作戦終了後 緋奈
「はい、みなさんにもよろしくお伝えください。あと、うちのカルマがお世話になります。えっ、ボ……私ですか? いえ、これから戻って仕事がありますのでお先に失礼します。……はい、すみません」
マーレ攻防戦の前に預かった通信端末の通話を切る。信徒への連絡を終えた直後にかかってきたものだ。
遠くに見える夜の空を横目にため息をつく。結局、下層の分厚い雲の下から出ることは叶わなかった。感想は宵月辺りにでも訊いてみるとしよう。
腰を下ろし、座り込むと後ろから声が降ってきた。
「……隊長お疲れ様でした。……どなたからだったんです?」
「ん? あぁ、他企業の隊長の一人からね。祝勝会? ってのに出ないかってお誘い」
「行けばよかったじゃないですか。カルマさんなんて喜んで行きましたよ」
はは、と苦笑すると背中の向こうの観測者も少しだけ笑った。
死の砂漠を一望できる建物の死骸の上で、お互いの顔も見えぬまま言葉を交わす。
「君たちも、行きたいと思うなら行ってくるといい。一人の、人間として」
強調したつもりはなかった。でも、声音が自然と変わってしまっていた。ボクはきっと、厳密には人間ではないからだろう。
「いえ。隊長が行かないなら私は行きません」
闇の向こうから聞こえる女の子の声ははっきりとしている。ボクの耳の能力など関係ない。うん、はっきり話す子は好きだ。
「そうか。なんだか申し訳ないね」
「いえ。とんでもない。ただ、あれだけ働いてた隊長が行かないのに私が行くのも」
どうやら気を遣わせてしまっているらしい。
後ろからゆっくりと足音が近づいてきて、ボクのお尻の横あたりにカコン、と何かを置いた。
「コーヒーでよかったですか?」
「うん。ありがとう」
冷たい缶コーヒーをカシュっと開けて一口煽る。いつの間にかこの味にも慣れてしまった。昔は飲めなかったのに、研究室に詰めるようになってからはこればかり飲んでいる。
「変わった子だね、ボクに話しかけてくるなんてさ」
「そうですねー、こんな機会じゃないとお話なんてできないですし。……隊長はいつも忙しいみたいですし、それに」
彼女はそこで言葉を濁してしまった。言いたいことは大体予想がつく。
上を見上げても星とやらは見えない。そもそも空が見えないんだけれど。
「ありがとう」
「え、いえ……はい」
「なんかね、久しぶりに人と話した気がするんだ。なんでもない、普通の人と」
研究室にいては、狂った信徒と共に研究に励み、教会にいては妹と話し、天使に近いものばかりと話していた。
「はは、教団にいたら普通の人なんていないですよ、みんなどこかが狂っています」
くすくすと女は笑う。それもそうかとつられてボクも笑みをこぼした。
「君、裁定者にはならないの?」
「うーん。改造されるのはなんかなぁ。洗脳に近いことはされてますから、目がよく見えたり足が速くなったりはしましたけど」
「あはは、君はよくわかってる。裁定者になるには、どこか人を捨てなきゃならない」
教団の矛であり盾として、戦士になる必要がある。そのために体を改造され、『使える』ようにする。一般的な、我らが信徒として迎え入れられるのはそこからだ。そして。
「でも、今大司教様が進めている計画。あれについていこうと思ったらやるしかないんですよね」
「うん。半分以上ボクのせいだよ。ごめん」
頭を下げる。相手には見えていないかもしれない。
「いえ。貴女は貴女の家族のために道を拓こうとしただけでしょう。仕方ありません」
この子は、ボクのことをよほど知っているみたいだ。声で誰だかわからないのが申し訳ない。
「……私は、貴女の手でなら改造されても構いません。大司教様が仰る約束の日が本当に来るのなら」
振り返っても表情は見えない。ボクはこの子にどんな顔をさせてしまっているんだろう。ボクの発見が、普通の人間を不幸な道へと誘う。
「人として……今のまま人として生きる道もある」
「下層のスラムに戻って泥水を啜って、汚い男たちに奪われすり減らされ、搾取され何もかもを奪われた奴隷のような、人形のような生活が、人として生きる道だと?」
強い言葉を、彼女は吐き出す。その言葉を、ボクは決して忘れることはないだろう。
何も言い返せなかった。ボクは人ではないから。彼女に人のことを説くことなんてできない。
「……ん。……もし君の決意が本気ならいずれまた、ボクの元を訪ねてきてよ」
「はい」
「そうだ。名前を教えて欲しい」
「え、覚えてなかったんですか? 酷い人ですね」
「ごめん」
「いいえ」
ボクの隣に座る気配がして、そちらを振り返ると目の前に顔立ちの整った女の子が浮かび上がった。
「私の名前は、華雪です。今度こそ覚えてくださいね、緋奈さま?」
その目に煌く強い意志は、以前にも見たことがあったことを思い出した。
どうして、忘れていたんだろう。
「今日はこのまま戻るんですか?」
何事もなかったように華雪はボクの顔を覗き込む。思わず引いてしまうほど、凛々しい顔をしていた。
「うん。戻ってやりたいことがたくさんあるしね、気にかかることもあるし」
「そうですか。ではまた、後日。私は観測の任に戻ります」
言うだけ言って去っていってしまう。
悪いことをしたな、とコーヒーを飲み干して立ち上がる。
さて、帰ろう。
メディオにある教会街区まではボクの足なら夜が更ける頃にはたどり着けるはずだ。
「……ん?」
ぽつぽつと、雨が降り始めていた。
有害物質をたぶんに含んだ黒い雨。人間はもちろん、ボクも当たれば肌が荒れることは避けられない。
「あれ? これは」
足元に傘が置いてあった。きっと華雪が置いていったんだろう。
やがて雨はその勢いを増し、滝のように降り注ぎ始めた。
「奴隷のように、人形のように。……か」
黒い滴に当たりながら、ボクは彼女の言葉を思い出している。耳には雨の音しか届いてこない。
彼らが、人として生きることを奪われたのはいつの頃なのだろう。
わからない。
目頭が熱くなって、ボクは俯いた。
雨は止まない。
打ち付けるように、耳を奪うように降り続けた。
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