第16話
オペ室のドアの前に立つ。
ジュディスを置いてきてよかった。この先は禁忌に近いエリア。そもそも人体実験そのものが昔は倫理に反するとかで禁忌だったらしい。
今更だ。本当に、いまさら。
ボクも狂信に落ちていたらそんなこと微塵も思わずやれていたんだろうと思うと恐ろしい。
「はは、さっきのジュディの顔、酷かったなぁ。そのうち軽蔑されそう」
深く息を吐き出して意を決する。
「あぁ、イタイタイタイタイぃ、いぎっ、あっ、あっ………やっ、やぁだぁ!」
幻聴ではない。はっきりと聞こえる声。以前はこれほどではないにしろ少なからず聞いていた叫び。
中へと足を踏み入れる。
「ん……」
そこら中に散らばった肉片、ガラス容器いっぱいの赤黒い液体、薄汚れたクーラーボックス。
鉄のにおいと異臭が混ざり合った血反吐の臭い。
「懐かしいニオイだね」
「っ!? 主任!?」
「あぎっ……あ、あぁ……」
狂気の宿る瞳と何も宿さぬ瞳がボクへと振り返る。
凄惨な状況だった。
手術の真っ只中。身体を刻まれてびくびくと痙攣している幼き少女。叫ぶ力もなくなってきたのか、吐き出す息に僅かに音を乗せているだけだ。血液を流すだけでなく失禁もしてしまっていて、かなり酷い姿だ。
「麻酔もしてないの?」
「え、あ……」
「どんな状態? 天使の素材は? 成功させる気あるの? 迅速に答えて、皇」
手術中の白衣の男へと声をかける。元々ボクの右腕として働いていた男だ。ボクと比べればまだまだだけど、手術の腕はそれなりによかったはず、なのだが。
「俺は、俺は……ふふっははは」
突然の来客に面食らってしまったのか答えが全く出てこないようだった。それどころか不気味な笑いを浮かべている。
「……代わって。皇、君はサポートに回って。早くしないとこの子が死んでしまう」
「ははは…………は、は。……はい」
半ば押し除けるように男の場所を奪い、腕まくりをし、前髪をかきあげる。
「グノーシスの投与状態は」
「……良好です。くくく、今のところ、ニューアークによる悪性の反応はまだ出ていません」
「よし、わかった。……ん。皇、変な笑い方をするようになったねぇ」
まだまだメインを任せるのは早かったようだ。どうやら精神に異常をきたしているらしい。
無理もないか。
視線を下に向ける。
浅い呼吸を繰り返しながらなんとか生存本能の限り生きようとあがく少女。腕、足、腹部、そこら中に傷がある。
「君、加虐趣味だったんだ」
「え、いや、それは」
否定しようとしたようだが、それ以上は言葉を続けず俯いてしまう。ま、こんなことばかりしてればそうなる、ボクも否定はしないさ。
だが。と横たわる少女を見つめる。
大事な血管まで到達しそうな部位がある。下手に動かしたら即死してしまうかもしれない。
「手伝って。反対に向ける」
ゆっくりと上半身と下半身を二人で動かし身体を裏返す。冷たい手術台に触れた衝撃で女の子は跳ねる。
「あぅっ、うぁぁ、痛いぃ……」
「ごめんよ、すぐに終わらせるからもう少し頑張って」
麻酔をして意識を落としたら目覚めない可能性も、あるか。仕方がない。ショックで死んでしまわないことを祈る。
「骨髄に天使の生体素材が癒着すればなんとか、なるかも。皇、素材準備しといて」
「わ、わかりました」
心臓が高鳴る。緊張からではないことは明白だった。
久しぶりの、人間の生体改造に心が躍っているのだ。どうすれば成功するか、それしか考えられない。蓋を開けてみれば、ボクだってこんな状態だ。
「ははは、情けない。こんな姿妹に見られなくて良かった。ほんと」
歪む口角を意識して直し、一呼吸置き、メスを手に取る。
骨髄移植の要領で皮膚と肉をメスで迅速に切り裂いていく。
幼子の柔肌にすんなりと受け入れられていく刃を見て、多少なりとも快感が脳裏をよぎったことに自己嫌悪した。
慣れた手つきで骨髄を摘出する。
「あ? あっあぎぃあ、あぁっっっ、やだ、やだ死んじゃう助けて! 助けて天使様ぁ!!」
大量の涙を流し、振り絞った声で自らが崇める天使への祈りを信徒が喚き散らす。
「主任、これを」
「……必ず助けるよ。ボクが」
左手に握った摘出した部位を銀色のトレーに投げ込むと、びちゃあと嫌な音がした。
それから血液に塗れた手で試験管に入った天使の生体素材を受け取る。どろりとして粘り気のある血液だ。これを骨髄の代わりにここに流し込む。
「……ん」
切り開かれた肉体へ化け物の血液を流し込むと、ジュッと音がしてそれはぶくぶくと活性化を始めた。
体内に投与されたグノーシスを一早く見つけ、血液がそれを摂取し始めたのだ。
「ひぎっ、いぁ、あ、あぁぁぁぁあああっっっっっ!」
びくんびくんと少女の身体が波打つように跳ねる。そのまま彼女は一直線にその身を伸ばし、それを数秒維持した後、力なく手術台へと倒れ込んだ。
「主任、これは」
「……もう少し待って」
天使の血液を流し込んだ部位から赤い液体が溢れ出した。それは傷口を覆い尽くし、ふつふつと沸騰するように泡立った後、何事もなかったように静かになった。
ーー傷口が跡形もなく消えている。
それを発端として傷ついた各部位から同じように液体がこぼれだし、身体を修復していった。
「うっ……」
被験体は呼吸を再開した。安定した息遣いが静まり返った手術室の空気を揺らしている。
「……ぶっはぁ…………はぁ」
「主任、その」
「話は後でじっくり聞くから、まずはその子に服着せてあげて」
はい、と皇は返事をして手術室を後にした。
静寂の中、へたり込んでしまったボクと少女の息遣いだけが世界を形作っている。それ以外には、ボクの耳でもほとんど何も聞こえてはこなかった。
「運が良かったねぇ、君」
痛みから解放されてすうすうと落ち着いた寝息を立てる幼子の頭を撫でる。
彼女にとっては、もしかしたら運が悪かったのかもしれない。ここで命を落とした方が良かったと思う時が、いつかくるかもしれない。
「ま、その時はその時」
うん、と頷き立ち上がる。
服のあちこちが色々なもので汚れてしまっていた。
「はぁ」
さっきからため息ばかりだ。嫌になる。これが嫌で子供の施術は凍結したのに。
「すみません、こんなものしかなくて」
薄汚れた毛布を抱えて皇が戻ってくる。人の顔を見たからか手術中よりもかなり落ち着いているらしい。
「十分だよ。……行こうか」
毛布に女の子を包んで抱っこする。身体も洗ってあげられたらいいんだけど、そうも言っていられない。
「皇、この子のこと面倒見てあげてね」
「えっ……はい。わかりました」
俯く男の頭を撫でる。
「ほらほら、ボクが帰ってきたんだからそんな顔しないのー」
「ははは、ありがとうございます」
わずかに笑う同僚の姿に、ボクも頬を微かに緩めた。
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