勝利


 今作戦における最大の懸念は、真人との遭遇だった。班の戦闘力に不安がある以上、格上の真人達と白兵戦はしたくない。そしてもう一つ、どうしても引き当てたくない外れクジがあった。「裏切り者」に発見されることである。


「……あぇ?」


 右手にリバースグリップで握られたナイフは、シノクラの左側から突き立てられていた。だが、凶刃は頸動脈を僅かに外れている。


「ぅ、のっ……!」


 ホルスターから拳銃を抜こうとするシノクラ。これがいけなかった。この「足掻き」が、副班長とカザハヤの初動を大きく遅らせた。


 ーーまだ生きている!


 仲間を盾にされ、副班長は拳銃の引き金が引けない。おそらく襲撃者はその心理まで計算していた。シノクラの軍パンにぬるりと左手をやりつつ、彼女の背中を蹴り飛ばして副班長にぶつけてきた。

 咄嗟にシノクラを抱きとめようとした刹那、気付いた副班長が極大の無念で叫んだ。


「グレネード!」


 彼女の軍パンに、フラググレネードが差し込まれていた。


「っぬあぁぁ!!」


 爆風と共に撒き散らされた弾殻がシノクラの体を爆散させ、副班長の体表面をズタズタに引き裂いた。

 特殊フラググレネード〈暁〉。炸薬や弾殻を絶妙に調整されたそれは、周囲2メートル以内の人間だけを確実に殺害する。人間一人が盾になれば背後の者は一切負傷しないと言う特性を持ち、白兵戦において絶大な効果を発揮することで知られている。

 無傷の襲撃者が左手のデザートイーグル〈雷〉を構える。強力な50AE弾三発がカザハヤの心臓をぶち抜く、直前に班長がカザハヤを庇った。班長の背中に50AE弾が命中したが、彼は痛がる様子もなくカザハヤを突き飛ばす。


「カザハヤ! 撤退!」


 叫ぶ。作戦は完全に失敗だった。副班長、シノクラ衛生兵は死亡。先行していた三人はすでにだけになっている・・・・・・・・


「あ、う、うぉあぁ!!」


 ここでカザハヤが激昂。実戦経験の乏しさゆえに停止していた思考が戻り、そして混乱に陥った。


「撤退しろ!!」


 先行していた三人も決して弱兵ではなかった。その彼らが何の抵抗もできずに殺されている。それは闘争ではなく、一方的な暗殺だった。

 班長の片目が襲撃者を捉える。フード付きの紅いローブ。頭のゴーグルに首元のヘッドホン。異常なほどにポケットが取り付けられた黒服。そして、ナイフと拳銃を同時に使用する独特な戦法。間違いない。こいつは例の「裏切り者」だ。


「ぬぅぅぅううん!!」


 襲い来る弾丸を班長の肉体が塞ぐ。常人なら手脚がもがれてもおかしくない威力の弾丸に、彼は生身で立ち向かっていた。

 これが班長の持つ能力。真人のギフトに対なす、人間に刻み込まれたカルマ。命を削るウイルスに対抗するために、人類が独自の進化を遂げた成果。

 能力を発動した瞬間、班長の皮膚は鋼の鎧に変化した。本気を出せば対戦車ライフルすらも塞ぎ切る最硬の肉体。二十を越える戦場で殿を務めてきた実績は伊達ではない。次世代を担う若者の未来を守るため、全身全霊をかけて時間を稼ぐ。


「っ!?」


 襲撃者が突進してくる。銃ではダメージを与えられないと判断したのだろう。ナイフを順手に持ち替え……たと思うと、再び逆手に戻した。容赦なく眼球を狙った刺突。班長は左手を前に出し、襲撃者の首元を内から掴みにいく。その瞬間、敵が視界から消えた。沈み込んだ位置から振われたナイフの狙いは膝。それは腿を上げることでなんとか防いだ。だが、襲撃者の攻撃は止まらない。手首、脇、肘、首。黒い閃光となったナイフが怒濤の勢いで関節を抉りにくる。


「ぬぅ、ぐぅ!」


 デザートイーグルの銃口が爆ぜる。回転、銃撃。さらに回転し、打撃。再び回転。至近距離からの発砲と銃そのものを鈍器にした打撃。それらをナイフの刺突に織り交ぜ、踊り子のような流麗さで右に左に浴びせてくる。それだけではない。ナイフのグリップに空いた穴に指を通し、くるくると回転させて順手逆手を入れ替える。目で追うのは不可能な速度で刃が翻る。闘い慣れた猛者揃いの獅吼聯隊にも、これほどのナイフ使いはいない。

 執拗に関節を狙いながら、時折銃による視覚誘導や打撃に混じって眼を潰しにくる。これだけでこの襲撃者が班長のカルマについて調べ尽くしていることがわかる。


 ーーしまっ……!


 猛攻に耐え切れず、思わず上げてしまった両手。そこに50AE弾を大量に撃ち込まれた。硝煙で視界が曇る。

 この時、襲撃者が銃を右手に、ナイフを左手に持ち替えていることに気付いた。眼を狙った銃撃が、今度は逆側から来る。そう判断した班長が左手を掲げた。が、


「ぐがっ!?」


 弾がナイフ側から飛んできた。耳朶と右頬、首筋に被弾する。超硬質の皮膚が弾くので全く問題はないのだが、頭が混乱した。そこに、トン、と何かが置かれる音。

 班長と襲撃者の間の地面に、閃光手榴弾があった。次の瞬間、片眼が機能不全になる闇のような光が爆ぜた。敵の追撃から逃れるため、班長は一も二もなくバックステップを踏む。感覚で7メートル以上は離れ、そこから左に飛び込むようにして低姿勢で構える。


 だが、その動き全てが読まれていた。


 見えない場所から脚を絡められ、後ろ手をつく形で転倒させられた。そして、


「んぐぉ!?」


 口腔内に銃を捻じ込まれた。三本のナイフが班長の軍パンや上着を地面に縫い止めている。右耳にも銃口が触れた。

 それぞれ二回ずつ、合計四回。小気味良く引き金が引かれた。口腔、耳孔を突き抜けた軟弾が脳内に侵入。内から頭蓋骨に当たり、ピンボールのように跳ね回って脳をぐちゃぐちゃにした。放たれた四発全てが角度を変えて撃ち込まれているという徹底ぶり。

 目、耳、鼻、口。頭部の穴という穴から血液を溢れさせ、班長は即死した。三人が人間から死体に変わるまでの時間、十一秒。


「……」


 ゴーグルを外した襲撃者は、再びナイフとデザートイーグルを構えて駆け出す。が、すぐに止まった。獲物が暗路の向こうから戻ってきたからだ。


「班長……?」


 ふらふら震える手を伸ばすのは、カザハヤ新入隊員。


「副班長?」


 尊敬すべき班長。自分を可愛がってくれた副班長。


「シノ……クラさん?」


 そして、初恋の女性ひと。その全てが無惨な過去形となってそこここに転がっていた。


「すぅぅ。はぁ……」


 深呼吸で心を落ち着けたカザハヤが背中の大剣に手をやったその時には、襲撃者に背後をとられていた。


「死んでも!! 倒す!!!!」


 振り向きざまに薙ぎ払った大剣が壁をぶち壊し、天井の一部を崩落させた。だが、肝心の襲撃者は瓦礫のはるか向こうに着地している。

 カザハヤの左手の中、数発の50AE弾が音もなく溶けていた。
















 カザハヤは、自身の能力を上手く制御できない。だからよく火傷を負う。訓練で負う怪我の殆どが能力発動の失敗によるものだった。


 ーーあーもう! ったくよぉ! 何でそう学習しねーかなぁお前は! ほら! 手ェ出す服脱ぐ。とっとと見せろ。


 そして、その度にシノクラが文句を言いながら治療してくれた。こうして彼女に会えるならこれはこれで良いかな、などと甘っちょろいことを考えていた過去はある。だが、それも数日前までのこと。人間を「穢人」と蔑み、まるでゴミ屑を千切るかのように命を奪いに来る真人と対峙して、意識が変わった。

 この力を使い熟せるかどうかで、仲間の生き死にが定まる。


「来い!! 〈灰燼に帰す烈熱イフリート・ネロ〉!!」


 構える隙など許してもらえない。そんなことは初めからわかっているから、こちらも突進することで互角に持ち込んだ。


「っ〜〜!!」


 ナイフが雷速で迫る。その動き、速度はもはや人外の域に達していると思われた。そんなものに人間が対抗するなど不可能。コンマ一秒もあれば殺される。


 だが、一秒以上経っても、カザハヤの命は確かに繋がっていた。


 襲撃者のナイフが端で引っ掛けるようにカザハヤの頸動脈を切り裂こうとしてくる。その切先を右手で鷲掴みにした瞬間、じゅ、と言う音で鋼の刃は形を失った。そのまま手首まで溶かしてやろうと思ったが、相手が反転。まさかりのような威力の回し蹴りが飛んでくる。大剣を盾に辛うじて防いだが、数メートルほど後ろまで弾き飛ばされた。息つく暇なく銃弾が襲いくる。まとめて大剣で薙ぎ払う。


「ふぅ……のっ!」


 突如として左側面から現れた敵。もう一度大剣で受け、押し返す。

 二人の間合いが大きく空き、やっと襲撃者が止まった。フードに隠れた瞳が何か探ぐるような気配を発している。


「こいつは10キロある。そんじゃそこらの武器なんか効かない」


 カザハヤの相棒。刀身から柄まで、全てをタングステンで造られた特殊大剣だ。そして、


「そこに僕の〈灰燼に帰す烈熱イフリート・ネロ〉を合わせれば、あらゆる物を凌駕する最強の武器になる」


 〈灰燼に帰す烈熱イフリート・ネロ〉。自らの両掌の温度を超超高温に高めることができるカザハヤのカルマ。その熱量は、ナイフ程度の金属なら触れるだけで溶かしてしまうほどの高温を有する。〈灰燼に帰す烈熱イフリート・ネロ〉の効果を帯びたタングステンの大剣は、2000°近い高温を宿す恐るべき武器へと昇華されるのだ。


「タングステンの融点は3400°以上。僕の熱にも極限まで耐えられる」


 重さと熱でどんな武器も生物も叩き壊す。人間なら近づくだけで呼吸ができなくなる。この灼熱の盾がカザハヤをナイフから守ってくれていた。カルマと武器を合わせた攻防一体の戦闘法が、カザハヤの真骨頂だった。


「今度はこっちから行くぞ!!」


 得意の接近戦に持ち込む。近づくことで遠距離からの攻撃を無効化し、高熱と大質量で圧倒する。

 総重量10キロの大剣は、小柄なカザハヤでは持ち上げるだけで筋肉が爆発しそうになる。〈灰燼に帰す烈熱イフリート・ネロ〉も、昨日までの彼ならいきなり実戦使用できる温度まで上昇させることはできなかった。

 やり場の無い怒りと絶望が、カザハヤのポテンシャルを極限まで跳ね上げたのだ。


 ーー見えてきた!


 襲撃者の脚使いが、体重移動が、指先の回転が、カザハヤの脳に情報として入ってくる。大剣が駆ける。空間が軋む。カザハヤの動きが人外の先を征く。

 右から銃撃。頭を下げて回避。そのまま下から剣を振り上げる。陽炎を纏った剣閃が襲撃者のローブを斬り裂く。ナイフの先ではない、襲撃者の手首を掴むまで、もう一息。その時、


「……引っ掛からないぞ!」


 突然ナイフが拳銃へと変化した。0.01秒前までナイフだったのに。瞬きよりも短い間に持ち替えのか? そんな訳ない。


「それが能力だろ!!」


 見たくなかったが、見えてしまった。班長が殺される直前、こいつは、左手に持ったナイフから銃弾を放っていた。おそらく、持っている物を左右取り替えて見せるのがこいつの能力。タネがわかれば、どうとでもなる!


 この瞬間、長期戦になることの不利を悟ったのか、襲撃者が身体を地面スレスレにまで落とし、真下から必殺の攻撃を仕掛けてきた。

 これは、絶好の位置。ブラフはすでに張っている。


焔竜の息吹バースト!!」


 〈灰燼に帰す烈熱イフリート・ネロ〉最大解放。


「っ!?」


 襲撃者が息を呑んだ。カザハヤの大剣が目も眩む赤の大波濤となってその身に襲い掛かってきたのだ。重さ10キロ分の液体金属は絶対に回避不能な範囲にまで拡散し、襲撃者の頭から覆い被さる。

 融点3400°を越える金属すら一瞬で溶かし切ってしまうほどの超高熱。大剣の大質量を全て投じた極大のカウンター。


「灰も残さず焚け死ね!!」


 音だけで火傷しそうなほどの轟音。カザハヤの目前に広がるのは、正に地獄の業火。そこに生命など存在し得ない。襲撃者の姿は骨も肉も、影すら無くなっていた。

 この奥の手は、僅かでも角度とタイミングを誤ればカザハヤ自身も巻き込まれて死ぬ。また、即座にその場を離れなければ皮膚、気管支が使い物にならなくなる。それだけ圧倒的と言える殺傷力があるのだ。


「あぁ……」


 カザハヤは膝を突く。襲撃者を殺し、仲間の仇を討ったと言うのに、憎悪の焔が消えない。それどころか、腹の底が言い様のないほどの気持ち悪さに犯されて吐きそうになる。


「皆んな……っ!!」


 泥のような涙が頬を伝う。顔を天に向けて咽び泣いた。これからのことを何も考えられない。


「あぁ、くそ! くそ! くそぉ……!」


 熱を失った両手で涙を拭う。拭おうとして、拭う手が無かった。


「え……か、はっ!?」


 突然、ナイフの切先が喉から生えてきた。さらに別の刃が喉笛を掻き切る。カザハヤは受け身も取れずに顔面から地面に落ちた。


「ぷぅ」


 カザハヤの背後で独特な溜め息をついたのは、紅いフードを外した襲撃者だった。その身には傷一つない。


「お前のその技は、確かに強力だ」


 少しクセっ毛の黒髪。端正な優しい顔立ち。襲撃者はカザハヤとそう歳の変わらない十六、七歳くらいの少年だった。

 だが、その炎色の瞳は洞のように昏い。


「俺がこれまで見てきたカウンター技の中でも、殺傷力、攻撃範囲ともにトップクラスだ。一級真人ですら初見で回避できる者はいないだろう。だがそれは、剣がいきなり液状化することはない、融点3400°のタングステンが溶けるはずがない、そう言う先入観を相手が持っていることで初めて成立するものだ」


 カザハヤは大量の血を流しながら襲撃者の語りを聞いていた。呼吸ができない。手が動かない。


「先日の一級真人を殺し損ねた時点で、お前は俺に殺されていた」


 カザハヤが撃退した二人の一級真人。片方は死亡したが、もう片方はまだ生きている。二度と普通の生活に戻ることはできないが、闘った相手の特徴を言葉にすることくらいはできる。


「元同じ名前のよしみだ。餞別代わりに教えてやる。死合ったのなら必ず殺せ。情報を持ち帰らせることは死を意味する」


 だが、この言葉がカザハヤにとって意味を持つことはない。すでに息をしていないからだ。すると、


「く、はは」


 弱々しい、あまりに弱々しい嘲笑が遠くから聞こえてきた。


「な、にが、必ずこ、ろせ、だ……。俺はま……だ生きてい、るぞ」


 副班長だった。皮膚と呼べるような部分がなくなった状態で唇だけを動かしている。


「ふん。黙っていればあと十五秒は生きられたものを。呻き声の一つでも漏らしてくれれば、他の奴らの動きが鈍くなると思っただけだ」


 デザートイーグル〈雷〉を構える。襲撃者の顔を確認した副班長が歯軋りした。


「人間のく、ろかみ…….。いっ、級真じ、ん特有、の瞳の、色。や、は、り……ファルコ、か」


 ファルコ。高レートの人間を狩り、賞金を稼ぐ裏切り者。


「裏切り、ものめ……。貴様には、人と、しての誇り、は無、いの……」


 渇いた発砲音が鳴り響き、副班長は喋らなくなった。


「んなもん忘れたよ」


 三人の先行部隊、班長、副班長、シノクラ衛生兵。そして、カザハヤ新入隊員。獅吼聯隊特殊工作部隊第三班はここに壊滅した。


「D級一人。C級三人。B級二人。そして、A級が一人」


 その者、かつての名は緋山有。捨てた名前は風早飛鷹。今はファルコ。裏切り者ファルコ。百を越える地人を狩り、とうとう目標額を稼ぎ切った。


「これで空の層エリア・スカイに住める……!」


 大葉隼士はそう呟いた。


 この日この時この瞬間、宙の層エリア・コスモの研究室から一人の少女が逃げ出した。

 奪い続けてきた少年と、奪われ続けてきた少女が出逢うまであと二日。

 

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