第17話 ある老人の物語③

 夕刻。1台のトラックがゲットーの出入口近くまで来た。


 「止まれハルト!」出入口の歩哨がドイツ語で制止する。

 ライフルを肩に担いで運転席へと歩く。運転手の胸にはユダヤの星が縫い付けられている。


 チッ、ユダ公め。


 「身分証を」


 へいへいとオレイグが身分証を手渡す。歩哨が写真と顔を見比べる。そしてオレイグに返した。


 「どこへ行くんだ? このトラックはなにを積んでる?」


 歩哨が幌のかかった荷台を見やる。


 「へぇ、果物やワインとかでさぁ。シンドラーさんの工場へ運ぶんで」


 ※オスカー・シンドラー

 チェコ生まれのドイツ人実業家。クラクフにて琺瑯ほうろう工場を設立し、多くのユダヤ人を雇って虐殺から救った。


 「シンドラーのところか。念のため、中身を確認するぞ」

 「どうぞどうぞ」


 オレイグが降りて荷台の後ろへ回ると幌を開ける。

 歩哨がライトで照らすと、そこには木樽がふたつと重ねられた木箱があった。

 歩哨が荷台にあがって中身を確かめる。荷物や車のなかに隠れて逃亡を図ろうとするユダヤ人は後を絶たないからだ。

 まず木箱の一番上を確認する。蓋を開けるとそこにはワインの瓶が3本並んでいた。下の木箱も同様だろう。


 「おい、この樽の中身はなんだ?」

 「リンゴです」

 「確かめさせてもらうぞ」


 ライフルの銃床でがつんと当てて蓋を外す。そこにはなるほどリンゴで溢れていた。

 念のためにと腕を突っ込むが、手応えはリンゴだけだ。

 隣の樽を開けるとむわっと異臭が鼻をついた。


 「臭い! これはなんだ!?」

 「発酵させたイワシです。シンドラーさんの好物なんで……」

 「もういい! さっさと行け!」


 へいへいとオレイグが運転席へ戻ろうとする。


 「待てヴァルテ!」


 ぎくりと立ち止まる。


 「な、なんでやしょう?」


 振り向くと歩哨がリンゴとワインを片手にしてやってくる。


 「通行料としてもらうぞ。さっさと行け」


 内心ほっと息をついたオレイグは運転席に戻るとトラックを走らせ、ゲットーの外へと出た。



 しばしトラックを走らせると、人気のないところで停まった。荷台へ回って上がる。


 「もう大丈夫だぞ!」


 するとふたつの木樽の下がぱかりと扉のように開いた。リンゴの樽からはエマが、イワシの樽からはアダムが出てきた。

 最後にヤコブがワインの木箱から出てきた。一番上をのぞいて、下は空洞になっているのだ。


 「ありがとう。オレイグさん」

 「礼は平和になってからで。幸運を」

 「あなたにも幸運を」とエマが胸に手を当てる。

 「ありがとう! オレイグおにいちゃん!」


 オレイグがにっと微笑んで帽子を被ったヤコブの頭をごしごしと撫でる。そしてトラックに戻ると走らせた。それがオレイグを見た最後の姿だった。


 のちにオスカー・シンドラーがゲットーのユダヤ人を雇い入れて終戦まで虐殺から救ったと知ったのは後の話である。


 †††


 クラクフ駅構内。ホームでは列車から降りる乗客と乗ろうとする乗客でごった返していた。


 「パスポートと乗車券を」


 ドイツ鉄道の警備兵、SSの曹長がパスポートを受け取り、次に乗車券を検めると持ち主に返す。


 「行き先はワルシャワか」

 「はい、祖母が病気でして……」ポーランド語でアダムが答える。

 「そうか。座席は二両目だ」と指さす。


 一家が列車に乗り込み、指定のコンパートメントに入ると腰を下ろした。

 そしてはぁっと深い溜息をつく。やっとひと息つけたというところか。


 「高い金を出した甲斐があった」


 偽造パスポートの出来栄えに満足し、上着の内ポケットにしまう。

 このままカジミエツ駅で乗り換え、ワルシャワへ。そこからはリトアニアまで一直線だ。

 アダムがエマを抱きしめ、ヤコブの頬にキスする。

 列車が汽笛を鳴らし、煙突から勢いよく黒煙を吐き出すと動き出した。

 がしゅんがしゅんと音を立てて、列車はホームを離れ、満月の下を走っていく。

 アダムが曇った窓を拭う。だが、あたり一面闇だ。


 「ねぇ、これからどこへ行くの?」とヤコブがアダムを見上げる。


 「リトアニアだよ」

 「りとあにあ?」

 「そう。とても遠いところよ」


 その時、コンパートメントの扉が開いた。


 「あら?」


 黒髪の少女が一家を見るやいなや、乗車券とコンパートメントの番号を確認する。だが、間違ってはいなかった。


 「どうやら駅のほうで手違いがあったようですね。入っても構いませんか?」


 少女がポーランド語で尋ねる。


 「え、ええ。どうぞ」とエマが反対側の座席を指さす。


 「失礼します」そう言うと少女はスーツケースを下ろして席にすとんと腰を下ろす。

 その少女は修道服スカプラリオに身を包み、頭にはヴェールを被っていた。シスターの出で立ちだ。

 その黒髪の少女をヤコブが興味津々で見つめる。


 「ねぇ、おねえちゃんはどこからきたの?」

 「これ!」とエマがたしなめる。黒髪の少女がお気になさらずにとにっこりと微笑む。

 その笑顔は不思議と安心させてくれる。シスターだからというのもあるのかもしれないが……。


 「日本という国から来たの。お名前は?」

 「ヤコブ」と答えると、「良い名前ね」とにこりと笑ったのでヤコブも笑う。


 「時に、どこまで行かれるのでしょうか?」

 「ワルシャワです。カジミエツ駅で乗り換えます」とアダムが警戒しながら答える。

 「そうですか。私はそのひとつ手前のヴィエヴェジャ駅で降ります。そこで奉仕活動をするんです」


 その、と黒髪のシスターが言いにくそうにする。


 「失礼ですが、あなた方はユダヤ人でしょうか? あなたの話すポーランド語には訛りがありますが……」


 アダムとエマの顔が強ばる。


 「やはり、そうでしたか……ご心配はいりません。あなた方を密告するようなことはしません」


 そして胸の前で手を組む。


 「お互い異なる宗教を信じる身ですが、せめてあなた方の旅の無事を祈らせてください」


 そして旧約聖書の一説を唱える。


 “わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、 あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう”(創世記第28章15節)




④に続く。

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