつもの平和な光景だった。すると、


「そ、そこの人! おねが……! お願い! 助けてください!」


 ここらでは珍しい、かなり良い身なりをした少女が向こうから走ってきていた。その数メートル後ろにはナイフやバットで武装した男が三人いて、その全員が血走った瞳で少女を追いかけている。


「あいつらに追われてるんです!」


 隼士は無言で銃を構え、引き金を引いた。弾丸が少女の額をぶち抜く。


「え」


「は?」


 男達が固まる。彼らには早過ぎる隼士の動きが見えていなかった。少女がおかしな声を発しながら白目を向いて倒れていく背中しかわからない。そして、


「ガ」


 さらに三発。全て正確に男達の額を破壊し、辺りに血と脳漿をぶち撒けた。

 隼士は溜息一つせず、少女の傍らに膝を立て、ポケットをまさぐった。そこには自動拳銃が二丁と、手榴弾が入っていた。男達よりよほど重装備だ。

 これは、かなり前に流行った追い剥ぎの手口だった。若い女が助けを求め、油断した標的の懐に入り、背後から銃や爆弾で脅す。もしくは殺す。かつては善人がよく引っかかったらしいが、今回に関しては選んだ相手が悪かった。

 隼士は少女が持っていた粗悪な武器を確認し、何もなかった顔で再び歩き出した。しばらく線路に沿って進む。すると、七十年前の地下鉄にはなかった横道に行き着いた。地人が掘った裏通りと呼ばれる新しい通路だ。


「……」


 辛うじて人がすれ違える広さのその通りは、真人のガス攻撃を回避するための通気口やパイプ管でごちゃごちゃしていた。蛇行しながら伸びる道を更に進んでいくと、僅かに感じの変わった壁を見つけた。近くの地面を叩き、空洞音が返ってくる場所を探る。しばらくそうしていると、扉を開閉させるレバーを近くに発見した。隠し通路だ。


「腕が落ちてるぞ、ババァ」


 こんな雑な隠し方では、いつか真人に見つかる。最悪、解放街の連中にまで押し入られるかもしれない。隼士は小さく眉を顰めながらレバーを引き、そばに開いた穴に飛び降りた。着地した先もまた通路があり、二手に分かれている。

 植物の香りのしない道を隼士は勘と経験を頼りに進んでいく。四層と六層の間には幾重、幾層にも細い通路が掘られている。それらは隠し扉によって様々な位置や箇所で繋がっており、三次元的な迷宮となっていた。よほどの技術と方向感覚が無ければ、まともに進むことは出来ない。


「……やっと」


 休むことなく数時間歩いて、とうとう目的の場所に辿り着いた。少し開けた場所に足を踏みいれ、隼士はフードを外して呟く。奥に見えるのは大岩を掘って造られた小さな人家。その周りには大量の粗大ゴミがうず高く積み上げられている。五年前と変わらない懐かしい光景に感じ入っていると、そのゴミ溜めから巨大な人影がぬっと現れた。


「五年ぶりだね、バカ息子。何しに帰って来たんだい」


 フクロウのような大きな目を細めてそう言ったのは、皺だらけの老婆だった。だが、その肉体は皺だらけの顔とはまるで釣り合わないな豪快なものだった。190センチを超える長身に、筋骨隆々の逞しい肉体。着古されてツギハギだらけになった焦げ茶色の飛行服も合わさって、野生の熊のような存在感を放っている。右頬から鼻頭を通って左頬にまで繋がる一文字の傷が生々しく、それでいて懐かしい。フンと鉤鼻を鳴らす老婆を見て、隼士は笑った。


「ようババァ。まだくたばってないようで安心したぜ」


「当然さ。あたしゃ二百歳まで生きるつもりだからね」


 大葉明と大葉隼士の再会は、実に1911日ぶりのことだった。だが、大葉の口元に笑みはなく、隼士ばかりがいつもより声のトーンが高かった。


「知ってるよ。真人の子飼いになって人を殺しくってるんだってね。どう言うつもりだい」


「つもりも何も? 金を稼ぐにはそれが一番手っ取り早かっただけだよ」


 大葉が顎を引きながら重く首を振った。眉をひそめて再び目を細める。その表情は哀しみに満ちていた。被っていた飛行帽を取り、坊主頭を露わにする。


「なんてぇ目をしてるんだい。せっかくの男前が台無しじゃないか。解放街の猿どもに襲われるくらいなら、いっそあんたに抱いて欲しいって言ってた生娘どもが可哀想になってくるよ」


「何だそれ。馬鹿じゃねぇか。おい、それより話がある」


「あたしにゃ無いね」


「良いから聞けよ。大事な話なんだ」


 大葉の頭部を見た隼士は、急いだ様子でコートの内ポケットに手をやった。だが、


「大葉さ〜ん。あれ、誰と話してるんですか〜?」


 誰かが建物の窓からひょっこり顔を出した。隼士は話の腰を折られたことに舌打ちしながら、内ポケットから手を抜く。


「ん、んん〜〜!?」


 その声の主は隼士の存在に気付くと、ぐぅっと目を凝らしてこちらを見つめてきた。黒い帽子に分厚い眼鏡のせいで男か女かもわからない。身にまとっている物も野暮ったいぶかぶかのローブで、体型も掴めない。隼士の鋭い瞳がその人物を射抜くように観察する。

 

 ーー動きは鈍い。何か格闘術を会得しているようにも見えないし、武器も持っていない。デザートイーグルで二、三発撃ち込めば殺せる。一秒もかからない。


 新しく生物に遭遇した場合、どうすれば的確に殺せるかをまず思考する。これは、五年を超える時間、ただひたすらに人殺しだけを行ってきた隼士の身体に染み込んだクセだった。


「あぁ! もしかして隼士くん!?」


 だが、二人はどうやら初対面では無かったらしい。隼士に対する警戒を完全に解いたのか、その声質が若い女性のものに変化した。


「帰って来てくれたんだ! 良かったぁ! もぅ! 何も言わずに突然いなくなるんだから。すっごく心配したんだよ!」


 家から飛び出すようにして駆け寄ってきた女性は、隼士の手を強く握ってきた。途中で外した帽子からショートカットの黒髪が溢れる。栄養不足で血色の悪い頬が薄紅色に染まっていた。

 その喜びように、自分と彼女が親しい間柄であったことを隼士は察した。だが、記憶をさらっても、彼女の名前も顔も出てこない。結果、一つの結論に達した。


「あぁ、ごめんなさい。俺、あなたのこと覚えてないです」


 人間の能力がカルマと呼ばれる理由。それは、能力を使用する際に心身に負荷がかかるから。

 隼士のカルマは、使えば使うほど自らの記憶を消失してしまうのだ。
















 隼士たち三人はゴミ溜めから離れた場所で焚き火を囲んでいた。せっかく隼士くんが帰ってきてくれたんだからと、日向彩はわざわざ昼食を用意してくれた。地人街で暮らす人間は一日一食以下の生活をしている。そのことを考えるだけで、彼女がどれほど隼士の帰還を歓迎してくれているかがわかる。並べられた食材も、大豆やジャガイモなど貴重な主食を使ったものだった。それどころか、蒸したジャガイモには塩がふりかけられていた。


「遠慮しないでどんどん食べてね」


「ありがとございます」


 腹一杯とはいかないが、隼士の腹がそこそこたまるくらいの量があった。これだけの食材を揃えようと思えば、相当な苦労をしなくてはならないのだが、彼女はそれを惜しげもなく勧めてくれた。はっきり言って、不可解に思う部分の方が大きかった。


「ババァは食わねぇのか」


「あんたに作ってくれてる物なんだから、あんたがありがたく食べれば良いんだよ」


「あぁ、そうかよ」


 この星の動植物は、毒の雨によって99%が絶滅してしまった。ウイルスを含んだ雨水を吸い上げることで植物が寄生され、それを食べる草食動物、さらには肉食動物にもウイルスが寄生。たとえ他の動植物を介さなくとも、水そのものが全て汚染されているのだから、ただ生きているだけでウイルスに侵される。この星にはもう人類の腹を満たせるだけの食糧が無い。死にものぐるいで手に入れた食糧ですら、細胞を破壊するウイルスを宿している。

 食べなければ死、食べれば緩やかな死。人類に用意された二択は実に残酷だった。


「どう? お口に合うかな?」

 

「え、あ、はい。ジャガイモは好きですよ」


 ここに米があれば言うことはないのだが、それも不可能と言うもの。米も麦もとっくの昔に絶滅している。二十代の日向彩はそれらの存在すら知らない。味どころか、どんな姿をしているのか想像すらできないだろう。

 この世界の食糧事情は過酷だ。と言うより、完全に終了している。だが、隼士も前世で満足な食生活を送っていたわけではないので、この環境に慣れるのにそこまでの苦労はなかった。ほとんど素材の味しかしない食事でも文句はない。ぱくぱく食べる隼士を見て日向は嬉しそうにしているし、大葉も最初と比べて表情を柔らかくしている。


「さぁて、あたしゃ食糧調達に行ってくるよ。新生種が七層にまで出て来てるらしいからね」


「はぁ? 待てババァ。この期に及んでまだ新生種狩りなんかやってんのか」


「随分な言い草だね。新生種を狩れば食糧になる。闘う力のない人達を守れる。良いこと尽くめじゃないか」


「違ぇよ。その歳でやることじゃねぇだろって話をしてるんだ」


「あたしゃ二百歳まで生きるつもりだよ」


「強情ババァが」


「ガキンチョが」


「ま、まぁまぁ二人とも」


 睨み合いを始めた二人を日向がなだめる。昔は本当に仲が良い母子だったのに、今は見る影もない。殴り合いの喧嘩なんて始まった暁には彼女では止めようがないので、ここは何としても穏便に収めたい。何か別の話題でもないかと頭を巡らせると、一つ良いことを思い付いた。


「あ、そうだ隼士くん! 子供たちに読み書きを教えてくれないかな!」


「はい? 読み書き?」


「そう! この辺りに住んでる子供たちを集めて毎日やってるの。終わったら一緒にご飯食べたり、遊んだりしてね」


「……」


「ほら、読み書き計算ができるどうかだけでも、生き方がまるで変わってくるでしょ? 隼士くんはお勉強も凄く得意だったじゃない。だから、ね?」


 地人街で暮らす地人には、まともなコミュニティがない。当然その中には学校も含まれる。二十歳未満の子供で読み書きができる者など全体の1%もいないだろう。


「おい、ババァ」


 隼士は前世でも学校には殆ど通っていなかったが、教科書は持っていた。だから家で一人でコツコツやっていたし、その知識があるからこの世界でも多少はマシな生活ができている。だが、今この場において、それは全くどうでも良い話だった。


「この辺りのを集めてるって、どこからだ? まさかとは思うが、そいつら全員が隠し通路の場所を知ってるわけじゃねぇよな」


「そうしなきゃここに来られないからね。夜は自分の住んでる場所から離れられない子もいるんだ」


「何考えてんだ!!」


 隼士は激昂した。地面を殴った音に日向がヒッと悲鳴を上げる。


「何のためにここに隠れ住んでると思ってる!? 真人や解放街の連中に見つからないためだろうが! それを、何の訓練もしてない子供を好きに出入りさせてる? ふざけるなよ!」


 大葉はちらりと隼士を見て、そして目を逸らした。


「……忘れちまったのかい」


「あぁ!?」


「人は、助け合うから人なんだ。自分の損得を勘定に入れるもんじゃない。それを忘れちまったら、あたしらは獣と同じになっちまう」


「っ〜〜!!」


「これだけは口を酸っぱくして言ってきたつもりだったけど、あんたにはもう通用しないんだねぇ」


 小さく呟くと、大葉は膝を叩いて立ち上がった。


「さて、行ってくるさね。彩、その子の子守は頼んだよ」


「え、は、はい」


「待て。俺も行く」


「お断りだよ。あんたに付いて来られたって何の役にも立ちゃしないんだから」


「うるせぇよ」


 すでにデザートイーグルとククリナイフを手にしている隼士。凶器が指の中で踊るように回転する。ゴーグルとヘッドホンの位置を調整してしまえば、もういつでも命を狩れる状態だった。


「……仕方ないね。はぐれるんじゃないよ」


「舐めるな」


 その会話を最後に、二人は日向の視界から消えた。実際は消えたのではなく走り出しただけなのだが、彼女にはそう見えた。

 日向は自分が一人きりになったことを確認すると、


「……そっかぁ。覚えててくれなかったかぁ」


 静かに涙した。日向の気持ちに隼士は気付いていないし、気付くつもりもない。そもそも覚えてすらいなかった。

 いつか再会できると信じて待っていた想い人にとって、自分は何の価値も無い存在だった。だが、


「ぃよし! 切り替え切り替え!」


 俯いていた顔を上げ、景気良く頬を叩く。哀しくて堪らなくとも、再会できたことは夢ではない。ならば、今はその喜びを力に変えるしかない。またもう一度、関係を始めれば良いのだ。彼が決して忘れないような、強く温かい未来を。日向彩は、傷ついてはいても、諦めてはいなかった。


「早く帰ってきてくれるといいな!」


 日向が新たな決意を胸にしたのと同時刻、当の隼人は、苛立たしい気持ちを抱えながら大葉の背中を追いかけていた。数日後に七十になろうかと言う老体とは思えない身のこなしには、はっきり言って驚嘆するしかない。そのことがとても苛立たしい。


「かなり地形も変わってるな」


「あんたが居なくなってからも何度か『掃除』があったからね」


 四層の中でも特に大きい道だった第四百七十六回廊は瓦礫で潰され、別の場所には地上から四層まで続く大穴が空いていた。焼けた壁、おかしな方向に曲がった支柱、凹んだ道。破壊された上水道からは毒の水が勢いよく流れ落ちている。流石にここまで荒廃すると地人も住んでいないようで、どこにも電灯などの光源がない。

 目指す七層まであと少しとなった。ここからはいきなり新生種と遭遇する可能性もある。隼士がナイフを逆手に持ち替えたその時、


「っ!」


「おい。どうしたババァ」


 大葉が突然足を止めた。彼女は隼士の問いを無視してスンスンと匂いを探る。しばらくすると、今度は道の端に積み重なった瓦礫の山を掘り始めた。


「だから何してるんだよ」


「黙って見てな」


 数分掘った後、とうとう一番大きな瓦礫を退かした。するとそこには、一人の少女がうつ伏せで倒れていた。


「真人だね。どうしてこんな所に」


 泥で汚れた検査服に、首、両手足を拘束する鉄枷と鎖。異常なまでに白い頭髪は、まるで天使の亡骸のようだった。大葉の手の平に乗ってしまいそうなほどの小柄で華奢な身体は、明らかに栄養不足と成長障害を患っている。


「……ロクな扱いをされてなかったのは確かだね」


 鎮痛な表情で大葉がそう言った瞬間、足場が大きく揺らいだ。上層で巨大な爆発があったらしい。二人の身体に天井が雪崩れ落ちてくる。


「逃げな」


 大葉は隼士に少女を投げた。夥しい瓦礫が彼女の身体に降りかかり、そして見えなくなった。

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