第41話 最後の晩餐
「じゃあ今夜フランチェスカさんの教会で晩ご飯作りに行きますよ」
久しぶりに日本に帰ってきた見習いシスターとの通話を終えた安藤はスマホをポケットにしまう。
なに作ろうか……? フランチェスカさん、まだ食べたことのないものがいいって言ってたしな……。
ふと思いついてふたたびスマホを取り出してぽちぽちと操作。二度目の呼び出し音で相手が出た。
「はい?」
「あ、神代さん。こんにちは」
「あ、アンジロー? どうしたの?」
神代神社の巫女、舞は声が上ずりながらも尋ねる。安藤がフランチェスカが帰国したことと晩ご飯についてかいつまんで説明する。
「神代さん、こないだ京都に行きましたよね? そこでなにか食べました? 彼女がまだ食べたことのないものを作ろうかと」
「ええとね、食べたのは京野菜とか魚の西京焼きとか……あ、あと大阪でたこ焼きと串カツ食べたわね」
舞の話を聞き、二度三度質問しながら献立を組み立てていく。
「ありがとうございます。神代さん。おかげで献立思いつきましたよ。よかったら神代さんも一緒に来ません?」
「いいの? 今夜はヒマだから別に構わないけど……」
多いほうが楽しいから、と言われては無下に断るわけにもいかない。
「ん、わかった。じゃあ今夜7時にね」
通話を終え、スマホをしまうと安藤はキッチンにいる母のところへ。
「母さん、ホットプレート借りていい?」
「いいわよ。なにかつくるの?」
「ちょっと友だちの家でご飯作りを」
「友だち……あ、もしかしてフランチェスカちゃんね?」
母はこういう事に関しては鋭い。
「と、とにかく借りるからね!」
†††
「ん、わかった。じゃあ今夜7時にね」
安藤との通話を終えて、舞は自室でしばしスマホを見る。
今夜、アンジローと食事か……あ、でもあいつがいるか。
「なにか持っていくのあるかな?」
部屋を出て、一階の台所へ。
冷蔵庫を開けてなにかないかと探していると、後ろから祖父の声。
「何をしとるんじゃ? 舞」
「あ、じーちゃん。今夜友だちの家でご飯作るんだけど、この明太子持っていっていい?」
「おおいいぞ。せっかくじゃからこのお菓子も持ってけ」
氏子さんからもらったという菓子を受け取る。
「ありがとじーちゃん」
これで全ては揃った。あとは時間が来るのを待つだけだ。
†††
聖ミカエル教会本部。
執務室にてマザーは机で各支部の活動報告書を子細に読む。
ノックの音がして「失礼します」とシスターが入ってきた。
「郵便物をお持ちしました」
「ありがとう」
シスターが部屋を出ると、マザーは受け取った郵便物の確認に取りかかる。
支部からチャリティーイベントのお知らせ、知人からの暑中見舞いなどなど……。
「あら?」
郵便物のなかに一際変わったものを手に取る。上質な紙が使われた封筒だ。
そこへふたたびノックの音が。
マザーから許可を得る前に開かれたドアには
「フランチェスカ・ザビエル、ただいま戻りました!」
ひさしぶりに見る元気な見習いシスターにマザーが手にした封筒をトレーにしまって、にこりと微笑む。
「おかえりなさい。休暇はどうでしたか?」
「はい! 充実した休暇でした! ありがとうございます。あ、お土産があるんです」
「私に? そんな気を使わなくてもいいのに」
だが受け取った土産は日本の
「フランチェスカ、これはなんですか?」
「そのー……どっちかと言うとマザーは外国のより日本の味のほうが好きかなーと思いまして……あ、別にお土産を買い忘れていたとかそういうアレじゃなくてですね!」
見習いシスターの下手な言い訳にマザーがふぅっと溜息をひとつ。
「まぁ、あなたのことですからね……何はともあれ、お帰りなさい」
「はい!」
これから教会に帰りまーすと言い残してパタリとドアが閉まると執務室は元の静寂を取り戻した。
受け取った饅頭の箱に目を落としてやれやれというふうに首を振る。
「しょうがない子ね」
そう言うと報告書に取りかかった。
†††
聖ミカエル教会。
扉からカチリと解錠の音。フランチェスカが開けて礼拝堂に踏み込む。
そしてすぅーっと鼻で息を吸う。新鮮な匂いが鼻を抜ける。
「んーっ! 長く空けていると違った匂いがするわね」
からからとスーツケースを転がして隣の住居スペースへ。
それまでがらんとしたダイニング兼キッチンはあるじのフランチェスカが冷蔵庫を開ける音で静寂が破られた。
お茶のペットボトルをコップに注ぐのも面倒なのでそのままラッパ飲みする。
ぷはぁっとひと息つく。そしてキッチンとテーブルを見回す。
出かける前に片付けをしてきたので、そのままで良さそうだ。途端、どっと疲れが出て来た。おまけに眠気も。
時差ボケだ。
「すこし寝よ……」
スーツケースを持ってうんしょうんしょと階段を上るとそこは寝室も兼ねた私室だ。
スーツケースを傍らに置いて、ばふりとベッドに倒れ込み、柔らかいマットがひさしぶりに帰ってきた見習いシスターを優しく受け止める。
ごろりと仰向けになって大の字になるとたちまち眠くなってきたので目を閉じ、くかーっと寝息を立て始めた。
――――どのくらい眠っていたろうか? ノックの音がしたので目を覚ます。
「むにゃ……うにゅ?」
むくりと半身を起こす。こしこしと目を擦りながら目覚まし時計を見やると、針はすでに七時を指していた。
「やばっ!」
ベッドから跳ねるように起きて部屋を出、階段をだだだっと下りる。またノックの音だ。
「ごめん! 時差ボケで寝ていたから! 来てくれてありがとうアンジロー」
ドアを開けると果たしてそこにいたのは脇にホットプレートを抱えている安藤だ。そしてその隣には……
「ついでにまいまいもね」
「ついでって言うな。あと、まいまい言うな」
食材の入ったビニール袋を手にした舞が口を尖らせる。
「台所借りますね」
「うん! たっぷりと腕をふるってね!」
安藤が台所で調理に取りかかり、舞が手伝うのをフランチェスカはテーブルに両肘をつきながら見る。
しばらくすると安藤が「出来ましたよ!」と完成を告げた。
「はやっ! もう出来たの?」
驚くフランチェスカの前にホットプレートが置かれ、そばには具が入ったボウルが。
「あ、これ知ってる! お好み焼きでしょ?」
「似てますけど、これはもんじゃ焼きなんですよ」
「もんじゃ? なにそのモンスターみたいな名前」
「東京の下町の有名なローカルフードだよ。これ使って食べるの」
舞がはいと小さなヘラを渡す。
「ずいぶん小さいヘラね。これでひっくり返せるの?」
「もんじゃ焼きはお好み焼きと違ってひっくり返さないで、そのヘラでそぎ取って食べるんです」
「うん。というか、もんじゃは固まらないからね。あと、タネには色々なものを入れるの」
ボウルの中を見せる。キャベツや水で溶いた小麦粉のほかに豚肉、明太子、餅もち、桜エビなどが混ぜ込んであった。
「けっこう入れるのね」
「駄菓子も入れるよ。あとでこのお菓子も入れるから」
あっけにとられるフランチェスカの目の前でタネを流し込み、じゅうううと小気味良い音を立てる。
「あ、でもいいニオイ」
生地からぷくぷくと泡立つと、それぞれヘラですくって口に運ぶ。
「んんっ!
「でしょう? お好み焼きとは違って素朴な味わいですよね」
「うん! でもなんで『もんじゃ』って言うの?」
これには舞が説明を。
「じいちゃんから聞いたんだけど、焼くときにタネで文字を書いて遊んでたから、文字焼きが由来なんだって。それがなまってもんじゃ焼きになったとか。ちなみに昔はこどものおやつだったって言ってたよ」
「へぇ! 昔はこれがおやつだったのね」
「そりゃ昔は甘い物なんてぜいたく品だったんだし……ってあたしの名前を書くな!」
見るとホットプレートには『まいまい』とタネで書かれた名前が。
それから三人でもんじゃを食べながらフランチェスカの旅行談に花を咲かせる。
「いいなぁ。色んな所に行けて……」
「英語が出来るともっと楽しいんだろうね。あんたって英語以外もペラペラだし」
「そういえばあたしがいない間、ふたりはなにしてたの?」
「俺はふつうに勉強してたな。スペイン語の格変化とか名詞の姓で間違いが多くて……」
「あたしも英語の勉強してた。でもあんたがホントにうらやましいよ」
舞が語学堪能な見習いシスターを見ながらもんじゃをぱくりと食む。
「あたしだって時々言い間違いはあるわよ? 日本語だってひらがなとカタカナは書けるけど、まだ書けない漢字だってあるんだし……それに日本語ってなんで数の単位があんなにあるのか意味不明よ! 例えばさ」
豚肉をヘラに乗せる。
「この豚肉、生きていたら一匹、死んだら一頭、スーパーでお肉になったらワンパック、薄く切ったら一枚、こんなに小さくなったらひとかけらって多すぎない!? ふつうに『ひとつ』でよくない? あとウサギが一羽ってどういうこと!? 羽って鳥でしょ?」
文句をこぼしながらぱくっと口に運ぶ。その様が可愛らしく、おかしいので安藤があははと笑う。
「フランチェスカさんにも不得意があるんですね」
「そういえばさ、イギリスも含めて色んな所に行ったんでしょ? どこが一番良かった?」
舞の質問に「んーと、ね」と少し考える。
「どこも良かったんだけど、やっぱり一番なのはここかな。ご飯は美味しいし、景色もいいし……なにより」
いったん区切ってふたりを見る。
「アンジローと、ついでにまいまいがいるしね」
へへと気恥ずかしそうに笑う。
「フランチェスカさん……」
「あんたにそう言われると、なんだかこっちまで恥ずかしいじゃない……って、ついでにって言うな! あとまいまい言うな!」
食卓が笑いに包まれる。
――同時刻。聖ミカエル教会本部。
「ふぅ……」
執務室にて書類整理を終えたマザーがひと息つく。
「これで仕事はお終いね……あら?」
トレーを見ると一通の封筒が置かれたままになっていた。今日受け取った郵便物のなかにあったものだ。
上質な紙が使われたそれは差出人の名はなく、裏返すと今どき珍しく紋章入りの
そして切手とその上に押された消印からスペインからのだとわかる。
ペーパーナイフを取り出して封を剥がしていき、中から畳まれた便箋を取りだす。
これまた上質な紙に書かれたその手紙は流麗な筆記体の英語で書かれており、マザーが読み進めていくと、だんだんと彼女の表情が真剣なものに変わっていく。
やがて読み終えると、老眼鏡を外してふぅっと溜息をつく。
「ついに、この時がきたのね……」
次話に続く。
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