第9話

 三日目


 駅の改札を出た。周りには僕が通っている高校の制服を着た生徒が学校に向かって歩いていた。今日の夢は、朝の学校までの道で起こることなのだろうか。前方にいる女子二人の話し声が聞こえてくる。


「なんか、昨日SNSで見かけたんだけど、殺人犯がこの辺でうろついてるらしいよ。」

「えー怖いー。どんな犯人なのー?」

「なんでも、浮気相手を刺したかなんかで今逃亡してるんだって。ヤクとかもやってるって書いてあったし、この辺も物騒だよね。」


 まず、これは誰の夢なのだろうか?制服を着ているのが目に入ったから、この学校の生徒であることは間違いないが。高校の最寄り駅を利用する生徒は多い。特定するのは難しいだろう。


「あ、先生。おはようございます!」

「おう永覚、おはような!」


 横断歩道を渡ろうとすると、後ろからそんな声が聞こえてくる。そして、気づくと、トラックがすぐ左にあった。

 トラックに体を吹き飛ばされ、アスファルトに体が投げ出される。


 そして僕は目覚めた。一番の問題は、事故に遭う生徒が誰なのかということだ。制服で男子生徒ということは分かるが、三学年の中の男子一人をピンポイントで助けることは可能なのだろうか?ヒントとなりそうなのは、女子たちの会話と、後ろに誰かは分からないが先生がいるということだけだ。


「あれ、テストってまだあるの?」

「明日まであるよ。今日はもう行くから。」

「そう、気を付けていってらっしゃい。」


 そう言っていつもより、一時間早く家を出る。最寄り駅の改札に着いたがいいが、ここからどうするかは何も考えていない。昨日父と話し、僕は他の何を犠牲にしても明日香のために生き続けると決めた。

 時間や場所の異なる場所に僕が行くことで、僕自身が死ぬことはないと検証できた。そして、僕の行動が変わったとしても、事故が起こる時間と場所は恐らく変わっていない。つまり僕は、事故を起こるまで待つことにした。

 横断歩道の手前で、暫く待っていたが、まだ事故は起こっていない。もうそろそろ普段、僕が学校へ向かう時間だ。


「こんなところでどうしたんだ、舜?」


 スマホで時間を確認していると、俊哉に話しかけられた。


「おはよう、俊哉と美玖ちゃん。いや、ちょっと考え事していてね。」


 咄嗟に、ありふれた言い訳をする。


「まあ、いいや。一緒に行こうぜ。」


 まだ、事故が起こっていないこの状況で横断歩道を渡って良いものなのか?だが、ここで断るのも不自然すぎる。考えがまとまらない中で、とある会話が耳に入ってくる。


「あ、先生。おはようございます!」

「ああ永覚、おはような!」


 僕らの前を通り過ぎていく、女子生徒と、数学教師の緒川。そしてトラックが横断歩道に近づいてきた。


「危ない!」


 そう言って、緒川は女子生徒を突き飛ばす。そして、トラックは緒川を撥ねた。トラックがブレーキをかけたのは、撥ねた後だった。


「緒川先生!」


 一瞬の出来事だった。スピードを落とす気配のないトラックが女子生徒と緒川に近づいく中で、緒川は女子生徒をなんとか助けた。何人かの生徒が緒川のもとに駆け寄る。


「すぐに、救急車!」


 俊哉がそう叫びながら、緒川に近づく。バッグの中からタオルを取り出し、血だらけの頭の圧迫止血を試みる。辺りは騒然となる。


「緒川先生!緒川先生!」


 助けられた生徒が必死に名前を呼んでいる。だが、緒川はピクリとも動かない。周りの生徒たちは時が止まったように動けないでいた。誰かが学校に連絡していたのだろう。何人かの先生がやってきた。


「他の生徒は、まず学校に向かいなさい!」


 立ち止まっている生徒らに指示をする。何とか止血しようとしている俊哉と助けられた女子生徒、そして周りの何人かを除いた生徒は学校に行くように言われた。


「美玖ちゃん、大丈夫?」


 美玖ちゃんは顔面蒼白になっていた。


「私、最低だ。事故に遭ったのがお兄じゃなくて良かったって考えちゃった。」


 僕にだけ聞こえるような声でそう言った。


「誰だって、自分の大切な人と、他の人のどちらの不幸を願うか聞かれたら、他の人って答えるよ。もちろん、僕だって同じように考える。」

「お兄もそう思ってくれるかな?」

「大丈夫だよ、それくらい美玖ちゃんは俊哉のことを想っていることは、俊哉も分かっているし、同じくらい美玖ちゃんのことを想っているはずだよ。ほら、学校行こうか。」


 美玖ちゃんと学校へ向かう。ただ、何かを忘れている気がする。


「テストは予定通り行います。準備をしてください。富貴さんはこのあとちょっといいかしら?」


 ホームルームで緒川先生のことが触れられることは無かった。


「白沢くんは、どうしたの?」


 明日香に話しかけられる。


「俊哉は多分、緒川先生に付き添ってるんだと思う。」

「そう。」


 明日香はそれ以上言わなかった。テスト中のクラスの雰囲気もいつもとは違う様子だった。この状態でもいつもと変わらずに問題を解いている僕は異常なのだろう。だが、僕は今までに死を見てき過ぎた。毎日、毎日、千を超える数の死を見てきた。そもそも、今日の夢を見た時点で、こうなることは想像できていた。そういえば、今日僕が見た夢では、事故に遭う人間は制服を着ていた。今日の夢と違う行動をしている人間は、恐らくこの世界で一人だけだ。


そうか、つまり、今日死ぬはずだったのは緒川先生ではなく、僕だったのか。


 今日のテストが終わったが俊哉が教室に来ることは無かった。教師からは、今朝の横断歩道は通らずに、遠回りをして帰るように通達された。今朝の出来事を思い出したくないという人も多いだろう。だが、学校の坂を下りたくらいの場所に人だかりができていた。


「教師が事故に遭われたというのは本当でしょうか?」

「実際に、現場を目撃しましたか?」

「犯人にはどんな刑を要求しますか?」


 マスコミが生徒にインタビューをしているようだった。インタビューされている生徒の中に明日香もいた。


「被害に会われた教師は、どんな先生だったでしょうか?」

「死と向き合っていない人間に、話す事なんて無いわ。」


 そう言って、明日香は去っていった。僕は明日香の後を追う。


「あそこまで言い切るのは、かっこよかったよ、明日香。」

「聞いていたの?ただ、あの人たちが死体を食べるハイエナみたいで不愉快だっただけよ。」

「ここ最近、物騒な事件が起きてるから、明日香も気を付けて。」

「私よりも、あなたが一番気を付けた方がいいわよ。」


「そうかもね。あと、ホームルームの後、名和先生に呼ばれていたけど何かしたの?」

「昨日、名和先生のお婆様が死ぬということを伝えたじゃない?それで、感謝の言葉を述べられたわ。あと、祖母の家で他に見たものあるって聞かれたけど、昨日先生に伝えたこと以外は知らないって答えておいたわ。」

「そうなんだ。じゃあまた明日、バイバイ。」


「また明日、ね。」


 家に帰ると、ニュースで今日の事件について放送していた。容体は意識不明の重体と述べられていた。夕食時に、母にも今日のことを聞かれた。


「舜はその場にいたの?」

「いたよ。ちょうど、横断歩道にいた。」

「え、大丈夫なの?」

「してないよ。生徒は誰も怪我してないはず。」

「違うわよ。私が言ってるのは内面の怪我よ。」

「内面の怪我?」

「心的外傷とかあるでしょ。ほら、高校生は多感な時期だから、今回のことみたいのを間近で見ると、色々考えこんじゃうでしょ?」

「確かに、友人の妹とかは大きなショックを受けているようだったけど。」

「舜は大丈夫かもしれないけど、しばらくは周りのことは気にかけた方が良いわよ。」

「うん、そうだね。」

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