第47話 見習いシスターの帰還 前編


 ザビエル家に長く務めている老執事のセバスチャンは鏡の前で衣服を整える。

 ネクタイは曲がっていないか? 衣服にシワや汚れはないか? 

 ひと通りあらためてどこにも不備がないことを確かめると頷く。

 ふと窓のほうを見ると、ちょうど正門から車が入ってくるのが見えてきた。

 腕時計を見る。かっきり時刻通りだ。

 ふたたび鏡の前に立ち、ネクタイをきゅっと締め直すと部屋を出た。


 「お帰りなさいませ」


 玄関ホールにて数人のメイドとセバスチャンが頭を下げて出迎える。


 「ただいま、みんな。それとセバスチャン。元気そうだな」

 「は、ありがとうございます。坊ちゃまもお元気そうで」

 

 フリアンからスーツケースを受け取った老執事が礼を言う。

 ちらりとフリアンの隣に立つ若きシスターに目をやる。


 「フランチェスカお嬢様もお変わりなく……」

 「ひさしぶりね。ホントは帰りたくなかったけど……」

 

 兄が嗜めようとした時、玄関ホールの中央に位置する階段からよく通る声。


 「帰ってきたかフランチェスカ」


 修道服に身を包んだ五十過ぎの細いが、がっしりとした体つきの男が見下ろしていた。


 「父上! ただいま帰りました」


 フリアンが頭を下げると、老執事やメイドたちもすぐさま頭を下げる。

 フランチェスカはただじっと父を見つめるだけだ。

 ふたりの父親、アルフォンソは階段を降りてホールに着くとまず息子の肩に手を添えて労を労う。


 「ご苦労だったな。フリアン」

 「ありがとうございます。このとおり務めを果たしてまいりました」

 

 アルフォンソがうむと頷いて、次に娘のほうを。


 「久しいな、我が娘よ。よく戻ってきてくれた」

 

 だがフランチェスカはふいとそっぽを向く。


 「……ママはどこにいるの? 病気なんでしょ」

 「……二階の寝室だ」

 

 母の所在を聞くなりフランチェスカは父の横を通り過ぎ、階段をだだだっと駆け上がる。

 寝室は二階の通路の奥だ。目指すべき部屋のドアをノックも惜しいとばかりにばたんと開ける。


 「ママっ!」

 

 寝室には天蓋付きのベッドから半身を起こして医師から診察を受けている母、フローレンティナが「あら」とにこやかに笑うのとは対照的に医師が聴診器を手にしたまま、ぱちくりと目を開けていた。


 「ママ、大丈夫なの!?」

 「大丈夫よ。ただのカゼだとお医者さまも言っているわ」


 医師がこくりと頷き、聴診器を鞄にしまう。

 

 「健康状態は良好です。ですが、あまりご無理をなさらぬよう……」


 では私はこれでと禿げ上がった頭をぺこりと下げて部屋を出ると、母と娘のふたりきりとなった。

 フローレンティナがふぅっと息をつき、娘の顔を見てにこりと微笑む。


 「ひさしぶりね、フランチェスカ」

 「ほんとに大丈夫なの? 兄さんがあんまり良くないって……!」と医師が座っていた椅子に腰かける。

 「あら、私はこのとおり元気よ。きっとフリアンがおおげさに話したのね」


 ――――あのクソ兄貴!


 「あの子を責めないで。嘘をついてでもあなたを連れて帰りたかったのよ」

 「でも……!」となおも抗議しようとする娘の唇に細い指を当てて、しーっと静かにさせる。

 そして頭を優しく撫でた。


 「しばらく見ないあいだに大きくなったわね」

 

 母と同じ金髪をした娘の頭から頬に手を触れる。


 「おかえりなさいフランチェスカ」

 「うん……ただいま、ママ」

 「日本はどうだった?」

 「うん! すっごく良いところだった! ママも連れて行ってあげたいくらい!」


 顔を明るくさせ、手振りも交えて日本での思い出話に花を咲かせるフランチェスカに母がふふと微笑む。

 

 「あなたが日本で寂しい思いをしているんじゃないかと心配してたけど、杞憂だったみたいね」


 そうそう、と思い出したように手を合わせる。


 「フランスからあなたが書いた手紙届いたわよ」

 「ああ、休暇で行ったときの」

 

 イギリスでマザーに頼まれた依頼をこなし、その見返りとして十日間の休暇でヨーロッパ旅行に行ったのだ。

 パリに滞在した際に購入した絵はがきを送ったことを思いだす。


 「お友だちもできたみたいでなによりだわ」

 「うん。あのね、アンジローっていうの。あと、まいまいって神社の巫女やってる子も!」


 はじめは楽しそうに話す彼女だが、くしゃりと顔を歪ませる。

 俯く見習いシスターからやがて涙が零れはじめた。


 「あたしね……ほんとは、帰りたくなかったの……もっと、日本にいたかった……」


 フランチェスカの手にフローレンティナの手が重ねられる。

 優しくて暖かく包み込まれる感触が心地よい。


 「さ、こっちにおいで」とシーツの上の膝をぽんぽん叩く。

 母の膝へと頭を預けると、また頭を撫でてくれた。


 「覚えてる? あなたが小さい頃はなにか嫌なことや辛いことがあったら、よくこうしてたわね」

 「……ん、ほとんどパパやフリアン兄さんのせいだったけど……」

 

 母からの石鹸の柔らかな香りが鼻腔をくすぐり、うとうととまどろみ始めた時――


 こんこんとノックの音ではっと目を覚ます。


 「失礼します」と入ってきたのはセバスチャンだ。


 「フランチェスカお嬢様のお荷物を部屋に運びました」

 「そ、ありがと。それじゃあたし、部屋に行くから……またあとでね」


 寝室を出たフランチェスカは廊下を歩き、やがて自室の扉の前へと。

 セバスチャンが扉を開け、懐かしき我が部屋へと一歩踏み出す。

 そこは広さにして十畳ほどの部屋で、右側に古風な書き物机、反対側には天蓋付きのベッド。

 そしてその真ん中に位置する腰高の窓からは昼下がりの光がオーク材の床を照らす。

 幼少の頃から過ごしていた部屋だが、まるで知らない人の部屋に迷いこんでしまったかのようだ。


 「あいかわらず殺風景ね……」


 あたりを見回す。入り口の横にはセバスチャンの言うとおりスーツケースが置かれていた。

 そして書き物机のほうへ歩き、机に手を置く。

 彼女が不在のあいだも掃除が行き届いているらしく、塵一つなかった。


 「お夕食はいつものように六時からでございます。本日はお客様もお見えになりますので、お召し替えを」

 「お客様?」

 「はい。ベネディクト司祭サッセルドーデにマヌエル枢機卿カルデナルのおふたりでございます」

 

 それを聞いてフランチェスカは合点がいった。今度行われる誓願式で立ちあうのだろう。


 「そう……わかったわ。もう下がって結構よ」

 

 老執事が「は」と頭を下げ、扉を静かにぱたりと閉めて部屋を出た。

 ふぅと溜息をついてもう一度あたりを見回す。彼女が日本へ発つ前に出たときそのままだ。

 ベッドのほうへ歩き、ぼすんと体全体をマットに預けた。


 「…………疲れたカンサーダ


 ちらりと枕のほうを見ると、夢のなかでも見たウサギのぬいぐるみがちょこんと座っていた。

 

 「ハーイ、パムパム」


 子どもの頃から遊び相手だったぬいぐるみをひょいっと手に取り、そのまま仰向けに。


 「ね、パムパム。あたし、これでよかったのかな……?」


 だが、Xの形をした口からはなにも声を発せず、ビーズの目玉がこちらを見ているだけだ。


 「って、こんなこと、ぬいぐるみのあんたに言ってもムダか……」


 ぬいぐるみを抱きしめたまま、ごろりと横になる。

 そしてそのまま目を閉じて眠った。

 



後編に続く。

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