第17話 ある老人の物語④

 ユダヤ人一家と日本から来たという若きシスターを乗せた列車はクラクフを出て、いくつかの駅を越え、東へと進む。

 コンパートメントでは頼りない照明の下、アダムたちはだんだんと黒髪のシスターと打ち解けていった。


 「では、はるばる日本からチェコまで奉仕活動に参られたのですね?」とエマが問う。

 「はい。プラハの聖ミクラーシュ教会でお勤めを。それで今はヴィエヴェジャにある教会へむかうところなんです」

 「プラハ? あの、プラハは今どうなっているのでしょうか?」


 黒髪のシスターが顔を曇らせる。


 「やはりプラハでもユダヤ人の迫害はありました……又聞きですが、今度ハイドリヒという親衛隊の将校がプラハを統治するそうです。そうなれば……」


 ※ラインハルト・ハイドリヒ

 親衛隊大将および警察長官であり、ユダヤ人を一掃しようと計画を画策していた。ゲットーの発案者も彼である。

 プラハを統治していたが、1942年5月にレジスタンスの襲撃を受け、搬入先の病院で死亡した。


 「そうですか……」アダムとエマが顔を曇らせる。

 その時、がくんと揺れた。列車が停まったのだ。駅に着いたのかとアダムが窓を見る。だが、よく見えない。


 ここはどこだ? カジミエツ駅はおろか、ヴィエヴェジャ駅まではまだあるはずだが……?


 「あの、良かったらこれを……」


 スーツケースからシスターが3本の蝋燭を取り出す。アダムが礼を言って窓際に置いて火を付ける。

 すると、おぼろげだが、外の様子が見えた。駅構内の駅名が書かれた看板を見る。目的地の駅ではない。

 個室のドアがノックされ、駅員が入ってきた。


 「申し訳ございません。当駅にて検問を行うことになりましたので、身分証の用意をお願いします」


 ――抜き打ち検問! アダムとエマの顔が青ざめた。


 クラクフ駅ではすり抜けたが、より厳しい検査で偽造パスポートが見破られる可能性は高かった。 


 こんな時に限って……!


 アダムがぎゅっと拳を握り締める。発覚すれば銃殺は免れないだろう。よくて収容所送りだ。


 「祈りましょう」

 「え?」


 シスターの提案にアダムが顔をあげる。


 「ちょうどここに蝋燭が三本あります。メノーラー(ユダヤ教を象徴する燭台)の代わりとまではいかないかもしれませんが、祈りましょう」


 そう言ってシスターは手を組み、聖書の一説を唱える。アダムたちもヤハウェに祈りを捧げはじめた。


 一方、駅構内ではオーバーコートを着た年の若い親衛隊将校が立っていた。

 襟章の銀色に輝く刺繍は彼が少尉だということを示している。

 ひゅうっと吹きすさぶ風に少尉はぶるっと身を震わせる。


 「用意出来ました! 少尉殿こちらへ」と伍長が案内する。


 「それで、取り調べではどの部屋を使いますか?」


 少尉が列車を見渡す。すると一カ所だけ窓から明かりが漏れているところがあった。


 「あの部屋を使わせてもらおう」と指さし、列車の中へ乗り込んだ。




⑤に続く。

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