15 這い寄る影


 ようやく授業が終わった。

 荷物を纏めて鞄に詰め込み、立ち上がる。


 リリーの席のほうを見ると、すでにその姿は消えている。

 教室の入り口に視線を移す。リリーはちょうど教室を出ようとしているところだった。

 目線が合い、早く付いて来いと促される。俺は立ち上がると、リリーの後を追って教室を出た。


「それで、朝の馬鹿騒ぎは一体なんだったのかしら?」

「あれに関しては俺に落ち度はないだろ。あのニーナって女が勝手に騒いでただけだ」


 廊下を歩いていたリリーに追い着き、歩幅を合わせる。 


「そういえばこれも聞こうと思ってたんだけど……ナタリアって教師。あの人、昨日から私の屋敷で働き始めたメイドなんだけれど、あの人については?」

「ああ……あいつは俺ら関係だ」


 俺も学園に赴任するだなんて話は聞いていなかったが。


 二人で廊下を歩き、玄関口を過ぎ、中庭に辿り着く。

 途中、俺とリリーが連れ立って歩いているのを目撃した生徒たちが好き勝手な噂をしていたが、リリーには特に気にした様子はない。


「そう、あなたに引き続いて二人目ってことね。全く、どう出し抜くか考えなきゃいけないのが面倒だわ」

「護衛としては出し抜かないでくれとしか言えないんだがなぁ」


 尤も、リリーに出し抜かれるつもりはないが。


「ふん、それは無理な相談ね。あなたが私を『牢獄世界コキュートス』に連れてってくれるって言うなら考えないでもないけど。――ま、無理でしょうけど」

「そうだな」


 頷いた。

 実際に連れて行くかという点はさておき、リリーを『牢獄世界コキュートス』に連れて行く手段についても考えてみたが、やはりそれも難しいという結論に達する。


 俺が落ちる際に使った亀裂は既に修復されているし、俺が抜け出す際に使用したのは、王国が厳重に管理している出入り口だ。

 王女であるリリーを連れて『牢獄世界コキュートス』に行きたいから使わせてくれといったところで、はいわかりましたとなるわけがない。俺がラヴィニアにぶっ殺されて終わるのが関の山である。


 そうなると一番現実的な手段としては、恐らくリリーに向けられた刺客がこちら側の世界に来るのに使用したであろう、『深層アンテノラ』が保有している出入り口を発見することだろう。


 ――どこにあるのかは知らないが、リリーに『深層アンテノラ』が刺客を向けてきているということは、ほぼ間違いなく、王国側には発見されていない出入り口を使っているということで間違いない。


 王国側も協力してリリーに刺客を放っていたなんて場合はその限りではないが、それならばわざわざ俺がこうして護衛として派遣される理由に説明が付かなくなる。

 あるいは、王国ではなく別の国が管理する亀裂を通ってこちら側に来たのかもしれないが、その場合は流石にお手上げである。


 先日に俺が捕まえた刺客の尋問をラヴィニアが行っているため、それに関しては何かしらの情報はもうじき手に入るだろう。

 動くにしても動かないにしても、それからだ。


「――『圧空サプレッション』」

「何か言ったかしら?」

「いいや」


 考え事をしながらも、背後からリリーの方へ迫ってきていた刺客を『圧空サプレッション』で押し潰す。

 背後で突然人が膝から崩れ落ちたためか、通行人がざわめいている。だがその距離はここからかなり離れているため、リリーが気付いた様子はない。


 しかし――こいつは雑魚だな。

 少なくとも『深層アンテノラ』の構成員ではなく、そいつらが地上で雇った人員だろう。


 『圧空サプレッション』は発動する前に若干の空間の歪みが生じる。

 そのため、ある程度の戦闘能力を持つ者ならば、それを予兆と考えて回避することは可能だ。その程度のこともできないような雑魚が、『深層アンテノラ』からの刺客だとは思えない。


「今日のところは襲撃はないみたいね、残念だわ」

「二日連続であってたまるか」


 そうこうしているうちに、エントルージュ家の別邸に到着した。

 無駄に巨大な門構え。

 脇には門番らしき人物が二人立っていて、俺ら、というよりもリリーの姿を見つけると、すぐに門を開いた。


「さ、ついて来なさい」


 リリーはすたすたと入っていく。俺はその後ろを歩く。

 門番が俺の方に視線を向けてきたが、リリーが「これは私の客人よ」と言うと、門番の二人は一礼してこちらから視線を外した。


「おお、これは凄えな」


 門構えも立派だったが、中庭も一段と華やかだった。

 巨大な噴水が中央に鎮座し、周囲には円状に広がる花壇があり、色とりどりの花々が輝いている。

 流石は王族、別邸ですら金を費やしているといった感じだ。中庭だけで『暗躍星座ゾディアック』が用意していた家が二つは収まりそうな広さがある。


 ――さて、五人ってところか。

 

 俺は中庭を眺めながら、外部からこの屋敷を監視している気配を察知していた。

 場所は隣の建物の一室。五人ほどの人間が屋敷に注意を向けている。

 どいつもこいつも、簡単に気配を読み取られている時点で大した相手ではないが……。


 すぐにでも対処するべきか……?


「何をボケっとしてるのかしら?」

「ああ、悪い」


 いや、まずはリリーの話を聞くのを優先して――対処はその後でもいいだろう。


 中庭を抜け、屋敷の入り口に向かう。

 リリーが扉を押すと、音を立てて扉が開いた。さっさと中に入っていったリリーに続いて、俺も屋敷にお邪魔する。


「おかえりなさいませ、お嬢様、ノア様」


 屋敷の中に入ると、大広間でメイドが一礼して出迎えた。


 ――というか、メイド姿をしたナタリアだった。

 いつも黒いドレスを着ている姿しか見たことなかったので、ナタリアのこういった姿は少し新鮮だ。


 けれど、どうしてここにナタリアがいるんだ。教師の仕事はどうしたのだろうか。

 疑問を視線だけでナタリアに訊ねると、「仕事はアリシアさんに任せてきましたわ」とナタリア。仕事を押し付けられたアリシアに俺は同情した。


「お茶の用意をお願い、二人分」

「かしこまりました」


 一礼して、ナタリアは去っていく。

 リリーはそのまま大広間を抜けて、廊下を歩き、一つの部屋の前で立ち止まった。


「ここが私の部屋よ。一応先に言っておくけれど、もしも変なことをしたら叩き出すわよ」

「はっ、姉の方みたいにもっとスタイルがよくなってから出直してくれ」

「――っ、死になさい」

「おわっ」


 リリーがいきなりドアを開いたので、咄嗟に避ける。

 危うくドアと衝突するところだった。


「ほら、とっとと入りなさい」


 攻撃を避けた俺に舌打ちを零すと、あたかも何事もなかったかのようにリリーは俺を部屋に招待した。


「そんなに俺を入れるのが嫌なら客間とか使えばいいだろ」


 別にリリーの部屋に入りたいわけでもないのでそう提案してみたが、リリーは首を横に振った。


「客間だとメイドや執事に聞かれる可能性があるから駄目よ」

「なるほど、徹底してるな」

 

 リリーの部屋は意外にも普通の一室といった風だった。

 広々としていて、カーテンやベッドなどいかにも高級そうな家具もいくつかあるが、中庭や大広間を見たときのような衝撃はない。

 むしろ一番目立っているのは、ベッドの上に転がっているどでかいうさぎのぬいぐるみくらいのものだった。


 ぬいぐるみのつぶらな赤い瞳と視線が交差する。

 俺の視線がぬいぐるみに向いていたのを察したリリーが頬を赤らめた。


「なによ……悪い?」

「いや、意外と可愛らしい趣味をしてるんだな、と」

「違うわよ! これはアイリスお姉様から去年の誕生日にプレゼントされたから仕方なく!」


 アイリスなら妹の好みをしっかりと調べた上で誕生日のプレゼントを選びそうなものだが……そうなると、結局はぬいぐるみはリリーの趣味ということになる。

 

 そんなツッコミが喉まで出かかった。

 しかし、俺がアイリスのそんな性格について知っているのは不自然なので口には出さない。


 リリーはベッドに腰掛けて足を組むと、椅子を指差し、「座りなさい」と言った。


「それで、話してくれるんだろう?」

「わかってるわよ。ちょっと待ちなさい、今頭の中で話す内容を纏めているから。ええと、どこから話せばいいのかしら……そうね」

「待て」


 話し始めようとしたリリーを止める。


「何よ」

「誰かがこっちに近付いてきてる」


 俺は意識を部屋の外から聞こえてくる足音に集中させる。

 足音は迷いなくこちらに近づいてきていた。足音の主は明確にこの部屋を目的地としているようだ。

 戦闘スタイルに由来する、リズムをあえて狂わせたような、独特な歩法から生じる足音には覚えがある。

 

「この足音は……ナタリアだな。どうする」

「あんたのお仲間なんでしょ? 別に構わないわよ」


 リリーはベッドから起き上がり、テーブルを挟んで対面の席に腰掛けた。


 数秒後。

 こんこん、と控えめに扉をノックする音が響く。


「お嬢様、ノア様、お茶をお持ちしました」

「入りなさい」

「失礼します」


 扉がゆっくりと開く。紅茶の入ったカップを載せたトレーを左手に携えたナタリアは、部屋の中に足を踏み入れると、テーブルの上にゆっくりとそれを置き、優雅に一礼した。

 リリーがナタリアに向かって声を掛ける。


「ナタリア、あなたもこの男の仲間なんでしょ?」


 目を丸くしたナタリアは、ちらりとこちらを見た。俺は頷いた。言っても良いという合図だ。


「あら、もう気付かれましたか? ――ええ、そのとおりですわ。わたくしとノア様は切っても切れない赤い糸で結ばれてますのよ」

「男の趣味が悪いわね、あんた」

「よく言われますわ」

「お前ら随分と好き勝手言ってくれるな……!」


 俺が怒鳴ると、リリーとナタリアは顔を見合わせて笑った。なんかこいつら仲良くなってるな。


「まあ、そういうことならいいわ。話をするからあなたも付き合いなさい」


 リリーが言うと、ナタリアは一瞬きょとんとした表情を浮かべた。

 その後、リリーの顔をじっと見て、次に俺の顔を、そしてまたリリーの顔を見つめた後、呟いた。


「ノア様ったら、流石ですわね――いつの間にリリー様を籠絡されたんですの?」

「してないが」

「されてないわよ!」


 俺とリリーは同時に突っ込んだ。

 自分から言っておいて、「あらあら、随分と仲が良いご様子で。このナタリア、少々妬いてしまいますわぁ」と、ナタリアは唇を尖らせた。

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