第19話

「妾の名は、そうじゃな……メティスとでも呼ぶがよい」

 少女はそう名乗ると屈託のない笑顔を見せた。

 静まりかえった大空間にメティスの可愛らしい声だけが響き渡る。

「ちと反則じゃが、試しは合格じゃ」

「なんで上から目線なのよ……」

 ジュディスがため息をついてポツリと漏らす。

「うん? お前たちは妾たち天使のことを崇めておるのだろう?」

 くつくつと笑いながらメティスは皮肉げに口元を歪める。

「いいや、違ったな。お前たちは妾たちを実験生物ぐらいとしか思っておらんのだろう」

「御託はいい。単刀直入に問うぞ。……お前は|何だ?」

 私は少女の語りに水を差した。

 緋奈の感情がやけに流入してくる。理解できないものへの困惑と、焦りと、苛立ちが私の思考をも侵食していた。

「翼持つ者はせっかちじゃのう……いや、この場合はその娘が、か」

 見た目からは想像できないほどに落ち着いた語り口と態度をメティスは私たちに見せつける。

 真っ白な顔に焼き付いた真っ赤な唇が艶やかな光沢を持っている。そして、ゆっくりと開かれた。

「妾は何だと聞いたな? それはこの娘らのいる天使教団で行われている儀式の……逆バージョン? という言い方が正しいかのう……」

 沈黙がまたも支配する。

 緋奈の記憶を頼りに私は一つの結論へと辿り着いた。だが、先に口を開いたのは聖女の方だった。

「つまり、あなたは乃亜様を始めとした信徒たちとは成り方が逆ってことね?」

「そうじゃ。理解が早くて助かる」

 パチパチと拙くも手を叩く仕草を、メティスはした。


「つまり、妾は天使が人間と混ざって生まれたモノというわけじゃ」


 私が感じた違和感の正体はこれか。

 人が我らの同胞の力を混ぜられて作られた存在とは邂逅したし、脳にある記憶からも情報を得られた。だが、このメティスと名乗る少女のことは欠片も誰の記憶にないようだった。だから、強烈な存在の違和感をアレほどの距離からでも感じられたらしい。

「ふむ。ならばお前は、我ら側から生まれたイレギュラーというわけか」

「そういう言い方もできる。元々、今の世界ができた時点で我らの存在はそもそも理の外じゃからの。……それは知っておるのじゃろ?」

「もちろんだ。だが……」

「うむ。ヤツが|表に干渉したことにより、世界の理から外れたモノが生まれた。そして理が組み替えられていくような形で、乃亜と呼ばれる存在の顕現に成功してしまった」

 私の知りたいことはここまでだ。これ以上の干渉はこの娘に負担をかけるだろう。

 緋奈はついてこられていないようだ。混乱と困惑で思考がから回っているらしく彼女に主導権を返そうと思ったがままならない。

「全然、ついていけないんだけど。とりあえず、あたしからも聞いておきたいことがあるんだけどいい?」

「妾が答えられる範囲のことならばな」

 ジュディスもかなり混乱しているようだが、確認したいことがあるらしく、メティスをじっと見つめた。

「あなたは、あたしたちの敵なの? 味方なの?」

「…………? あぁ、なるほどのぅ。もし敵だといったらどうするのじゃ?」

「これはあたしの直感だけど……あなたはとてつもなく危険。敵ならこの場で殺すしかない」

 声のトーンがかなり落ちた。その目に敵意を通り越して明確な殺意を宿している。

 得物を構え直し、聖女は身構えた。

「くっくっく……そう焦るでない。一概には答えられぬし難しい質問ではある。だがの」

 少女は一呼吸おいた。


「お前たちの妄執の果て、妾が生まれたのは事実じゃ。そういう意味では妾はお前たち天使教団の側であろうよ。元がお前たちのいう天使だとしても、の」


 赤い瞳を煌めかせ、子供のような笑顔でメティスは答えた。そこには何の裏もないのだと、私でもわかった。

 ふう、と隣で安堵のため息が聞こえる。視線だけ動かして様子を見ると、ジュディスは肩の力を抜いて、得物を下ろしたのがわかった。警戒を解いたようだ。

「じゃがまぁ、あやつには妾の存在は知られないほうがいいじゃろうて。ま、あやつの目では妾のことは見通せぬとは思うがな」

「あやつって?」

「うん? あやつよ。お前たちの父親? クライス・ハルモニアのことじゃ」

 そこには気遣いもなく、ただただ事実を述べるだけの鋭い言葉があった。

 だが今の言葉で何かが腑に落ちたらしい。緋奈から先ほどまでの思考の渦がさぁっと引いていくのがわかった。

 私はふっと息を吐き出すと目を閉じ、彼女の意識を連れ戻すことにした。


「えーっと、つまり、この今の世界とやらが生まれてからの初めてのイレギュラー、それが父さんってことだね? だから、知られると良くないことが起きるかもってわけだ」


 ボクは自身を取り戻し、真っ直ぐに少女の深紅の瞳を見つめ直した。

 先ほどの話を消化しきったわけではない。だけど大体は理解できたから今の言葉を吐き出せた。

「そういうことじゃ、翼の娘」

 メティスはゆっくりと歩いてきて、ボクの目の前までくると、しゃがめと言わんばかりに手で合図をした。

 よくわからないままにしゃがみ込むと、少女はその透き通るような小さな手でボクの頭を撫でた。小さな手なのに、なぜか母親に撫でられたことを思い出す。

「姉さんに何をーー」

「もう、頭は痛くないじゃろう?」

「え……?」

 戸惑う。その痛みとは、もしかするとアレの痛みのことだろうか。

 そっと撫でる手からの温もりに身を任せる。

 ボクの身体が眠りに誘われていくのがなんとなく分かった。しかもこれは、かなり深い眠りだろう。

「ああ、失礼をした。こんなところで寝てしまっては困ってしまうな」

 自分のしていることに気づいたのか手を退けてしまう。ボクは少し残念な気持ちになりながらも、閉じかけた目を開く。

「メティス、あなたはこれからどうするの?」

「うむ。そうじゃのう……この翼の娘の傍におろうかのう。そやつだけでは不安だからのう」

 赤い瞳がじっとボクの奥を見据える。不適に笑うその表情から感情を読み取ることができない。

「……それにの、お前がそれに抗いたいなら妾も傍におるしかなかろうて」

 その言葉を飲み込んでやっと納得がいった。

 ボクの中にいる彼女はどうやら、ボクの昇華を抑えてくれているらしい。そしてその手助けをメティスは買って出たのだ。

「姉さんの側にこんな危険な奴を……でも、あたしじゃその手助けはできないし」

 妹もおそらくその目で核心にたどり着いたのだろう。一概に否定はできないのか悩み倒している。

「ううむ。大丈夫じゃ、害したりはせん」

 少女は屈託のない笑顔をジュディスへと向けた。

「ぐぬぬ……わかったわよ。……それならとりあえず、地上に戻りましょう」

「おお!! やっと地上に出られるのじゃ、知識としては識ってあるが見るのは初めてじゃ」

 メティスは子供のようにはしゃぐ。もちろん話し方とは比べるもなく子供の姿なのだが。

「ほれほれ、行くぞ翼の!」

 手が触れる。ひんやりとした心地の良い温度がボクの手に広がっていった。

 ぼんやりとした眠気を振り払いながら立ち上がってついていくことにする。

 メティスという存在は、おそらく教団が生み出したこの世界にとってのイレギュラーであって、そしてボクらが父さんを出し抜く上で必要不可欠な存在となるのだろう。

 ズキン、としたちょっとした嫌な予感を持ちながら歩き出した。

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方舟へと至る天使たち 月緋 @tsukihi-kiseki

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