第47話 見習いシスターの帰還 後編


 どのくらい眠っていただろうか、コンコンとノックの音でフランチェスカは目を覚ました。

 窓を見ると、外はすでに日が暮れていた。


 「失礼いたします。お召しものをお持ちいたしました」とメイドが頭を下げて部屋に入り、もうひとりのメイドが丁寧に畳まれた衣服を手にして入ってきた。


 「さ、着替えましょう」

 「……それくらいひとりでできるわ。そこに置いといて」


 ふたりのメイドがお互いに顔を見合わせる。


 「ですが……」

 「お嬢様の手を煩わせるわけには」

 「いいから出てって! 命令よ!」


 シスターらしからぬ怒号にまた顔を見合わせる。


 「わかりました……何かあればお呼びください」

 「もうすぐ司祭様と枢機卿様がお見えになりますので、お早めに……」

 

 衣服をテーブルに置いて頭を下げ、そそくさと部屋を出るとぱたりと扉が閉まる。

 はぁっと溜息をつき、置いていった衣服を手に取って広げてみる。

 純白のブラウスだ。襟元から下までボタンの両端にフリルがついている。

 スカートは丈の長い黒のビロードという総じて古風な出で立ちだ。


 …………時代錯誤もいいとこね。


 また溜息をつくと、着替えるべく修道服スカプラリオを脱いで下着姿となった。


 †††


 玄関の扉がコンコンとノックされ、老執事のセバスチャンが応対に出た。

 扉を開け、訪問者を一目見るなり、深々と頭を下げる。


 「お待ちしておりました」

 

 訪問者がす、と手を上げると優しい声で。


 「急な来訪で申し訳ありません。お嬢様が御帰還なされたと聞きまして、一刻も早くお目にかかりたいと馳せ参じた次第です」


 キャソックと呼ばれる白の祭服に身を包んだベネディクト司祭がにこりと微笑む。


 「わたくしも同様です」

 

 ベネディクト司祭の後ろからマヌエル枢機卿がぺこりと頭を下げる。

 マヌエルはベネディクトとは対照的に黒のキャソックに、頭には赤いカロッタを被せている。


 「猊下げいか! それにマヌエル枢機卿殿も!」

 

 部屋からアルフォンソとフリアンが出るなり、ふたりの前にひざまずく。

 そしてベネディクト司祭の差し出した手に軽く口づけを。


 「御足労いただき、感謝いたします」


 司祭がにこりと微笑み、ゆるゆると首を振る。


 「なんのなんの。聖フランシスコ・ザビエルの血を引くフランチェスカ嬢のためを思えば、この身いくらでも捧げますぞ。して、彼女はどちらに」

 「私ならここですわ」

 

 上から聞こえてきた声に階下にいる者が全員見上げる。

 メイドが用意した衣服に着替えたフランチェスカが手すりに手をかけながら階段を降りていくところだ。


 「おお……!」と司祭と枢機卿のふたりから感嘆の声。

 段差を一歩ずつ降りていくその姿は普段の彼女からは考えられないほどの佇まいであった。

 さながら名のある貴族の令嬢といったところか。


 「お会いできて光栄です。ベネディクト司祭様、マヌエル枢機卿様」


 スカートの裾をつまみ、頭を深々と下げてお辞儀を。

 その典雅な仕草に司祭と枢機卿のふたりからほぅと感嘆の吐息。


 「お会いするのは洗礼式以来ですが、美しくなられましたな」

 「いやはやまったく。まさに天使の如しでございますな」


 食堂の扉が開き、そこからメイドが「お食事の用意が整いましてございます」と一礼して言う。


 「では皆さま、食事をしながら歓談といたしましょう。どうぞこちらへ」とアルフォンソが食堂へと案内する。


 †††


 食堂ではベネディクト司祭とマヌエル枢機卿が並んで腰かけ、食卓を挟むようにしてザビエル一家がこれまた並んで腰かけていた。

 なお母のフローレンティナは大事を取って会食には参加していない。


 「いや実に光栄なことです。御子息のフリアン殿に続いて、フランチェスカ様の誓願式を執り行うことが出来るとは。これ以上名誉なことはありますまい」

 「しきたり通り、誓願式は今月の第四日曜に行いますので、どうぞよろしくお願いいたします」


 会食を終えたアルフォンソとベネディクト司祭がワイングラスを持って軽く会釈を。

 父の隣でフリアンもそれにならって会釈し、さらにその隣のフランチェスカはグラスをテーブルに置いたままだ。

 「会釈ぐらいしろ」とフリアンに軽く肘で小突かれたので渋々とワイングラスを持って会釈をひとつ。

 

 ――――マジで退屈なんですけど!


 そう叫びたくなるのを堪えながらグラスを傾ける。

 ワインを一口飲んだベネディクト司祭がグラスをテーブルに置き、ふぅとひと息つく。


 「良いワインですな」

 「この濃厚な味わいに芳醇な香りは……年代物のリオハですな」

 「さすがはマヌエル枢機卿殿。ワインに精通されているだけのことはあります。今夜のために蔵から取りだしたものです」


 アルフォンソがグラスを静かに回し、鼻を近づけて香りを楽しむ。

 ふと思いだしたようにグラスから顔を離す。


 「そういえば、フランチェスカ。お前の誕生日祝いがまだだった……な?」

 

 娘のほうを見ると、彼女はちょうどワインを飲み干したところで、ぷはぁっと酒精を吐き出す。そしてグラスをがちゃんと乱雑に置いた。

 「行儀悪いぞ」とフリアンが嗜める。

 だが、当の本人は顔を赤く染め、ろれつの回らない舌で文句を。


 「うるひゃい」


 ひっくと可愛らしいしゃっくり。


 「しぇいがんしきがなによ……アンジローの、いない場所なんて、なんのいみが……こうなったらシスターだって、なんだってやるわよ……!」


 シスターらしからぬ態度に一同が顔を見合わせる。

 それに構わずフランチェスカがデカンターに手を伸ばそうとしたので、フリアンが取り上げるとくうを掴む。

 そしてそのままごつんとテーブルに突っ伏したかと思えば、たちまちくかーっといびきをかき始めた。

 

 †††


 翌朝。

 フランチェスカはがんがんする頭の痛みで目を覚ます。


 「つゥ……!」


 額に手をやりながら半身を起こしてあたりを見回すと、自室のベッドで寝かされていた。

 

 「あー……そっか、夕べの食事で……」


 そこまで思いだすとまた頭に痛みが。痛むのは決して酒だけが原因ではないだろう。

 盛大にテーブルにぶつけた額をさすりながら起きあがろうとするところへノックの音が。

 「失礼いたします」と入ってきたのはメイドだ。朝食を載せたトレーを手にしている。

 

 「お加減は大丈夫ですか?」

 「ん、もう大丈夫よ……ていうか、こんなこと初めてじゃないし」

 

 むしろ清々しい気分だ。

 トレーをサイドテーブルに置くメイドにそう言い、ふと昨夜の出来事を聞いてみる。


 「ねぇ、昨夜のことなんだけど……」


 するとメイドが困惑顔で。


 「フランチェスカお嬢様が酔いつぶれたあと、司祭様と枢機卿様のおふたりはお帰りになられました」

 「そう……特に大きなトラブルはなかったみたいね」


 その時、ドアが勢いよくばたんと開けられた。


 「フランチェスカ!」


 父のアルフォンソだ。

 部屋に入るなり、メイドに「下がってくれ」と命じ、メイドが慌てて頭を下げて「失礼いたします」とドアをぱたりと閉める。


 父娘のふたりだけになると、アルフォンソはふーっと長い溜息をつき、ベッドの娘を睨みつけた。


 「おはよう……パパ」

 「フランチェスカ! 昨夜の失態はなんだ!? お前はもう子どもではないんだぞ!」

 

 シスターらしい振る舞いをしろとくどくどと述べる父に娘はげんなりとする。


 あたしの心配より、体面を気にするのね……。


 説教を終えた父は額に手をやりながらまた溜息をひとつ。


 「もういい。朝食を食べ終えたら、聖書の朗読を……」


 アルフォンソが書き物机に置かれた物に気付く。

 

 「これはなんだ?」


 手にしたのはスマホだ。

 昨夜、着替えるときに置いたものだ。

 聖職者の家系ゆえ、昔ながらの質素な生活を送るザビエル家にはおよそ似つかわしくないものである。


 「ただの携帯電話よ。返して」

 「だめだ。これからシスターとして暮らすお前には不要なものだ」


 スマホを手にしたまま部屋を出ようとしたので必死に止める。


 「まって! 最後にもう一度だけ使わせて! 一時間……いえ、三十分だけでもいいから」

 

 アルフォンソが振り向くと、フランチェスカが悲痛な面持ちで立つ。


 「お願い。最後に思い出の写真を見たいの」

 

 娘にそう懇願されては無下に断れない。


 「……わかった。三十分だけだぞ」

 

 スマホを娘の手に返す。


 「終わったら私に渡すんだ」

 「ありがとう。パパ」


 ばたんとドアが閉められると、すぐにスマホのロックを解除してアプリを開く。

 やはり安藤と舞からメッセージが来ている。

 安藤からのメッセージを下にスクロールしていくとURLが貼り付けられていた。

 その上に「クラスメートが夏祭りで撮ったのを編集したものです。よかったら見てみてください」と一言添えて。

 URLをタッチすると動画サイトに飛んだので、さらに再生をタッチ。

 そこには安藤の言うとおり、夏祭りで舞と繰り広げた対決が軽快な音楽や効果音とともに流れてきた。

 ときおり挟まれるテロップが笑いを誘う。


 「あは……」


 ベッドに腰かけながら笑う。

 画面の中で面白おかしく繰り広げられる騒動に思わず口の端が緩む。

 動画は十五分ほどで終わった。

 頬に手を触れると濡れていた。いつの間にか涙を流していたようだ。

 父からは三十分の猶予をもらっているので、あと十五分しかない。

 残された時間はわずかだ。

 するべきことをすべく、フランチェスカは涙をぬぐい、スマホを手に取って書き物机へと向かった。

 



次話に続く。

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