第42話 SKYFALL①

 ――それは7月の半ばらしい暑い日だった。

 中学校の校舎にて終業のチャイムが鳴る。


 「明日から夏休みだけど、みんな宿題はきちんとするようにねー」


 日直が「起立、礼!」でホームルームを締めくくる。


 「なぁ帰りにハンバーガー食いに行こうぜ!」

 「一緒に帰ろうねー」

 「ゲーセン行くぞ!」


 帰り支度を終えた中学生たちがリュックを背負って同級生を誘う。


 「なぁまなぶ、お前も一緒に来るか?」

 「え、あ、ごめん。これから塾なんだ」

 「あ、そうか。お前、塾通い始めたんだっけ? じゃまたな!」

 「う、うん……」


 学は同級生の背中を見送って溜息をつき、そしてリュックを背負った。


 †††


 「ただいま」


 自宅のドアを開けて帰宅を告げる。奥から母親が「おかえり」と適当に返す。


 「これから塾なんでしょ? すぐに支度しなさい」

 「うん」

 「夏休みに入ったからって緩んじゃダメよ。今のうちに勉強して周りと差をつけるの」


 息子の顔を見もせずにトントントンとリズミカルに包丁を動かす。


 「私立高校の受験は甘くないんだからね。塾から帰ったら電子レンジでチンしてね」

 「うん……」


 自分の部屋に入ると制服から私服へと着替え、参考書やノートを入れたリュックを背負えば塾への準備は完了だ。


 「行ってきます」


 †††


 「であるからして、この代数にxを加えることで――」


 講師がホワイトボードに書かれた数式を教鞭で指しながら説明し、受講生たちがすかさずノートに取る。

 学もその受講生のひとりだ。


 「わかったか? このポイントを抑えれば難関校の入試問題も解けるからな!」

 「「「はい!!」」」と一斉に返事。

 「夏休みだからって油断するなよ! この夏のあいだにどれだけ偏差値を上げられるかが勝負だからな!」

 「「「はい!!」」」


 学も返事をする。例え気が進まなくともだ。


 †††


 夜の8時。塾から帰った学は玄関のドアを開ける。

 「ただいま」と帰宅を告げても家には誰もいない。両親は共働きなのでまだ帰ってきていないのだ。

 ダイニングに行くとテーブルにラップをかけた夕食のカレーが。

 電子レンジで温め、スプーンを持ってテーブルにつくとテレビをつける。

 ニュースを見るともなしに見ながらスプーンで夕食を口に運ぶ。

 これがお決まりの日常だった。

 何の目標も、将来のビジョンもない、ただ親から私立高校を目指すよう勉強させられているひとりの受験生の日常だ。


 ――――やりたいことって、なんだろう?


 惰性的に、また機械的に勉強を受けている学にはいつもこの疑問がついてまわる。教科書や参考書からは答えは得られない問いのように思えた。


 翌日、この日は土曜なので家に両親がいた。


 「じゃあ、あなたはあの子のためになにかしたの!? いつも仕事を口実にして逃げてばっかりじゃない!」

 「子供の教育はお前の役目だろ! 仕事で疲れている俺に押しつけるな!」


 一階で繰り広げられる喧嘩を学は二階の自室で聞いていた。

 最近は私立か別の高校に通わせるかで揉めるようになった。学はまだ聞こえてくる両親の口論をこれ以上聞きたくないというように両手で耳を塞き、さらに現実から目を背けるかのように、ぎゅっと目を閉じる。


 勉強なんていやだ!


 「学! 塾の時間でしょ! すぐに支度しなさい!」


 †††


 とぼとぼと塾へ向かう学の足取りは重かった。


 「なんで、勉強しなきゃダメなんだろ……」


 すでに何度目かの溜息をつく。


 塾、行きたくないな……。


 ふと向こうからわいわいと盛りあがる声がした。どうやら公園のほうらしい。


 なんだろう……?


 気になって覗いてみる。すると、そこには児童たちが取り巻くようにして中心にいる少女に歓声を送っていた。


 「ほいっ! ほいっと!」


 リズミカルに、巧みにサッカーボールをぽんぽんとリフティングするその少女は頭にヴェールを載せ、シスターが着るような服を着ていた。


 「それっ!」とボールを高く上にあげ、落下するボールを見事に背中越しのヒールキックを決めると、足の甲へすとんと着地させた。

 たちまち児童たちから拍手の嵐。

 少女が舞台上で観客の拍手に応えてお辞儀する役者よろしくぺこりと頭を下げる。


 「おねーちゃんありがとー」

 「またねー」

 「バイバーイ」


 児童たちが手を振って別れを告げると少女も手を振る。


 「さてと、いいヒマつぶしになったし。帰るか」


 んーっと伸びをしてくるりと振り返ると、目が合った。


 「ん? 見ない顔ね。もしかして中学生?」

 「あ、は、はい」

 「あたしはフランチェスカ。フランシスコ・ザビエルの末裔で見習いシスターよ。よろしくね」


 そう言うと自称ザビエルの末裔である見習いシスターはにこりと微笑む。


 「それはそうと、若人わこうどよ。なにかお悩みを抱えているご様子。あたしで良ければ聞くわよ?」

 「え?」

 「隠したってムダよ。今のあんたは開いた本のようによく読めるわよ」


 胸の内を悟られたような気がして学は思わず顔を赤くする。


 「悩みがあるなら、吐くとスッキリするわよ」


 その声は不思議と安心感を与えてくれた。それは決して彼女が修道服を着ているからだけではないだろう。

 「ね?」と透きとおるような青い目で見つめられると、吸い込まれそうな感覚すら覚える。

 気づいた時には思いの丈が口からこぼれだした。


 「勉強、したくないです……」




②に続く。

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