02 護衛任務


 それから時は流れて、五年後のある日。


 エントルージュ王国において唯一の王立学園である、アルメリア魔術学園。

 その校門前に、俺は立っていた。


「ここが、俺がこれから通う学園か」


 天を突かんばかりに伸びた四つの尖塔が特徴的な校舎。

 その周囲を覆うように展開されているのは、まるで砦のような外壁だ。

 壁面には魔法陣を用いて無数の防護魔術が施されており、外部からの侵入が容易でないことが窺えた。


 この学園がここまで厳重な警備をしているのには、勿論理由がある。

 というのもこの学園には、エントルージュ王国で唯一の王立学園であることも相まって、王族や高位貴族の子弟が多数通っているからだ。


「そして、その一人が俺の護衛対象ってわけだ」


 アルメリア魔術学園は十四歳から十八歳までの魔術を学ぶ者たちが通う四年制の学園だ。

 護衛の対象となる生徒は二年生であるため、俺も同じく二年生として編入することになる。


 勿論、必要とあれば別の学年に編入していたのだが……。

 偶然にも二年生というのは、俺が平穏無事にオルブライト家で生きていたならば今頃所属していたであろう学年だ。


 恐らくは上の学年には姉や兄が、同学年には双子の妹が、下の学年には弟がいるだろう。


「……できるだけ接触を避けて、正体がバレないことを祈るしかないか」


 クラスは各学年にそれぞれ四クラスあり、一クラスの人数は四十人。

 つまり生徒数は各学年で百六十名程度。全校生徒では六百四十名ほどになる。


「校門の前でいつまでも立ち止まってても何だし、行くか」


 俺はおもむろに校門に向けて足を踏み出した。

 上司曰く、既に編入の手回しは済んでいるのだという。


 今更になって学園生活など面倒だが、これも仕事である。

 俺はこの指令を受けたときのことを思い返しながら、学園の敷地内に足を踏み入れた。



 □



「任務ねぇ……つまり、俺は今からこの女を暗殺すれば良いわけか?」

「違いますよ。あなたは私の話の何を聞いていたんですか」

「ちょっとした冗談だ」

「笑えない冗談ですね」


 こちらを冷たい瞳で見据える美女に対し、俺は肩を竦めて手に持っていた羊皮紙を机の上に置いた。

 そこには一人の少女の個人情報が記されており、更には精巧な似顔絵まで描かれている。


 少女の名前はリリー・エントルージュ。

 その家名が示すように、このエントルージュ王国の王女様である。


「ノア、あなたには第三王女の護衛をしてもらいます」

「それ、別に俺じゃなくてもいいだろ。むしろ、テオドールの奴とかの方がよっぽど向いてるんじゃねぇの?」


 同僚の名前を出して矛先を逸らす。

 何が悲しくて同年代の少女の護衛などしなくてはならないのだ。


「そうですね。確かにあなたは彼と違って品性と知性に難があるので、箱入りのお姫様の護衛に向いているとはお世辞にも言えません」

「おい、誰の品性と知性に難があるだって? 俺以上に品性と知性に溢れた美少年は早々いないぞ」

「今度は面白い冗談ですね」


 俺を悪し様に罵った後、女は実に楽しそうに笑った。


 彼女はラヴィニア・アヴローラ。

 オルブライト公爵家と同格のアヴローラ公爵家の若き女当主にして、俺が今所属している組織の長である。


 輝く銀髪と宝石のような紫色の瞳が特徴の、蟲惑的な雰囲気を有する美女。

 不健康そうな白い肌に、触れれば折れてしまいそうな華奢な体躯。


 そんな一見して深窓の令嬢めいた容姿とは裏腹に、彼女は俺が属しているこの組織――『暗躍星座ゾディアック』という、王国直属の集団の中で長となるほどに優れた才覚を持っていた。


 ちなみに彼女は、俺のノアという偽名の名付け親でもある。


 俺が生きていることが――俺が生きて『牢獄世界コキュートス』からこちら側の世界に帰還したことが知れ渡ると少々面倒なことになる。

 そのこともあって、念のため、俺は家名だけでなく本名であるアークという名を使うことも控えていた。


 だから今の俺はアーク・オルブライトではなく、ノア・メイスフィールドだ。

 ラヴィニアに与えられた名前と、俺の魔術の師である最悪の魔女、ユーフォリア・メイスフィールドと同じ家名。


 ……少なくとも、禁忌の地である『牢獄世界コキュートス』から生還した人間が周囲からどう見られるかなど分かりきっているからな。


 何しろあそこは犯罪者の流刑地であるため、一般的な認識としては、ゴミみたいな人間とクズみたいな人間しかいないような場所だと思われている。

 そして残念ながらそれはあながち間違っていない認識だ。俺が例外的に、知性と品性に溢れた善人なだけで。


「ですが、テオドールでは少々問題がありましてね」

「どういうことだ?」

「聞くところによると、第三王女は大層な護衛嫌いらしいんですよ。それで、彼女と同年代でかつ実力のある者を学園の生徒として同じ教室に送り込むことになったんです」

「護衛嫌い……はともかくとしても、なるほど。確かにテオドールだとそのお姫様と同じ十五歳には見えないわな」


 テオドールの年齢は、確か二十を超えていたはずだ。

 流石に五歳差を誤魔化すのは厳しいだろう。

 

 更に言えば、本来存在しないはずのノア・メイスフィールドとは違い、宮廷魔術師として華々しい活躍を遂げているテオドール・ダールブラックの名前は世間的な知名度も高い。

 そんな奴が今更学生をやるのは流石に無理がある。顔が良いので女子生徒には人気が出そうだが。


「そういうわけです。その点、あなたならばその条件を全て満たします」

「……本気か?」

「ええ、勿論。生徒として潜入する以上、年齢の条件を満たしている中で最も扱いやす――じゃなくて、優秀なのはあなたしかいないんですよ」

「今扱いやすいって言ったか?」

「言ってません」


 無言で睨み合う。


「冗談です。実際、私が『暗躍星座ゾディアック』の面々の中で一番信頼しているのがあなたなんですよ」


 ラヴィニアは上目遣いでこちらを見つめてくる。

 俺は言った。


「胡散臭いなぁ……」

「失礼な」


 ラヴィニアは肩を竦めた。


「というか、俺じゃなくても、生徒として潜入するんだったらお前が行けばいいんじゃないか? 年齢的には学生を名乗ったら失笑ものだが、無駄に若々しい見た目をしているんだ。頑張れば制服だって着れるだろう」

「誰が若作りですか」

「そこまでは言ってない」


 内心では思っていたが面倒になる予感がしたので口には出さなかっただけである。


「……というか、この歳で制服を着て一回り近く年下の子たちと一緒に過ごすだなんて嫌に決まってるじゃないですか」

「……俺だって嫌なんだが」

「上司命令です」


 最低の上司だ、死ねばいいのにと俺は思った。

 『暗躍星座ゾディアック』に所属して以来、この女には仕事を押し付けられてばかりである。


 だが、このまま俺が素直にお前の言うことを聞き続けると思うなよ?

 俺の頭の中でラヴィニアを『暗躍星座ゾディアック』の長の座から引きずり降ろす計画が瞬く間に組み上がっていく。


 俺は内心で語りかけた。

 ――残念だなラヴィニア。お前とはそこそこ長い付き合いだったが、それも今日で終わりだ。


「けど俺はまだ終わってない任務を抱えてるんだが? それも平行してやれって言う気か?」

「流石にそんなに鬼畜だと思われていると凹みますね。あなたの抱えている任務にはきちんと後任を用意していますよ」


 最高の上司だ。ラヴィニアが上司で良かったと俺は思った。

 正直サボりすぎていて仕事が溜まっていたので、それを清算できるなら喜んで護衛でも何でもしよう。


「……一応聞くけど、拒否権は?」

「あの場所から出てきたあなたを匿ってあげているのは誰だと?」


 今から五年前。

 俺はオルブライト家を追放され、そして兄のジュリアンに殺されかけ、落ち延びる形で『牢獄世界コキュートス』に落ちた。


 そのときから、俺は地上へこうして戻ることを諦めていた。

 それは、『牢獄世界コキュートス』において、一度下りたものが再び地上へ戻ることはまず不可能であるからだ。


 原因は、かつての英雄が何らかの存在を封印するために――その存在が一体何であるのかは既に失伝している――用意した結界によるもの。


 広大な地下空間の全域を支配するその結界によって、こちらの世界と徹底的に断絶されているのが『牢獄世界コキュートス』――生還者が殆ど居ないと言われる地下世界の正体であった。 


 ――しかし、今から一年前、俺はその『牢獄世界コキュートス』から脱出した。


 その後紆余曲折あって、俺はこうして彼女の下で働いている。

 地上に出たばかりで住む場所もない俺に、自らが所有する家を貸し与えるなど、ラヴィニアには地上に出て以降、かなり世話を焼かれていた。


 そういうわけで、ラヴィニアには恩があるのだ。

 どうしても嫌な任務だったらどんな手を使ってでも断るが、この程度なら別に構わないだろう。溜まっている仕事を清算できると考えれば差し引きでむしろ諸手を挙げて引き受けるくらいだ。


「はいはい、了解。仕事と思ったら面倒だが、まあ、ちょっと長い休暇だと思ってせいぜい学園生活を楽しむさ」

「ええ、それも良いでしょう。私も少しあなたにばかり仕事を振りすぎていましたからね」

「少しって程度じゃなかったけどな……」


 数日以上徹夜しなくちゃいけない仕事量は少しとは言わないのだが、この女は頭がおかしいに違いない。

 しかも、上司であるラヴィニア本人がそれ以上の仕事をこなしているために文句も言いにくい雰囲気なのが最悪だ。


「それと、学園では決して第三王女に護衛であることがバレないように気をつけてくださいね」

「あ? なんでだよ」

「言ったでしょう? 彼女は護衛嫌いだと。隠れてこそこそ護衛などしているとバレたら、彼女が機嫌を損ねます」

「……別に多少王女の機嫌を損ねたところで問題ないだろ、ウチは国王直属なんだから」


 『暗躍星座ゾディアック』は王国の最暗部、国王直属の機関である。

 この命令だって当然国王からラヴィニアの方へ下ってきた任務なのだろうし、国王が相手ならいくら王女といえど拒否はできないだろう。


「……実は二人。あなたの前にも二人が護衛に派遣されていました――が、その両方が、護衛対象の第三王女によって精神的に再起不能にされているんです」

「再起不能って……ええぇ……護衛がか?」

「はい、護衛がです。基本的に護衛しやすいように同学年の学生が選ばれていたとはいえ、前任者の二人とも選りすぐりの実力者でしたのですけれど……」


 勿論、私たち『暗躍星座ゾディアック』ほどではないですけど、とラヴィニア。

 頭痛を堪えるような仕草をして、ラヴィニアは溜息を吐いた。


「それはまた、なんというか……というか、護衛対象に再起不能にされる護衛とか意味あるのか?」

「さあ? ともあれ、第三王女が強いとは言っても、あくまで同世代の中で突出してという意味合いですし、やはり護衛は必要でしょう」

「なるほど、事情は理解した……」


 加えて言えば、国王は三人いる王女たちを溺愛しており、彼女たちをとても甘やかしている。所謂、親バカというやつだ。

 今回の件も、その第三王女とやらに護衛を拒否されて強く出れなかったのだろう。『暗躍星座ゾディアック』に入ってから俺もラヴィニアに付き添って何度か会ったことがあるが、あれはそういう人間だ。


「そういうわけで、私たちにお鉢が回ってきたというわけです」

「なるほどな」

「お願いしますよ? 失敗した場合に文句を言われることになるのは私なんですから」

「了解。けど、流石に第三王女の命の危機になったら隠す余裕はないかもしれないぞ?」


 護衛対象に見つからないように隠れていたらいつの間にか護衛対象が殺されてました、では笑い話にもならない。


「……まあ、そのときは仕方がありません。彼女を守れなかったとなれば間違いなく私の首など吹き飛びますから、それに比べれば文句を言われる程度は構いませんよ」

「はー、お前もお前で苦労してるのな。平然と部下をこき使ってるクソ上司だと思ってたが」

「歯に衣を着せなさい、全く。……今回の依頼のような面倒ごとが多いから、できる限り仕事を部下に押し付けてるんですよ。私たちは仲間ですからね。苦難だけは共に分かち合わないと」

「嫌な仲間意識だな……」


 俺は机の上に置かれていた資料を片手に取り、眺めた。

 リリー・エントフィールド。第三王女。王立アルメリア魔術学園の二年生。

 どうでもいいが、似顔絵を見る限り、随分と美少女らしい。

 

 というか、相手が王族ということは――俺の方は全く覚えてないが――、しかし俺がまだアークと呼ばれていたころに会ったことがあるという可能性もある。


 少なくとも親に連れられて訪れたパーティーか何かで挨拶を交わしたことはあるだろう。

 とはいえ、その程度の面識ならば俺の正体がバレる心配はないだろうが。


 なんてことを考えながら、護衛対象の個人情報が掲載された資料を読んでいた俺に、ラヴィニアが笑って言った。


「――ああ、そうでした。言い忘れてましたけれど、その学園にはあなたの兄妹も通っていますから、正体がバレないように注意してくださいね」

「……は?」


 楽しげにこちらを見るラヴィニア。

 その嗜虐的な笑みに対して、俺は溜息で応えた。


「……やっぱこの指令拒否していいか?」

「駄目です」


 この国唯一の王立学園。

 公爵家の子弟である俺の兄妹がこの学園に通っているのも、当然といえば当然だ。


 ……この女、言ったら俺が面倒がって拒否すると思って黙ってたな。

 尤も、俺は上から与えられた依頼を断る権利など持ち合わせていないのだけれど。


 目の前であくどい笑みを刻むラヴィニアを見て、やっぱりこの上司は最低だと俺は思った。

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