FishとKiss

烏神まこと(かみ まこと)

1

「ねーねー、アンタさぁ、さっきから仕事の話しかしてないじゃん。つまんないんだけど」


 長身の男が、長い腕でティーカップや茶菓子を置いたお皿を押しのけ、机に突っ伏す。ワタシはお母様がセッティングした名家の男とお見合いしに来たはずなのに、どうしてこうなっているのか。


「こういう場では仕事の話をするのが普通でしょう?」

「それじゃあさ、普通じゃない話してよ」


 そのままの姿勢で顔だけ横にした男は、くるくるとティーカップのスプーンを意味もなく回している。まるで興味のない習い事に参加させられている幼い子どものようだ。子どもとは、とても結婚する気にはなれない。


「それなら、お母様にも話したことがない、とっておきの話をしてあげよう。ワタシの変わった恋愛についてさ」


 彼もこのお見合いに前向きではないようだし、普通なら退いてしまう事実の話でもして、いますぐにお引取り願おう。


「それ、なに? おもしろそうじゃん」


 男がスプーンから手を離し、顔をあげる。ワタシは静かに話し始めた。


「ワタシは、熱帯魚と付き合っていたことがあるんだ」

「きらきらした小魚のこと?」

「違うよ。グッピーとかネオンテトラみたいな小さな魚じゃない。三十センチくらいの大きなやつ。出会ったときは十五センチだったけれどね」

「ふうん? それのどこが変わってんの」

「変わってるでしょう? 人以外の、生き物と付き合ってたんだ」

「キスしたこともあるの?」


 すぐさま気持ち悪いと言って、帰るかと思ったけれど、思いのほか食いついてきた。両手のひらを机につき、体を乗り出してまでワタシの話を聞いている。女学生時代の友人やお母様にも話したことのない記憶だけに、根堀り葉掘り聞かれると戸惑ってしまうのに。


「も、もちろん。キスだってしたことがあるさ」

「へー、どんなふうに?」

「水面から顔を出したときに、唇に優しく触れたんだ。ただしくは唇ではないのかもしれないけれど、なんというか口のまわりが少し盛り上がっていて、唇のように見えるから、そこに……」


 話しているうちに閉鎖的な女子校にいた頃の恋人がいない、友達も少ないワタシの、恋愛に対する興味や欲求を満たすためだけにした禁忌の記憶が生々しく思い出されて恥ずかしい。


「舌は入れた?」

「舌!?」


 驚いて男の顔を見る。気付くと彼の顔はかなり自分に近づいてきていた。好奇心からか、至近距離の彼の目は銀色にキラキラと輝いて見える。言葉で答えるかわりに首を振ると彼は犬歯を見せて笑った。

 

「あはは、入れてないのー? そんなの子どものままごと同然じゃん」


 ケラケラと大きく声を開けて笑う彼を見て、顔に熱が集まるのを感じた。


「うるさいな」


 どうせ恋愛経験に関しては子ども同然だ。まともに顔を突き合わせて話したことのある異性なんて数えるほどしかいない。それも教師や親族に限られている。

 人間との恋愛経験が少ないことがハンデだと自分自身が一番よくわかっているというのに、わざわざ再確認させてくる。嫌なやつだ。


「まあ、でもその方が面白くっていいかなー」

「?」


 そう口にしてから彼は顔を突き出し、ワタシにキスをした。触れた唇は湿っていて柔らかくて、不思議なことに少しぬめり気があった。その感触がやけに懐かしくて、強引にされた口付けだというのにワタシは、そのキスに謎の安心感を覚えた。

 彼の手がワタシの顔をテーブルに突いてない方の手で捕まえる。目を瞑ると、口内に生暖かいものが入ってきた。くすぐったさから身を退きそうになるワタシを静止するように彼は優しく舌先を吸う。水面で水遊びしたときみたいな小さな水音が二人の間で鳴る。はじめての、背筋を走る妙な感覚が、不思議とあの恋の続きを経験しているような気分にさせた。

 長いキスを終えて、目を開けると、お見合い相手の彼が目を輝かせて、こちらを見ている。

 

「ね、面白いでしょ?」


 途端に今日出会ったばかりの男性と濃厚に触れあってしまった事実を実感する。禁忌を犯してしまったときの、お母様にバレたらどうしようという焦りと、まだ誰も知らないという甘い余韻がワタシの中でないまぜになって、鼓動が早くなる。この感覚は、やっぱりあの頃に似ている。

 ワタシは小さく頷いた後、彼に尋ねた。


「ねえ、キミはいったい何者なの? キミはワタシの話に大して驚かないし、キミと過ごしているとなんだか懐かしい気分になる」

「オレ? たぶんそれは……オレが魚だから! あははっ!」


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