36 迷宮


 金……金が欲しい。


 ラヴィニアに通信で金を借りれないか頼んでみた。即座に通信を切られた。

 先程は「今度は私が助ける番です」とか何とか言っていたが、どうやら金銭的には助けてくれないようだ。まあ仕方ない。


 ナタリアやナイア辺りなら頼んだら貸してはくれそうだが、後が怖い。奴らに借りを作ったら何を要求されるか分かったものじゃない。


 仕方ないので、その日の夜、俺はリリーに対して提案した。


「リリー。明日は学園が休みだから、迷宮ダンジョンに行くぞ」

「は、なんでよ?」


 唐突な俺の発言に、リリーは首を傾げる。

 しまった。少し急きすぎていたか。


「『牢獄世界コキュートス』は危険な場所だ。前にも言ったが、俺でもお前を守りきれるとは断言できない」

「そうね、危険な場所だっていうのは分かっているわ」


 でもそれは覚悟の上よ、とリリー。

 その決意は立派だが、護衛である俺としては間違ってもリリーを死なせるわけにはいかないのだ。


「だからこそ、迷宮ダンジョンだ。お前がある程度でも自衛できるようになれば、俺としても護衛が楽になる」


 学年主席というだけあって、リリーの魔術師としての才能は傑出している。

 高い魔力量に加え、火と風の二属性に強い適性を持つ彼女の才覚は、現役の宮廷魔術師や『暗躍星座ゾディアック』の連中と比べても、才能だけ見れば遜色ない。


 唯一リリー・エントルージュに足りないのは、実戦での経験だ。

 まあ、仮にも王女であるために仕方のない話なのだが、あの場所に行くというのならばそうも言っていられない。


「そういうわけで、迷宮ダンジョンだ。敵が魔獣セリオンしかいないから対人戦の感覚は養えないが、魔獣セリオンと戦ったという経験は『牢獄世界コキュートス』でも必ず役立つ」

「ちょっと待って!」

「なんだ?」

「理屈は分かるわ。私自身、実際に魔術を使って戦った経験なんて数えるくらいしかないから。けど、魔獣セリオンと戦った経験って……『牢獄世界コキュートス』には魔獣セリオンがいるの?」

「知らなかったのか? 数え切れないほどいるぞ」


 『牢獄世界コキュートス』の内部には、結界による長年の断絶の結果か知らないが、独自の進化を遂げた凶悪な魔獣セリオンが跋扈している。

 

 『牢獄世界コキュートス』内ではいくつかの都市が形成されているが、地上から追放された者たちはそもそも都市まで辿り着けずに死んでしまう可能性が高い。

 辿り着くまでに荒野の魔獣セリオンの餌になってしまうからだ。


「都市の中も中で先日襲撃してきた奴らみたいな危険な人間がわんさかいるが、それでも『牢獄世界コキュートス』の奴らがわざわざ都市に集まるのはそれなりの理由がある」

「それが、魔獣セリオンってこと?」

「ああ」


 俺は頷いた。

 地上に出てから、空間転移を使っていくつか迷宮ダンジョンを回ってみたが、どこも敵の強さは『牢獄世界コキュートス』よりも格下だった。

 

 そういうレベルの怪物が『牢獄世界コキュートス』の荒野にはひしめいている。


「だから、少しでも対魔獣セリオン戦に慣れるために、すぐにでも迷宮ダンジョンに行って戦闘経験を積むべきだ。安心しろ、俺とナタリアで援護はする」

「……分かったわ。なら明日行ってみましょうか」

「ああ、場所の選定は任せろ」


 迷宮ダンジョン……それは、冒険者と呼ばれる人々がこぞって探索をする一種の異界だ。

 内部には大抵、魔獣セリオンが大量に棲んでいたり、危険な罠が仕掛けられているが――それだけに、踏破し、内部に眠る宝物を手に入れれば富を得ることができる。


 俺は現在進行形で護衛任務の最中だから、一人で勝手に迷宮探索に乗り出すわけにはいかないが……リリーの訓練という大義名分があれば、ラヴィニアとて文句は言わないだろう。


「くくっ」

「な、なによ……」

「いいや、なんでもない」


 思わず笑みを零した俺を、リリーは不気味なものを見るような目で眺めた。


 金だ……金さえあれば、全てが解決する。


 あの店で売っていた魔道具アーティファクトを買うこともできる。

 それに、運がよければ迷宮ダンジョン内で未だ見たことがないような魔道具アーティファクトが出土する可能性もゼロではない。

 そうなればそれを売って金を手に入れることもできるし、良さそうなものならばそのままコレクションするのも良いだろう。

 

 実際、リリーの実戦経験に関しては必要だとは思っていたため、これは……一石二鳥だ。



 □



「話したらアイリスお姉さまも行きたいって言ってたから連れてきたわ」

「その、迷惑でなければ……よろしくお願いします」


 申し訳なさそうに頭を下げるアイリスを見て、俺は嘆息した。


「おい、俺は空間転移でお前を迷宮ダンジョンに連れて行くつもりだったんだが……?」

「別にそっちはバレても問題ないでしょ? むしろ、アーク・オルブライトは魔術を使えなかったんだから」

「くっ……」


 リリーだけならばナタリア一人でも十分守りきれるだろうが、アイリスも加えた二人を守るとなると、万が一の可能性もある。一人ならば抱えて逃げられるが、二人だと両手が塞がってしまうからだ。


 加えて予定では、かなり危険な魔獣セリオンの出る迷宮ダンジョンへ行くつもりだった。


 危険な迷宮ダンジョンであるほど手付かずの宝物が残っている可能性が高いため……じゃなかった。

 そっちの方がリリーの訓練になるためである。いや本当に。

 

 しかし残念なことに、リリーの訓練をナタリアに押し付けて迷宮ダンジョンで売れそうなものを探そうとしていた俺の目論見は、どうやらリリーにはバレていたようだった。


 リリーが満面の笑みを浮かべる。


「よろしくお願いするわね、ノア?」

「ちっ、仕方ない……」


 訓練の最中に運良く宝物が見つかるのを祈るしかないか。

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