カツオ先輩
わけわかんない世界に放り込まれた気分。このアカネが『先生』なんだよ。もっとも照れくさすぎるからオフィスではなるべく呼んでくれないように頼んでるけど、外に出れば、
『泉先生』
もっとも、
『渋茶先生』
こう呼ぶのもいる。クソ、いつまでも祟るんだから。イイ加減、もっと華麗な呼び名を付けてくれてもいいのに、渋茶がはまりすぎて、誰も付けてくれないじゃないの。仕事もツバサ先生やサトル先生と横並び。事務所にアカネ用のホワイト・ボードが出来てるのを見てビックリしたもの。それでさ、それでさ、
「これは受けられますかって」
こうやって確認されるんだよ。依頼料だって桁違いで、アカネがホントにやってもイイんだろうかってのがズラリだもの。選んでるかって、冗談じゃない、どんな仕事だって引き受けてる。あんだけの給料もらってるんだし、歩合だって嬉しいし。ツバサ先生には、
「よっ、働き者。給料増えたらカネ目当てに寄ってくる男がいるから注意しとけ」
こうやって冷やかされてる。専属アシスタントも付くようになった。ツバサ先生に、
「まだアカネにはそこまで・・・」
そしたらホワイト・ボードを指でさして、
「あんだけあるから必要」
とにかくなんでも引き受けてるから、仕事の数だけだったらツバサ先生はともかく、サトル先生に迫る勢い。それもオフィスの生え抜きを回してくれて、
「そこまでしてもらうのは・・・」
「アカネに新人のトレーニングはまだ荷が重い」
たしかに、三年目でいきなりだものね。まだトレーニングされてる方だったし。
そういや本物のマスコミの取材が来た。ちょうどブレークした時に二度に渡る入院騒ぎや、姉ちゃんの結婚式、ひいばあちゃんの葬式が重なって無かったみたい。インタビューとかされるんだけどツバサ先生なんて、
「嬉しいだろ、スターになった気分だろ、それ舞い上がれ、ソレソレソレ・・・」
こういう時ってさぁ、慢心を戒めてお説教の一つでもしそうなもんだけど、
「そうならないように鍛えといた」
そうなんだろうか、よくわかんない。そんなオフォスの中でちょっと暗いのがカツオ先輩。サトル先生の弟子で四年目の先輩。暗いというか顔が引きつってる。
「ツバサ先生、カツオ先輩が近頃変な気が」
「あん、あれかい。個展の準備だよ」
ついにカツオ先輩もそこまで来たんだと思ったけど、
「サトルの温情だ」
「えっ」
ツバサ先生はアカネを連れて自分の部屋に、
「見てみな」
カツオ先輩の持ち味は透明感とでも言えばイイのかな、
「これは・・・ちょっとスッキリしすぎてる感じが」
「言いにくいのはわかるけど、これじゃスッカラカンだ」
おかしいな、前に見た時は透明感の中にも情感がこもってる気がしたんだけど。ツバサ先生が言う通りスカスカとしか思えないよ。
「完全に迷路の中に入り込んやがる。それも、もがけば、もがくほど悪くなってる」
「アドバイスをしてあげれば・・・」
「それならサトルがやってる。アイツは優しいからな。でもここまで来たら裏目だ」
ツバサ先生が言うには、カツオ先輩のテクはもう十分だそう。それはアカネにもわかる。最後の課題はそのテクを活かして自分の世界を切り開くこと。そこでカツオ先輩は悶え苦しんでいるらしい。
「でも、ここをこうやって、ここをこうすれば・・・」
「アカネ、あんたの指摘は正しい。その通りにやればこの写真は良くなる。でもそれだけだ。プロはいつもそれを当たり前のように撮らなきゃ意味ないんだ。こっちを見てみな」
あれ、動画だ。これはもしかして、
「サキの動画だ」
映研の時のも良く出来てたけど、段違いに上手くなってる。素人くささが無くなったと言えばイイのかな。
「カツオのレベルになれば、アドバイスは聞くものじゃない、取り入れるものなんだ。サキは専門学校でのアドバイスを取り入れ、自分のテクとして活かしきっている」
たしかにそんな感じがするけど、
「根本がしっかりしているかどうかだ」
「根本ですか?」
「そうだ、自分がどう撮りたいかの理想としても良い。これが自分の世界でもある。カツオは完全に見失ってるよ」
厳しいけどツバサ先生の話はよくわかる。写真はどんな完成型を頭に描き、それに少しでも近づく努力の側面もあるもんな。あれ? ほんじゃアカネの完成型ってなんだろ。
「アカネのは特別だ。アカネには理想も完成型もない、あえて言えばもっと桁違いに高いところにある。こんな奴を初めて見たよ」
褒められてるのかな。それよりカツオ先輩だけど。
「個展で自分を見つけることが出来なかったら、カツオは終りだ」
数日後にカツオ先輩に誘われて串カツ屋に。なんか嫌なシチュエーションで、サキ先輩の時のことがどうしても思い出されるんだけど。
「アカネ君、君に会えて良かった気がする。サキも言ってたが、本当のナチュラルってこの世にいるんだと思ったもの。フォトグラファーの世界は、アカネ君やサトル先生、ツバサ先生みたいな化物が切磋琢磨するところだって」
「アカネなんて、まだまだ駆け出しです」
「そうだよ、アカネ君でようやく駆け出しの世界なのが、はっきりわかった。ボクが限界までの能力を発揮しても、その駆け出しのレベさえ遥かに遠いよ」
どうしてサキ先輩も、カツオ先輩もあきらめちゃうの。
「でも個展に成功すれば」
「もちろん全力を尽くす。ボクの最後のチャレンジだ」
「カツオ先輩なら必ず成功します」
どうやって励ましたら、そうだ、
「カツオ先輩、限界は自分でそう思うから限界になるって誰か言ってました。常に通過点と思えって」
「その言葉は正しいが間違っている。世の中には、そうである人と、そうでない人の二種類がいる。アカネ君に取ってはそうだろうけどね」
聞きたくない、聞きたくない、カツオ先輩はオフォスに入ってからどれだけ可愛がってもらったことか。サキ先輩が優しいお姉さんなら、カツオ先輩は信頼できる兄貴みたいなものなのに。
「ボクには見えた気がする。自分の進む道が」
「なにが見えたんですか」
カツオ先輩はビールを味合うように飲み、
「とにかく個展が終わってからだ」
カツオ先輩の個展は開かれた。個展の評価方法は聞いたことがある。加納先生の時からの慣習で、弟子を認めれば師匠が受付をやり、認められなければ黙って去っていき、師弟の縁はそれで終りだって。
アカネも会場に行ったんだけど、いつも温顔のサトル先生の目が怖ろしく厳しかった。サトル先生もあんな目をするんだと初めて知ったぐらい怖かった。サトル先生は写真を見終わると無言で会場から去って行った。思わず呼び止めようとするアカネの手をツバサ先生は握りしめ、
「追ってはいけない。アカネも写真を見ればわかるだろう。サトルだって辛いんだ。自分の弟子がモノにならなかったのは全部師匠の責任だからな」
また一人去っていっちゃった。アカネが入門した時には、あんなに上手に写真を撮っているとしか思えなかったサキ先輩や、カツオ先輩でさえフォトグラファーになれなかった。どれだけ厳しい世界に身を置いているか、また思い知らされた気分。
カツオ先輩の姿は翌日からオフィスから消えた。なんとかしたかったけど、アカネではどうしたら良いかわかんなかった。サトル先生も、ツバサ先生も、スタッフもまるで最初からカツオ先輩がいなかったかのようにしているのが恨めしかった。薄情過ぎるんじゃない。一ヶ月ほどしてから、
「おはよう」
「カ、カツオ先輩、戻って来てくれんたんですね」
「さすがに心の整理に時間がかかってね。サトル先生にお願いしてプロデュースの方で雇ってもらった。ま、しばらくは裏方の何でも屋だ。今日の仕事はアカネ君のアシスタンだ」
「よろしくお願いします」
「それはボクのセリフだよ」
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