第15話
耳を澄まさなくても聴こえてくる、声。
嘆き、苦しみ、痛み、恨み、妬み、そして全てがまとまった絶望。生存本能の限り叫び続ける彼らの声が津波のようにうねりをあげている。
子供の声だ。声変わりも終わらぬ、年端もいかない幼子たちの悲痛な叫び。死の間際の断末魔。いま、ここにはそれが渦巻いている。
私は緋奈の妹のジュディスと共に教会のF区へと足を運んでいた。アイオーンは自室に置いてきている。
あの時完全に覚醒した緋奈の記憶、人格とリンクした上で身体を借りているため、道のりは容易く、情報処理も段違いだった。
「姉さん。さっき言ってた場所って?」
「もう少し先だよ、ジュディ」
F区は天使教団が独自に建設した、大規模な工業地区のことである。食糧生産プラントだけでなく、生活に必要な工業製品もこの製造ラインには入っている。
私の目的地はその一区画にあった。一見観光用の円形のタワーのようにも見える建物だ。
地上八階建ての教団の秘匿研究機関。目立っているが故にこの中を怪しむものは少ない。信徒の大部分を遠ざけているのもあるが、見た目はかなりの古い建物で、稼働していると思っている者のほうが少ないだろう。
「姉さん、もしかしてここが……」
地上に出ている部分に武器製造ラインーー特S区画が存在しているからだ。
建物に入り中央に位置するエレベーターの前に立つ。
「ああ、この建物が『工房』だよ」
登録された生体認証キーがなければ起動しないエレベーター。ボタンに触れるとピリッと身体を電流が駆け巡る感覚がして、背筋がゾワリとした。
『緋奈・ハルモニアの生体データを感知しました。認証をクリア。全階層へのロックを解除します』
機械の音声とともにドアが開き、私は足を踏み入れる。ガタッと閉まる音がして、下方へと落ちていく感覚に捕まった。
「遮断しても聴こえてくるこの声。…………」
「うっ……あたしにも聞こえる……」
四角い箱の中はまるで大きな棺のようだった。もちろん私とジュディスしか乗ってはいないが、それこそたくさんの子供が一緒にいるかのような感覚に陥る。聴覚を刺激する音なき声は脳髄へと響き渡り、とどまることを知らない。
『あはは』『痛いよぅ』『きゃはは』『冷たい』『くすくす』『暗くて何も見えない』『ねえねえ』『おとうさん、おかあさんどこ?』『ぐすんぐすん』
降りていくにつれて、その声は増えて、大きくなっていく。これは死者の声かあるいは生者の声なのか、判別がつかない。
脳に無理やり侵入してはかき混ぜるように思考を乱す。この娘が、相当に戸惑い、唖然とし、憔悴していくのが手にとるようにわかる。それはもちろん私にも影響を与え、今まで持ち得なかった感情を想起させられる。
隣ではジュディスが耳を塞いでしゃがみ込んでしまっていた。
地下には空洞の区画が存在し、容易にはここへたどり着けないようになっているため、降りる時間が少しだけ長い。
そんな、永遠のように長い苦痛の末、エレベーターが『D10』の位置で止まった。これは仕様だ。これより下は人が行く場所ではないから。
ガタンと音がして扉がゆっくりと左右へと消えていく。
「……っ」
痛烈なニオイが嗅覚を殴りつけてくる。反射的に涙が溜まり、吐き気を催す。本来の私ならこのようなことは決してないのだが、現世の身体を借りている以上は仕方がない。
ーー代わって。彼の元へついたらまたあなたが使えばいいよ。
いいだろう。
目を閉じて呼吸を落ち着ける。
緋奈の人格をサルベージして、私と置き換える。脳が繋がるもの同士だからか、すんなりといった。
「はぁ。好き勝手やってくれちゃって」
ボクはため息をついてポケットから錠剤を取り出してそれを飲み込んだ。
傍らで妹は既に吐いていた。冷たい床に四つん這いになって嗚咽を漏らしている。
「ほら、ジュディもこれ飲んで」
「……ごめん、吐いちゃった」
気にすることないよ、と背中を撫でる。
妹はボクの手から錠剤を受け取り、飲み下した。その姿を見てボクはふうと胸を撫で下ろす。
さて。
とりあえず、ボクの身体を使って大教会で好き勝手大立ち回りしたこと、仲間を操ったり殺したり色々やってくれたことは置いておくしかない。それはいずれケリをつけるとして。
……うん。ひどい頭痛も、嫌な覚醒感も感じない。これはあの天使のおかげなんだろう。さすがにおあいことはいかないが、まだ人間でいられるのなら感謝せざるを得ない。
ボクはボクのままだ。
「ん。確かめなきゃいけないことは確かめないと」
はらわたが煮え繰りかえるのを必死に押さえながら、ボクは酷い有様に変貌した仄暗い廊下を睨め付けた。
コンクリートの壁にへばりついた粘り気のある液体。散乱する、小さな肉塊。そして鼻がねじれそうな異臭。
「少しはおさまった?」
「うん。ありがとう。これは?」
「精神安定剤。ここに入る職員はみんな常備してる。気が狂ってしまわないように、ね」
妹に微笑みかけ、平静を装う。
彼女がいて幸いだった。もしいなかったらボクはこの事態に平気ではいられず、駆け出していただろう。この異物だらけの空間へ。
「ジュディは、なにが起きてるか知らないんだよね?」
「うん……ごめん、役に立てなくて」
「大丈夫。ね、その目で何か見える?」
ジュディスの吐き気や動揺はある程度おさまったようだが、顔面は蒼白で今にも逃げ出したそうだ。ボクとしても、こんな現場を見られて「姉さんなんか嫌い」なんて言われた日には狂ってしまいそうだから逃げてしまいたい。
「たくさんの……傷ついた子供たちが、そこら中で泣いてる。腕のない子、足のない子、片目がない子……うっ」
ボクには視えないものが、ジュディスには視えているみたいだ。おそらくボクの耳と同じ。さっきから耳鳴りも、騒ぐ子供たちの声も止まない。
今にも泣きそうな彼女の手を握り、進む。
ボクがいない間にこんなことになっているなんて。
左右に見えるガラス窓から中を覗くと、幼子たちが光のない目でこちらを見ていた。目が合うとびくっと肩が跳ねて震え始める。
「みんな、怖がってる」
「ん……そりゃそうだよ、こんな有様なんだから」
子供たちのいる部屋は、端的に言えば牢屋のようなものだ。以前は生体改造に選ばれた裁定者たちの控え室として使われていたのだが、いまは中の環境も酷いものになっているらしい。
D10。ここは工房の中でも一部の者しか立ち入れない天使教団における叡智の結晶の場。
人間を素体とする、天使素材を用いた生体改造をもっぱら行う機関。ボクら職員の中では『福音機関』なんて呼んでいたものだが。
「こんな惨状なら、あっちのほうがマシだったなぁ……」
「うん? なんの話?」
もう一箇所、檻を研究するための機関がG区に存在している。そちらは話し相手もその存在もマッド過ぎて疲れてしまったのだけど。
ボクはそちらでサンプルを採取することを見返りに薬学を学び、協力を得る形で常人には扱えないグノーシスを生み出した。
「ん? あぁ、ボクの仕事場の話だよ」
「へえ……姉さんすごいところで働いてたんだね、あたし全然知らなかったな」
妹に引かれて心が痛い。のだが、多少なりとも妹の緊張がほぐれたようだ。よかった。
歩を進める度、子供たちの視線が刺さる。いまは助けられない。確かにボクのIDならばロックを解除して部屋を解放してあげられるだろうが、それは後回し。
何が起きているのかを、確かめてから。
「ごめんね」
小さく呟き頭を振って歩くスピードを上げる。
廊下を突き当たると奥へと続くドアがあるが、ここも生体認証パネルによってロックされている。
「ジュディ」
「なに?」
「この先はここより酷いものを見るかもしれない、待っていても大丈夫だよ」
傍らに立つ妹へと念を押しておく。
「大丈夫。ここに置いていかれる方がよっぽど怖い。……それに、お父さんがなにをしているかは知らなきゃ」
綺麗な金眼と碧眼がボクを見据える。この空間にあるどんなものよりも美しい瞳だ。
「……わかった」
聖女の決意なら止める理由はない。それに、彼女はボクらの旗持ちだ。大司教がなにをしているか知るべきだろう。
パネルに触れるとエレベーターと同じように解除され、プシューと音を立ててドアが開いた。
「……行こう、ジュディ」
うなずく妹の手は震えている。その手をしっかと握って足を踏み入れた。
この廊下には事務室、オペ室、生体素材保管庫がある。用があるのは事務室とオペ室だ。
「まずはこっちかな」
右手にある事務室の扉を開けた。反対側にある保管庫の存在上先ほどまでよりもさらに空間が冷えている。
パチンと照明の電源を入れると、チカチカと蛍光灯が発光し始めた。
「っ!?」
びくっと部屋の隅で跳ねる物体があった。
よく見ると白衣を着た小柄な女性のようだ。小刻みに震えて頭を抱えて蹲っている。
「もしかして……愛里かな?」
「しゅ、主任?」
そばへと近寄ると、女は上目遣いに顔を上げる。泣き腫らした目がボクを捉えて、少しだけ頬が緩んだように見えた。うん、愛里だ。
「しゅにんー! 会いたかったですよぅ、うええ、助けてくださいー!」
言葉と共に胸に飛び込んでくるのを受け止め、頭を撫でてあげる。嗚咽を漏らす愛里を宥めながらボクは質問を口を開いた。
「何があったのさ?」
「ええっとぉ、ええっとぉ……」
しどろもどろしている。彼女は元々こういう子で、熱心な仕事っぷりと持ち前の可愛さで周囲を和ませていた。
「大司教様がいらっしゃって、『被験体は用意するからひたすら天使化を進めろ』って……特に、子供たちの」
そういって愛里はゆっくりとデスクの上を指差す。
そこには書類が置いてあった。
「これは……」
パラパラと捲る。父さんが言うところの被験体のリストだ。さっきちらっと見た子供たちの顔写真も存在している。
「ん。……ザフト、マーレ、シャハルにセヴェル……? メディオの名前はなし、か」
現在の國の生存圏の地区名が名を連ねている。つまりここにいた子供たちは、ボクたちが住むメディオ地区以外の人間ということ。
「ジュディ、最近人の流入が増えてるの?」
「うん。急にね。……お父さんの計画のために、裁定者の天使化が加速したの。それで」
「各地区の支部の人間がこぞって集まってきた、か」
「居住区は工面できているみたいなんだけど、あたしもさすがに顔とか名前までは把握はしきれてないんだ」
当然だ。各支部の人間が集まってきたら管理しきれるわけがない。
人の流入自体は、ボクが外に出ている間に見聞きした情報とも符合する。流石にここまでの規模とは思わなかったが。
「えっと」
「まだなにかあるの?」
「大司教様はこうも言っておられました。……『人魚の声があれば外の支部の者はいくらでも取り込める』って」
大司教は、洗脳、記憶の刷り込みを各支部の信徒に行うことで、被験体となった子供たちを『いなかったこと』にし、秩序を維持しているらしい。可能か不可能かでいえば、可能だ、間違いない。
だが、メディオではそうもいかない。ここでは子供がたくさん消えれば宵月が黙っていないし、それでなくても聖母の『声』に抗える存在が多い。
大司教のやり方は残酷だが非常に合理的だ。だがあまりにも。
「杜撰すぎる。何を考えているんだ、父さんは」
そこまでして何を求めているのか、ボクにはわからない。
「主任がいない間じゃなければできないから、とも」
「それはそうだけど……」
確かに父さんとは誓約を交わした。
ーー年端も行かない子供達には施術をしないこと。
これはボクら研究チームの総意だった。いくらボクでも、子供の泣き声を聞いて手を止めないほどマッドじゃない。
「愛里、施術は彼が?」
「……はい。ひたすら、眠る間もなくずっと」
そうか、と溜息を漏らしてボクは俯く。
聖女は一言も口を開かなくなってしまっていた。こんな状況だ、無理もない。袂を分かとうとしていたとはいえ、父親を信じたい部分はあったはずだ。ボクにだってある。
「ジュディ」
「……?」
「手術室にはボクだけで行く。愛里のことを見ててあげて」
妹は目を見開いたものの、頷いた。立ち尽くす様子が痛々しい。こんな場所でなければ、いや、ここに来る前だったなら抱きしめてもあげられただろうに。
「主任、ええっと、今の彼、かなり……」
「わかってるよ」
仕事だからとこんなことを続けていたらいつか壊れてしまう。そんなことはわかり切っている。きっと彼も。
ーーいっそのこと、狂信に落ちてしまえていたらよかったのに。
今でも、そう思わずにはいられない時が、ボクにだってある。
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