14 ニーナ・シンフォニア


「それで何だ? まさか愛の告白か?」

「つまらない冗談はやめて頂戴。これからのことよ」

「俺たち二人の今後のことか」

「変な言い方をするのはやめて頂戴」


 廊下に出たところで軽口を叩くと、リリーが眦を吊り上げた。

 リリーの足が動くのを見て、一歩後ろに下がる。リリーの足が先程まで俺の左足があった場所を踏み抜いた。リリーが「ちっ」と舌打ちをする。


 王女のくせに態度が悪すぎる……。


「というと?」

「あなたは護衛の仕事を辞めるつもりはないんでしょう?」

「ああ、こっちとしても仕事だからな。正直辞めたいが。雇い主がお前ではない以上、お前がどう言おうと続けるしかないんだよ。正直辞めたいが」

「本音が隠しきれてないわよ」

「働きたくねぇ……」

「直球ね」


 ともあれ、辞めるわけにはいかない。

 鬼上司――別名、ラヴィニア・アヴローラ――に弱みを握られているというのが理由の九割だが、ラヴィニアには恩があるため、彼女の手助けをしたいという我ながら珍しく殊勝な理由も一割ほどある。


「そう。まあ仕方ないわね。だったら私の側で護衛することを許すわ。昨日みたいにコソコソと跡をつけられる方が私としては嫌だもの」

「そういうことなら分かった。俺としてもそっちの方がありがたいからな」


 影から護衛するよりも物理的にも精神的にもよっぽど楽だ。


「前までの二人と違って、あなたの場合は簡単には排除できなさそうだしね」

「排除って……そういえば、お前の護衛については確か前任者がいたらしいが、一体どうやって辞めさせたんだ?」

「別に、ただちょっと罵ったり置き去りにして一人で帰宅したりしてただけよ」

「聞いたところによると再起不能になったって話だが?」


 ちょっと罵ったりしただけで再起不能にはならないだろうに。

 俺がそう指摘すると、リリーは慌てて釈明した。


「それについては……その、悪いとは思ってるわよ! 全部終わったら謝罪はするつもりだわ」

「別に俺としてはそいつらについてはどうでもいいんだけどな。むしろ、そいつらが再起不能になったせいで俺がお前みたいなのの護衛をやる羽目になったんだから、そいつらに文句を言っていいレベルだな」

「いやそれはおかしくないかしら……?」

「そんなことよりも、罪悪感を抱くくらいなら諦めて護衛を受け入れればいいのに、そこまでする理由は何なんだ?」


 この王女様が『牢獄世界コキュートス』に行きたがっていることまでは理解した。

 だが、王女様が求めるようなものがあんな掃き溜めにあるとは思えないんだが。


「そんなことって……。というか、それについては教えないって言ったでしょう」

「護衛としては知っておく必要がありそうだからな」


 周囲から聞き出すことも考えたが、できることならそういうことは本人の口から聞いておくべきかと思ったんだが。


 ……尤も、『牢獄世界コキュートス』に行きたがっているだなんてことをリリーがわざわざ周囲に話しているとは思えないので――もしも伝えているとしても、その場合、相手は彼女が特に信頼している存在だろうから――、周囲から聞き出すというのもそれはそれで難しそうではあるが。

 まさか王女の周囲の人間を無差別に拷問に掛けるわけにもいくまい。


「悪いけれど、それを言うわけにはいかないわ」

「そうか、なら仕方ない」

「……良いのかしら?」

「良くはないが、結局のところ聞いたところでやることは変わらないしな」

「そう……ありがとう」

「お礼を言われる筋合いはねぇよ。俺はお前の行動を止める側なんだから」


 本心を言えば、リリーが心底から『牢獄世界コキュートス』に行こうとしている以上、あまり止めたくはないのだが、これも――任務だ。俺に課せられた任務はリリーの命を守ることであって、リリーの目的の手伝いをすることではない。

 

 それに、リリーだけではまず間違いなく上手くいかないだろう。

 リリーのことは別に嫌いなわけではない。この女が無駄死にするのを見過ごしてしまっては、流石に寝覚めが悪すぎる。


「そうね……」


 リリーは顔を俯向け、何かを考え込んでいる様子だ。

 数刻後、リリーは俯けていた顔を上げて、言った。


「放課後、私の屋敷に来なさい。やっぱり気が変わったわ、説明してあげる」

「え、面倒な」

「来なさい!」


 足を蹴られた。やはり理不尽だ。



 □



 リリーがさっさと教室に入っていったので、俺も戻る。

 教室内に入ると複数の視線を感じたが、無視して自分の机に向かう。


 廊下で俺がリリーとなにやら話し込んでいたため、何事かと思われているのだろう。

 俺は度々忘れそうになるが、あんなんでもリリーは王女様だし、とびきりの美少女だからな。


 レオンハルトにいたっては、こちらを殺意すら篭った眼光で睨んでいる。

 それも無視して、俺は椅子を下げて着席した。


 俺の机の脇に見知らぬ女子生徒が立っていた。


「…………」


 俺は鞄を開いて次の授業で使う本を取り出した。

 大した重さではないため、目立たないように書物などは鞄に詰めて持ってきている。


 俺が使える時空魔術の中には物品を収納可能な空間を作る『道具袋ボックス』という魔術も存在するが、そこから取り出してる光景を万が一誰かに見られたら面倒だ。


 『道具袋ボックス』は第四階梯とそれほど高度な魔術ではないものの、『牢獄世界コキュートス』で生き抜く中で特に活躍した魔術の一つだった。


 何しろあの場所では略奪などが日夜横行しているため、食料品などを隠し持つことができ、なおかつ盗まれる心配がない『道具袋ボックス』は非常に役立った。

 この魔術がない場合は、食料を備蓄などしようと思ったら、どこか見つからなさそうな場所に隠し、誰かに奪われないことを祈るしかないのだから。


 立っていた女子生徒が俺の顔を覗き込んできた。


「…………」


 俺は書物を開き、ぱらぱらとページを捲って流し読みする。

 魔術理論についての文献だ。著者は担当教師と同一の人物。年配の男性教師で、昨日受けた雰囲気では授業の内容は退屈だったが、この本の内容は中々に興味深い。


 時空魔術以外の魔術はいくら学んだところで俺には扱えないものの、術式を学んでおけば色々と役に立つ場合は存在する。

 たとえば先日の襲撃者が用いていた短剣ダガーのように、術式から魔術の効果を読み取れれば戦闘で優位に立てたりもするのだ。

 

 女子生徒がばん、と俺の机を叩いた。


「……無視するのって酷くないかな!?」

「何だ、俺に用があったのか?」

「机の前で待ってたんだから普通分かるでしょ!?」

「というか誰だよお前」


 紫色の長髪が特徴的な美少女だ。

 小柄な体躯で、俺より頭二つほど身長が低い。


「私はニーナ・シンフォニア。私もキミと同じでこのクラスの所属だよ。よろしくね」

「そうか」

「反応薄いなぁもう。あと、困ったことがあったらなんでも言ってね!」

「いいのか? じゃあ、お前が鬱陶しくて困ってるんだが」

「酷い!?」


 唇を尖らせるニーナとかいう女子生徒。

 シンフォニアという家名は聞いたことがあるようなないような、確か男爵だか子爵あたりの貴族だったか?


 正直そこらのところは曖昧だが、貴族であったのは確かな気がする。

 少なくともエントルージュ王国における貴族の家名と爵位に関しては『暗躍星座ゾディアック』に入ったばかりのころ、ラヴィニアによって徹底的に叩き込まれた。

 『暗躍星座ゾディアック』の仕事の中には、王家に仇を成す国内の貴族の処理も含まれるからだ。


「それで、キミの名前を聞いてもいいかな?」

「ノア・メイスフィールドだ」

「……ふーん、格好良い名前だね!」

「俺はあんまり好きじゃないけどな。それで、俺になにか用でもあるのか?」

「勿論!」


 仕方なく俺が訊ねると、ニーナは大げさに頷き、俺の机に手をつけ、ぐい、と顔を近付けてきた。

 真紅の瞳がこちらを覗き込む。

 紫色の長髪が揺れる。薔薇の香水の香りが仄かに漂った。


「私、というかクラスのみんなが気になっていると思うんだけどね。ずばり、キミとリリーちゃんの関係について!」

「関係ってなんだよ。俺とあの女は別に親しくもなんともないぞ」


 本当に。

 リリーが俺に近づいてくるのはむしろ俺が邪魔だからであって、色恋だのといった関係では決してない。護衛であることが秘密である以上それを言うことができないため、ただ否定するだけになってしまうが。


「いやー、けど難攻不落だったリリーちゃんが男の子と十秒以上も会話を続けてるんだもの、私驚いちゃって」

「男子と十秒以上会話しただけで驚かれるリリーも相当だな」


 昨日もあまり他生徒と会話している場面を見なかったが、そこまでのレベルなのか。


「リリーちゃんってなんだか壁を作ってる感じで、今までは近付きがたいって感じだったんだよね。それこそレオンハルト君くらいしか近付こうとしなかったくらいには」

「まあ俺から見てもそんな感じだな」

「でも、キミと話してるときのリリーちゃんはなんだか生き生きとしてるように見えるんだよね」


 そもそもリリーが俺と会話を続けているのは、俺があの女の護衛であるという接点があったからの話であって、別にリリーと俺の仲が良いなどということは一切ないのだが。


「そりゃあ生き生きと罵倒されてるからな、俺が」

「それでも普通に話せるだけでも私としては羨ましいんだよー」


 罵倒されたり蹴られたりする関係性は普通と形容できるのか……?

 少年時代をあの殺伐とした『牢獄世界コキュートス』で過ごしたものだから、それが普通だと言われたら思わず信じてしまいそうになるが、流石に違うだろう。


「そんなに羨ましいならお前も話しかけてみればいいじゃねえか。きっとリリーのやつはお前を歓迎するぞ」

「そうかな?」

「ああ」

「じゃあ今度話しかけてみるね、ありがとうノア君!」

「わかったならさっさと自分の席に戻れ」


 面倒な奴二号――レオンハルトが一号だ――をリリーに押し付けようとしたが、しかしニーナは自席に戻る様子を見せない。


「それでそれで、話を戻すけど、キミとリリーちゃんは付き合ってたり?」

「しない」


 話を戻すな。

 というかニーナが大声で話しているせいでリリーが横から殺意の篭った目でこちらを睨んでいるからやめて欲しいんだが。


 しかもなぜかニーナの方でなく俺の方を。

 なんで俺を睨むんだ。さっきから付き合ってるだの何だのと騒いでいるのはニーナの方だぞ。


「えー、つまんないのー」

「お前を楽しませるためにここに編入してきたわけじゃないからな」

「むむっ、頑なだねー」

「頑なもなにも、実際そんな事実はどこにもないからな。ほら、リリーの顔を見てみろよ、今にも人を殺しそうな表情してるぞ」

「ひっ……」


 ニーナは振り返り、悲鳴を上げた。

 リリーはにっこりと笑う。攻撃的な笑み、というのはこういうのを言うんだろうなといった感じの笑顔だった。


「じゃ、じゃあそろそろ授業だし私は戻るね……」

 

 ニーナが逃げるように自分の席へ戻っていった。席は窓際の最前列らしい。あそこは確かに昨日は空席だったなと思い出す。


「さて、これでようやく静かになった……」

「はーい、みんな注目」


 アリシアが教室に入ってきて、教壇の前に立つ。

 お前がもう少し早くに来ていれば面倒な女に絡まれることもなかったのにと俺は逆恨みをした。


 ……しかしなぜアリシアが入ってきたのだろうか。

 アリシアの担当は魔術の実技で、次の授業にあたる魔術理論の担当は別の教師だったはずだが。


 その疑問はすぐに晴れた。


「実は魔術理論の先生が昨日突然退職して、魔術理論の担当教師として新しく新任の先生が入ったので皆に紹介します。入ってきていいですよー」

「ナタリア・アッシュベリーです。若輩者ですが、よろしくお願いしますわ」


 め、面倒な奴三号……。


 俺は考えることをやめた。

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