第17話

ガタン、という音がして扉が開く。

 空気の流れと共にエレベーター内部へとニューアークが充満していく。先ほどまでの血みどろの空間が嘘のように肺に新鮮な空気が満たされていった。

 ーーこれはこれでおかしな話だ。

 D13。

 正規の入り口とは違う、教団が独自に掘り抜いた穴から檻へと侵入し、研究施設とした場所の最下層。

 今思えば、このさらに下にこの間見たような世界が広がっているのかもしれない。

「姉さん、手術の後から口元が笑ってるよ? 大丈夫?」

「えっ、あ……うん、大丈夫」

 オペの際の手の感触がいまだに残っている。ついさっきのことだから仕方がないのだが、それを無意識に思い出してにやけてしまうのは、よほどボクが壊れている証拠だ。

「ここが目的地のD13だよ」

「なにがあるの?」

 開けた空間は薄暗く、視界は狭い。

「ジュディにはあまり見せたくなかったんだけどなぁ」

 ぼやきながらも、エレベーター横のスイッチをかちりと押した。

 パッと光が点灯する。

 人工的に作られた施設の中だから元々の檻の薄暗さはクリアしている。それに加えて、ニューアークが存在するおかげで電力には困らない。

 そしてなぜか、ここには原生種は寄ってこない。


「っ……!?」


 妹が隣で息を飲むのがわかった。

 照らし出された空間にあったのは、血のように赤い池、無数に転がる幼子たちや大人の信徒たちの死体、そしてそれが作り上げた死体の山だった。

 その山の頂には、見覚えのない少女が佇んでいる。

 彼女は天井から吊るされるように首や手足を鎖で繋がれていて、まるで意識がないかのように微動だにしない。


『D13の天使は変質しました。なんと言っていいものかわかりません……その目で確かめられた方が早いかと』


 とのスメラギの言の通りだった。

「姉さん、あれは……どういうこと?」

「ボクにもわからない。ここには、捕食種イーターと名付けられた天使がいただけのはずだ」

 ボクは頭の中を整理する。

 イーター。同胞喰らいに近い存在ではあるけど厳密には単純に食べる量が多いというだけの種だ。彼らは再生能力が高く、傷つければ傷つけるほど狂暴さが現れ、より凶悪に食い散らかす化け物になるという特性を持つ。だけど。

「彼らは供物さえ常に与えておけば大人しく、制御もしやすい個体だった。……素材を切り出すには持ってこいの個体なんだよ」

 だから鎖で縛り、失敗作という名の供物を与え続けることによってこちらにも安定した素材が供給されるという仕組みを作っていた。

 ここには、捕縛していたイーターと供物となる人間しかいなかった。故にここは、それ以外には施設たりえるものはなにもない。

「供物は、あの子供たちや信徒の人たち?」

「……そう」

 静かに、冷静な声で尋ねるジュディスは一切動揺していないらしかった。D10での動転が嘘のように消え失せている。

 その金色の瞳が揺らぐことはない。

 ボクの妹であり教団の聖女である彼女は、教団の暗部を目の当たりにして、いったいなにを思っているのだろう。

「ところで姉さん、聞きたいんだけど。……いくら量があるとはいえイーターならこんなにも供物を残・す・のかしら?」

「えっ。ん……そうだな。どれくらいの供給かにもよるけど、こんなに残っていることはまずない、と思う」

「そう。……あの子? っていえばいいのかな。なんかね、外れてるみたいなんだ」

「外れてる?」

 こくっと頷く妹を横目に少女へと視線を向けた。

 その時だ。


『眩しいのう……』


 聞き覚えのない声がした。

 ぴくりとその声の主の肩が揺れ、俯いていた顔が上がり、その目がボクたちの姿を明確に捉えたのがわかった。

「お前たちか、妾の眠りを妨げるのは」

 首がかくんと傾いて、まるで人形のように首を傾げる。

 ボクは驚きで声が出なかった。

 原生種には、確かにアイオーンのように人語を介するものもいることがわかった。だがこの子はそれを遥かに超える能力を有している。

 ーー理解のできる言葉を発している。

「なんだ。まーた供物か? もういらんぞ、妾はもうそんな節操なくは食べぬのじゃ……置いておきたいなら好きにおいておけ。…………んん?」

 数十メートル先にいてもわかるくらい、彼女が目を丸くしたのが感じられた。どうやら、ボクらの顔をよく見ているらしい。

 というかこの声、頭に響いてくる感覚だ。この距離なのにはっきりと聞こえてくる。それに確かにその目はボクらを捉えていた。

「おぉっ! 見たことがない顔じゃ! えーと、こういうときは、なんていうんじゃっけ。……そう! ハジメマシテ、じゃったかな……?」

 コクリと頭を下げるような仕草をする。首にかけられた鎖のせいでどうやら上手くいっていないようだったが。

 ジュディスは絆されることなく真剣な眼差しで少女を見つめている。彼女の目ならばこの距離でもはっきりとその表情の動きが見えるだろう。

「むむぅ。なんじゃ、お話しせんのか? もっと近くに寄ってもらって構わんのじゃぞ?」

 この死体と血の池を踏み越えてしかも死体の山を登れ、と彼女は言っているらしい。

 おそらく、ボクらがそれを気擦ることがないとわかった上で。

 ジュディスが、はぁとため息をついた。

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