03 第二王女


 以上、回想終わり。

 そんな風にこの学園に来ることになった経緯を思い返しながら、聳え立つ校門を潜り、俺は敷地内に足を踏み入れた。


 前方に広がるのは考え抜かれて設計された美しく、華美な中庭。

 中庭の草花は庭師によって丁寧に手入れされている。


 その中心には、煉瓦が敷き詰められた道が真っ直ぐと校門から学園にまで繋がっている。

 道の端には花壇が並んでおり、そこには色とりどりの花々が咲き誇っていた。


 俺は立ち止まり、道の端を彩る花壇を眺めた。

 周囲には俺の他にも多くの生徒が校舎へと足を進めている。


「花、好きなんですか?」

「いや、食べたらどんな味がするかと思ってな」

「花を食べるんですか!?」


 突然話しかけられたので変な返答をしてしまった。

 ちなみに今目の前に咲いているこの青い花には僅かに毒があるから要注意だ。その隣に咲いている青紫の花は食用に堪えるが、それと非常に似ているため紛らわしい花である。


 実際に『牢獄世界コキュートス』にいたとき、空腹で耐え切れなくて毒があることを承知で食べてみたら、腹を壊して死に掛けた。

 今となっては懐かしい――なんてことはなく、今となっても忌々しい思い出である。


 背後には俺と同じように立ち止まり、俺の背中を見つめている人間の気配。

 俺は振り返った。


「はじめまして、私はアイリス・エントルージュといいます」

「……エントルージュ、王族か」


 振り返った先にいたのは、一人の女子生徒。

 黒を基調とした都会的な意匠の制服。

 その制服を押し上げる大きな胸の谷間には紅いネクタイ。

 スカートは適度に短く、細い足を外界に晒している。

 

 髪は艶やかな黄金色。

 長さは膝に届くほどで、太陽の光を浴びてきらきらと輝いていた。

 

 整った容貌にはどこか見覚えのある面影。

 その青色の瞳はじっと俺を見つめていた。


 どこか居心地が悪い気分になる。

 それで俺は思い出した。

 俺はかつて――俺がアーク・オルブライトであった時期に、彼女とは会ったことがある。


 というか、端的に言うと、当時の婚約者だった。

 勿論、アーク・オルブライトが死んだ扱いになっている今では別の誰かと婚約しているのだろうけれど。


 名前は確かアイリス・エントルージュ。王女だったはずだ。第一王女か第二王女かは忘れたが。

 というか、となると護衛対象のリリーはアイリスの妹になるのか。アイリスに正体がばれたら面倒になりそうだ。


 ……とはいえ、婚約者といえども俺と彼女が会ったことのある回数はそれほど多くはないため、まあ正体が見抜かれる心配はいらないだろう。こちらとしても顔を合わせるまで忘れていたほどだ。


「アイリス・エントルージュ――確か、第一王女だったか」

「第二です」

「ああそう」


 普通に間違えてしまった。護衛対象のリリー・エントルージュが第三王女だから、こいつは第一か第二辺りと予想して二択だったが、外したようだ。

 アイリスは目を丸くし、次いで、ふふと柔らかな笑みを浮かべた。


「人の顔を見て笑うんじゃない」

「いえ、そういうわけでは……その、前にも同じ間違いをされたことがあったのを思い出して」


 言われて記憶が蘇ってきたが、以前の初対面の際にも俺は同じことを言ったような気がした。


「あー、まあ、そりゃあそういうこともあるだろ」

「自分で言うのも何ですけど、私はこれでも王族ですから、早々間違えられたりはしないんですけどね……」

「何? 不敬罪で訴えるつもりか? 言っておくが強請っても無駄だ、金ならないぞ!」

「違います! そんなことはしません!」

「そうか、ならいい」


 まあ王族だし金には困ってないんだろう。羨ましいものだ。まあ俺も昔は貴族だったんだが。クソ親父や兄共に追放されたからな。


 そういえば『牢獄世界コキュートス』に落ちた当初は復讐してやると息巻いていたが今となってはすっかり忘れていた。

 しかし折角同じ学園に通うことになるのだ。学園生活を彩るためにも、初心に帰って何らかの復讐をしてやろうと俺はひそかに目論んだ。


「それで……あなたは?」

「ああ、こっちは名乗ってなかったか。俺はノア・メイスフィールド。今日からこの学園に編入することになった」

「まあ」

「そっちとは学年が違うだろうから会う機会なんてそんなにないだろうけど。よろしく、エントルージュ」

「アイリスで構いませんよ、この学園には私以外のエントルージュもいますから。にしても……ノア・メイスフィールド、さんですか」


 こちらをじっと見つめる視線。

 俺が彼女の容姿から昔の彼女の面影を感じたように、あちらも同じように感じているのかもしれない。


「俺の顔に何かついてるか?」

「い、いえ」

「あれか、俺が美少年だから見惚れてたのか」

「いえ、そうではなくて」


 一瞬、凄く冷めた目で俺を見た。少し傷ついた。


「それで、メイスフィールドさん」

「ああ、メイスフィールドさんはやめてくれ。家名はあんまり好きじゃないんだ。それに無駄に長いしな」

「では、ノアさんと呼ばせていただきますね」

「ああ、それで構わない」


 いつまでも立ち止まっていても何なので、揃って校舎の方へ歩き始めた。

 一応、歩幅は相手に合わせて少し抑える。

 俺の横を歩くアイリスは花壇の花々に視線を向けながら歩いていた。


「それで、ノアさんはどうして花壇を?」

「いや、さっき今日から編入するって言っただろ? それで、こんなに綺麗な花壇は物珍しいと思って見てただけだ。別に花の名前とかは分からないからな」


 味は分かるけど、とは流石に引かれそうなので言わない。

 お、あの紅い花はわりと美味しいんだよな。


 『牢獄世界コキュートス』の環境では弱者は日々の食事を満足に得ることすら難しいため、そこら辺に生えているような草花ですら食べないと生きていけないのだ。

 無論、知識不足によって毒のある植物を食べて死ぬような者も後を絶たないのだけれど。


「そうでしたか。確かに、この学園の花壇は綺麗ですよね」


 アイリスは嬉しそうに言った。

 そういえば、彼女は昔から花が好きだったなと俺は思い出した。


「そういえば、お前は仮にもお姫様なんだろ? 護衛とかはつけないのか?」

「この学園――というよりも、この都市自体、かなり警備は厳重ですから」


 王立アルメリア魔術学園は、通称、学園都市と呼ばれる特殊な都市に存在する。


 アルメリア学園以外にもいくつかの学園を有する学園都市。

 これらの学園に所属する学生は皆、この街に住むことになる。


 俺はラヴィニアに用意された家があるので、そこで暮らすことになっている。

 だが、一部の王族や高位貴族を除いた下位の貴族や平民などの場合は、学園に用意される寮で生活するのが一般的だ。

 逆に、高位貴族や王族ともなると、学園都市内に別邸を構えているため、そちらで暮らすこととなる。


 そのためこの学園都市には、アルメリア学園を始めとした、複数の学園に通う貴族の子弟や王族などが集まっている。

 そのため、警備は相応に厳重だ。

 街は円状の外壁に覆われていて、街の出入りには逐一許可が必要となる。


 ……けれど、それを聞いて更に疑問が深まった。

 ラヴィニアは、ひいては彼女に命令をした国王は、一体何を考えて俺をリリー・エントルージュの護衛につけようと言うのか。


 隣を歩くアイリスを眺める。

 多少話しただけだが、アイリスの性格では国王が強く望めば護衛を拒絶するというようなことはなさそうだ。それは俺の知っている彼女の性格からも間違ってはいないだろう。


 それなのに、彼女に護衛はついていない。

 ――つまり、国王は少なくともアイリスには護衛は必要ないと判断しているわけだ。リリーには必要としているのに、である。


 と、そんなことを考えながら歩いていると。

 ふ――と、後方からこちらに向かって刺すような視線を感じた。


 歩きながら後ろを確認すると、丁度校門の辺りにいた一際目を惹く一団がこちらに――正確には、アルメリア学園の校舎に向かって足を進めている。

 その内の一人、黒髪の男が殺気の混じった視線の主だ。


 彼らの顔は誰も彼も見覚えがあった。

 兄のジュリアン、姉のレア、弟のルイ――皆、オルブライト公爵家の人間、つまりは俺の元兄妹だ。

 俺の双子の妹のラケル・オルブライトこそいないものの、他の兄妹は勢揃いしている。


 しかし、こうして揃っている中で妹だけがいないと、妹のオルブライト家内部での立ち位置は大丈夫なのか心配になる。

 妹には魔術の才能があったため、俺みたいに追放されてるなどということは流石にないだろうが。


 彼らが煉瓦の道を歩くと、他の生徒はそっと道の端に逸れた。

 そして、彼らは我が物顔で道の中央を闊歩していく。


「――俺は学園長に挨拶しておく必要があるから、先に行かせてもらうぞ」

「あ、はい。足を止めさせてしまって申しわけありません」

「気にするな」


 軽くアイリスに挨拶をして、足早にその場を立ち去る。

 ここに留まっていたら面倒ごとになる予感がしたからだ。


 俺がアイリスから離れて少ししたころ。

 背後から、俺に殺気を向けてきていた黒髪の男――俺の元兄であるジュリアン・オルブライトがなにやらアイリスに話しかける声が聞こえた。


 とはいえ、内容は俺には関係ないだろう。

 足を止めることなく、俺は校舎の方へ向かった。


 背後からは「おわっ」っという情けない声が聞こえた。

 きっと天罰か何かだろう。


 或いは、奴らに恨みを持っている品性と知性に溢れた感じの美少年が、気取られることなく相手を転ばせる魔術を使ったのかもしれない。

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