第6話

「シュコー、シュコー。」


 人工呼吸器が付けられている。体は全く動かず、顔しか動かない患者のようだ。いつもの夢と違う点は、僕はこの場所を知っているということだ。

 ここは、僕の家から自転車で十分程度のところにある総合病院だ。僕自身、何度か利用したことがあるし、祖母のお見舞いなどでも来ているので、病室の構造も理解している。周りには家族と思われる人たちに囲まれている。と、そこへノックの音がした。


「はぁ、はぁ。どう、おじいちゃん?」


 そう言って、息を切らせて病室に入ってきたのは、僕のクラスの担任教師である名和志穂だ。


「志穂や、もう少し近くに来てくれんか。」

「うん、わかった。」


 名和先生が近づいてくる。


「あれ、おじいちゃん。おじいちゃん!おじいちゃん!」


 言葉を告げる前に夢はここで終わった。目が覚めたので、朝食を摂る。


「それにしても、一番驚いたのは舜に彼女がいることだわ。」


 父は朝早くに会社に向かうので、朝食を母と食べていると話しかけられた。昨日の事件のことは警察から両親に連絡されていた。ただ、帰宅して父からは何も言われず、母からは無事でよかったとだけ言われた。


「高二にでもなれば、恋愛の一つや二つ僕だってするよ。」

「あの人と同じでそういうことには無関心だと思ってたから意外に感じただけよ。今度、ちゃんと紹介しなさいよ。」

「機会があったらね。ごちそうさま、じゃあ僕行くから。」


 そう言って、家を出た。


「おはよう、舜。そういえば、昨日ここから数キロの場所で、バスジャックがあったらしいぞ。」


 今日も俊哉が話しかけてくる。僕はその事件の当事者の一人だが、親と学校には連絡があったものの。そのほかにはバレてはいないようだ。


「物騒なニュースだよね、本当に。」

「舜はそういうの自分から巻き込まれて行きそうだけどな。」


 この男、本当は知っているのかと思わせるくらい鋭いな。


「まさか、望んで事件に巻き込まれたことは無いつもりなんだけどなあ。」

「そうか?まあいいや。それで昨日は何してたんだ?俺が暇か聞いたら用事あるって言ったじゃん。」

「私とデートしたのよ。残念だったわね。」


 どうやって誤魔化そうと思っていたら、後ろから来た明日香に本当のことを言われた。


「なんだ、それならそうと言えば良かったのに。でもそのせいで俺はストーカーとデートすることになったんだけどな。」

「ストーカーに狙わる女性が、ストーカーと結婚する話を聞いたことがあるけど、そういうこと?」

「冗談でもやめてくれ、ストーカーっていても、妹のことだよ。俺が一人で買い物にいったら、何食わぬ顔で付いてきたんだよ。」

「あんなに可愛い子ならストーカーされて嬉しいでしょう?」

「妹にそんな感情無いよ。いいなあ、二人は楽しそうで。」

「そうね、昨日は楽しかったわ、スリリングだったし。」

「デートしててスリリングなことなんてあるか、普通?」

「そういえば、数学の課題やったか、俊哉?」


 僕は慌てて、話を変えようとする。なんとか話題を変え、教室へと入る。ちょうどチャイムが鳴り、朝のホームルームが始まる。


「さて、今日は全員いますね。連絡事項は、今日からテスト週間で来週には期末テストだから、きっちり勉強するように。今回の化学のテストは私が作るわけじゃないから、分からないところは何でも聞きに来てもいいわ。じゃあ、以上。」


 僕らの担任の名和先生は教え方が上手く、ノリも悪くないということで生徒からは人気がある。それに今年三十歳とは見えないほど綺麗なのも。生徒から好かれる理由かもしれない。そんな名和先生が僕のもとにやってくる。


「昼休みに、富貴さんも連れて職員室来てくれる?生徒指導の先生が、昨日のことを聞きたいらしいの。」

「分かりました。」


 午前中の授業を当然のように舟をこいで過ごし、昼休みに職員室へと向かう。


「二人して職員室行くって、もしかして・・・。」


 俊哉は明らかに間違っている想像をしているのだろう。


「失礼します。」


 ノックして職員室の名和先生のもとに行く。生徒指導の緒川に連れられ、生徒指導室に入る。


「別に、怒るわけじゃないから安心しろ。むしろ、俺としては誇らしいよ。」

「はぁ。そうですか。」


 適当に相槌を打つ。


「それで、なぜ警察からの感謝状を断ったのだ?」

「警察の方にも言ったのですが、目立ちたくないんですよね。それに実際に犯人を捕らえたのは一ツ木さんですし。」

「そうは言っても、警察の話では、お前の咄嗟の行動も犯人逮捕に大きく関わったと言ったいたぞ。」

「もう、舜が嫌だって言っているのだから、この話は終わりじゃないんですか。」


 明日香も味方してくれる。


「だがな、ほら、学校としては、アピールにもなるしだな。」


 それが本音だろう。この学校にはこんな素晴らしい人がいるということを外部にアピールにしたいのだ。僕がそんなことに協力する義理は無い。


「緒川先生、ここは彼らを尊重しましょう。さ、もう教室に戻っていいわよ。」


 ここまで黙っていた名和先生も助け船を出してくれた。


「名和先生、ありがとうございました。」

「いいのよ、緒川先生はちょっと強引なところがあるわよね。」


 教室へと変える道を三人で歩く。今朝の夢では、名和先生の祖父は今日死ぬだろう。だが、それを僕にはどうすることも出来ない。おじいちゃんのことを気にかけた方が良いですよなんて言い始めたら、ストーカーか何かと思われてしまうだろう。


「私の気のせいなら申し訳ないんですけど、、名和先生今日は少し元気が無い気がします。気分でも優れないんですか?」

「生徒に心配されているようじゃ駄目ね。大丈夫よ。ちょっと考え事してただけで、元気マンマンなんだから。」


 名和先生は空元気を装った。そして教室へ入っていく。名和先生は授業の間はいつもと変わらない様子だったらしい。疑問形なのは、放課後に明日香に聞いたからだ。


「舜が授業中ずっと寝ているのは、夢を見ることと関係があるの?」


 明日香と駅まで帰っていると、そんなことを聞かれた。


「死を予兆する夢は夜に寝るときしか見ないから、学校で寝るときは安眠できるのが一番の理由かもね。」

「それじゃあ、徹夜したら夢を見ないの?」

「見ないよ。その日に昼寝しても見なかったし。」

「じゃあ、昼夜逆転すれば、一生夢を見なくて済むね。」

「学校に通っている間は、それは難しいだろうね。それに、僕が夢を見なくても誰かはどこかで死んでしまうだろうしね。」

「そうなの。残念ね、舜が起き続けることでいくらでも命を救えるのなら、舜は死神とは真逆の存在だったのに。」

「それよりも、もうすぐ夏休みだね。次は水族館以外の場所にするからね。」

「その前にテストがあるはずだけど、あなたには関係が無かったわね。」

「俊哉が絶対に週末、勉強教わりに来るから、無関係では無いよ。」

「ついでに私も教えてもらおうかしら。」

「え?」


 週末は家デートらしい。家に帰り、母に伝えておく。


「来週テストあるから、土曜は友達がうちに来る。」

「俊哉くんでしょ?分かったわ。」

「あと、明日香も来るから。」

「え!彼女さんも来るの!どうしよう、何か好きな食べ物とかあるの?ちゃんと用意してるの?お母さんたちはいない方が良いわよね。」


 矢継ぎ早に質問が飛んでくる。僕よりも浮かれているようだった。あと用意については深く聞きたくないし、俊哉もくると言ったはずだ。


 インターホンの音が鳴る。勉強会の日がやってきた。扉を開けると、俊哉と明日香がいた。そして、俊哉の後ろにもう一人いた。


「なんか増えてない?」

「美玖がどうしても来たいって聞かなくてさぁ。」

「すみません。今日はよろしくお願いします。」


 ここまで来て断るわけにはいかないので、部屋に上げる。


「分からないとこ出てきたら言って。僕はそれまで本でも読んでるから。」

「舜はいつもこんな感じなの?」

「そうだよ。俺が一生懸命勉強してる横で、余裕そうに本読んでやがるんだ。」

「そんな風に思ってるんなら、帰らせるよ。」

「舜さんは勉強しなくても大丈夫なんですか?」


 美玖ちゃんが僕に聞いてきた。


「定期試験は教科書や参考書の範囲だけである程度の点数が取れるから、それを読めば一夜漬けでなんとかなるよ。満点取りたいなら、授業の話を聞いた方が良いけど。」

「全く参考にならない勉強法だな。」


 俊哉は呆れるように述べた。


「お兄ちゃん、ここが分からないんだけど。」


 美玖ちゃんが俊哉にべったりとくっつく。いちゃつくなら、外でやってほしい。


「俺に勉強を聞いても無駄だぜ。」


 かっこよく言ったつもりかもしれないが、実際は一年前のことも覚えていないことを告白しているだけだった。


「期末テストが終われば、夏休みね。舜は夏期講習受けるの?」


 僕の高校は、夏休みの間も夏期講習と言って、学校で補修のようなものが受けられる。授業中ずっと寝ているような僕が受けるわけは無いけど。


「美玖も来年からは夏期講習あるのかー。二年生の夏から勉強漬けって考えると今からナーバスだよ。」

「一応、進学校だからな。こんなやつもいるけど。」

「誰が、こんなやつだ。でも今から大学なんて決めてるやついるのかね。」

「私は決めているわよ。」


 明日香は決めている国立大学があるらしい。


「じゃあ、僕もそこにするよ。」

「おっ、お二人さん見せつけてくれるねー。」

「美玖たちも明日香さんたちに見せつけよっか。」


 それは道徳上、見せないでほしい。


「もう、四時か。そろそろ帰るわ。」


 僕が三冊目を読み終わったくらいで、俊哉はそう言って帰っていった。


「明日香はまだ帰らないの?」

「私に帰ってほしそうな言い方ね。」

「ご両親が心配するんじゃないかと思って聞いただけだよ。」

「両親ならいないから安心していいわ。それに、祖母は私の心配なんかしないし。」

「そう、だったんだ。」


 初耳だった。


「私が一番初めに好きになったのは父だったわ。そして、その次は母。もう私の言いたいことは分かるわよね。」


 明日香が好きになった人間は死ぬ。死神の始まり。だが、僕はおどけるように言う。


「つまり、まだ僕のことは好きになっていないってことだね。」

「そうだけど、そうじゃない。これ以上、私に構わないで。」


 そこで言葉が途切れた。僕はその端を紡ぐ。


「好きになってしまうから?」


 僕は明日香の目を見つめる。吸い込まれそうな黒い瞳。曇りのないその瞳を見続けていたい。そして、僕の顔が君に近づいていく。


「あれー、もしかして二人きりなの!」


 部屋の扉が開かれ、そんな声が聞こえる。


「あれ、もしかして邪魔しちゃった?」


 僕らはすぐに離れた。いつの間にか帰ってきていた母が僕の部屋に入ってくる。


「別に何もしてないけど、マナーとしてノックをしてくれ。」

「あ、あのお邪魔しています。」

「あなたが明日香ちゃんね。始めまして。それで舜になんて言われて付き合い始めたの?どれくらい進んでる?いつでもうちに来ていいからね!今日はご飯食べてく?」


 相手に喋らせるつもりが無いほどのマシンガントークだ。というか、僕の注意を聞いてほしい。


「あの、舜くんには、僕に名前をくれって言われて付き合い始めました。」

「キャー!あんたやるじゃない!見直したわよ!」


 僕の背中を何度も叩いてくる。確かに明日香の死神って名前は、僕が貰うとはいったけど、その言い方だと、別の意味にしか聞こえない。


「あの、そろそろ暗くなってきたので、帰りますね。」

「残念、もっと明日香ちゃんとお話したかったのに。舜、ちゃんと家まで送ってくのよ。」

「分かってるよ。」


 二人で家を出る。


「あのさ、さっき何しようとしたの?」


 明日香は笑みをみせる。


「明日香はそれが分からないほど初心なんだ。」

「でもいいの?キスしたら舜は死んじゃうんだよ?」


「キスしたら本当に好きになってくれるんなら、いくらでもするよ。」


「やっぱり、舜は私の話を信じないんだね。」

「明日香の名前を貰うまでは死ねないよ。」

「舜って頭は良いけど、本当に馬鹿ね。」


 そう言うと、彼女と僕の唇が触れた。


「さよなら。」


 彼女の泣いた顔も、よく見ることができないまま、走っていった。


 夜の道を歩く。僕の脳裏には明日香が最後に見せた泣き顔だけが残っている。だからこそ、僕は、


「絶対に死ねないよな。」


 僕は誰もいない空に独白した。


「おかえり、ご飯できてるわよ。」


 夕食を終え、自分の部屋で休む。明日の僕には、何が待っているのだろう。

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