外伝 天使は死の砂漠にて

初日 宵月

 出口からある程度の距離に出て、部隊の面々は立ち止まる。

 生まれて初めて、こんな照りつける太陽の下に出た。太陽とは、これほど眩しく暑いものなのだろうか。

 立ち込める熱気が体力を奪い、不安定な砂の大地が足取りを重くしている。ニューアークの元でなければどれだけ体が重いのか思い知らされている。

「緋奈からの情報は受け取ったな?」

 乃亜が皆に確認する。

 弔い人の部隊が一様に頷くのを確認して彼女は進行方向に目を向けた。元々奇襲が目的なのもあるが、弔い人の人数は数十人にも満たない。

「情報通りだな」

 敵部隊の左後方が目視できる位置まで安全に行軍ができている。これも全て緋奈様のおかげだ。さすがは教団指折りの実力者。

「我々聖剣が同行できるのはここまでだ。……あとは君たちが暴れ回り奴らを崩せばいい」

 乃亜が行軍の足を止め、聖剣の守護の中心にいる弔い人たちに告げた。

 目標とする敵までの距離はそう遠くはなく、進軍に問題はない。とはいえ、隊列を組んでいては敵に見つかってしまうだろう。

「ならば先鋒は私が務めます」

 前へと歩み出る。弔い人の中で機動力があり、対多数戦闘で派手に立ち回れてインパクトがある、そんな条件に当てはまるのは数少ない弔い人の中でも数人しかいない。

「宵月、くれぐれも……」

 乃亜は少し表情を翳らせ俺を見つめた。最近心配症になったなぁと、たまに思う。俺は彼女の横へ歩み寄り、耳打ちをした。

「あなたとの約束を果たすまで俺は死ぬつもりはないよ」

 他の信徒には聞こえないように、彼女だけにわかる口調で話す。

 俺は教団では表向き女なのだ。……それはさておき。

 先頭に立って仲間へと振り返る。

「執行者風情が大言を言って申し訳ありません。しかし、必ず彼らの目を集め、足を止めて見せます。その後はみなさん、手筈通りに」

 彼らにとって俺は乃亜の従者でしかない。だがかえってそれが、彼らの口を閉じさせているのだろう。

 反対の意見はなかった。お手並み拝見というところらしい。皆が一様にうなずくのがわかった。

 どちらにせよ初日は地上での作戦のデモンストレーションのようなもの、成功せねば教団に次の作戦はない。帰還するのみだ。

「では、乃亜様。行ってまいります」

「命を粗末にする事は許さないからな。……行ってくるといい」

 それは例え不死であろうと、だ。地上の無理な環境では特に。

 ふふ、と女性のように俺は笑って敵を見やる。

 飛ぶだけならグノーシスのBタイプで問題ない。そうだろう?

 ーーあぁ、あとは我が導く。

 目を閉じて錠剤を口の中へ放り込み、飲み下す。胃で溶け出すのと同時に高濃度のニューアークが身体に吸収されていく。

 心地よい感覚が駆け巡る。

 ちょっとした酩酊とは裏腹に、身体の各部位が軋み出した。腕の血管が弾けて血がこぼれだす。それはやがて灰色に変わり形を作り出していく。

 翼だ。

 禍々しく喰らう者の移動手段。

 俺は身体の表面がドロドロに溶けて、自分が自分ではないものに成り代わっていく感覚に、いまだ慣れていない。

「では、行きます」

 大地を蹴って空へと飛翔する。

 どうにも、空を飛ぶ感覚は苦手だ。そもそも飛んで移動することが少ないし。だから飛ぶことに関しては彼に任せている。そのおかげで上から下の状況をじっくりと見ることができるのだが。

 開戦初日にしては、かなり広範囲に渡って戦線が続いている。

 多くの企業が集まっているとはいえ、これはかなり手こずるだろう。それでもおそらく、これはお互いにとって様子見だ。俺たちも温存を強いられるだろう。

 天使教団は防衛ではなく遊撃を担う部隊としてこの戦線に参加している。どの道、長い時間戦闘を継続できない俺たちにとってはこれしか選択肢はない。

 敵の密集地に風穴を開けて即時撤退。これが今回の戦における天使教団の作戦だ。

 この作戦において目立つ役割を担えば、次の戦闘から警戒されるのは目に見えている。だが、こちらの被害を最小限にした上で打撃を与えるには。

「インパクトのある一人が目を引き、足を止める。その間他のメンバーで包囲して殲滅するのが効果的。敵地の飛び込む先鋒を担うのは」

 当然、不死者でなければならない。再生能力だけであの熾烈な戦闘に参加すれば、回復する前に死んでしまう。

 ーー独り言か? 気楽なものだ。

「さてね……あ。あのあたりがいいかな。他のメンバーとの距離もそう離れてないし」

 敵部隊の左翼の中心地を狙うことにした。

 どの道団体で戦える範囲は左側にとどまるだろうし。

 ーー精々生き残れ。

 人のサイズなら点のようにしか見えない上空へと昇る。ここから、始める。

 太陽を背に翼をはためかせる。気づかれた様子はない。

 深呼吸をし、一直線に落ちる。

 赤い涙は仮面を形成し、手首から溢れる血液は異形の肌を作り出し、肘までを覆い尽くす。

 狙うは大型重機。

 隕石が落ちるように、落下した。

 轟音が響き渡り、砂煙が朦々と立ち込めた。視界が酷く、周囲の敵の姿は見えない。

 聞こえるのは重たい機械が軋む音と、微かな話し声のみ。

 翼と仮面がごぱぁっと水に還り、俺の体表から身体に戻っていく。それとは別に喪失感が身体の一部にあった。

「あちゃー……」

 右肩から先が消滅している。流石に衝撃に耐えきれなかったようで、痛みすら感じることもなく消え去ってしまった。

 意識するまでもなく、どぷっと灰色の水が傷口から湧き出し、綺麗な腕を形作り再生していく。

 ぶおん、と大型のスコップが目前を通り過ぎて、砂の壁を引き裂いていった。俺を取り囲む者たちの姿が目に映るようになる。

「こいつどこからっ」

「女……?」

 戸惑いが隠せぬ様子の無法者たちが、顔を見合わせてこちらを伺っている。

「……砂はじゃりじゃりするし、暑いしでメイクは落ちちゃうなー……」

 などと演技ぶって肩をすくめ、手をひらひらとさせてみる。

「まさか、敵襲?」

 ようやくその考えに至ったらしい。どうやらファーストインパクトは十分なようだ。周囲の機動音は止んでいる。

 俺はせせら笑って今し方壊した鉄塊に甲高い足音を立てる。

「あぁそうだ。敵襲だよ……!」

 握っていたグノーシスを口内へと投げ込み、噛み砕く。

「天使たちよ、宴の始まりだーー」

 目元を覆う仮面と、手から肘までを覆いつくす彼の者の肉体と同期する。体内に溢れるニューアークを俺と融合した天使が喰らっては力を発現していく。どろどろと溶け合うように思考が切り替えられていく。

『喰らい尽くせ、我が暴食を司る触手よ』

 肘から手首にかけて腕の内側が隆起し始める。ぼこぼこと手首に膨らみが到達していき、破裂した。そこから銛のような先端が飛び出し、つながるように脊椎状の骨が伸びていく。

 喰らい尽くす彼の者の触手。伸縮自在の銛のついた骨の鞭。これを力任せに振り回す。

 眼前の敵は呆気に取られいまだに攻撃に移れていない。当然か、こんな化け物を見たら。

 銛、鞭が触れた部位から溶かすように破壊していく。強靭な装甲もこれの前では意味を為さない。

 ーー不味い。たまに少し味がするな。

「文句言うな、確かにほぼ生物じゃないぶんあれだけど」

 キジュウと呼ばれる兵器群を苦もなく食い荒らしていく。この程度のことは造作もないが、できる時間は限られている。

「やっちまえ!」

 ようやくか。

 乃亜、すまない。一回くらいは大目に見てくれ。

 左肩、左腕、腹部、両大腿部、そして顔面。異形化している右腕と目元だけは無傷だが、それ以外はズタズタにされていく。もう少し……と思ったところに脳天へ一撃。致命傷だ。

 口元を歪める。

 傷口から溢れる灰色の体液が身体を瞬時に修復していく。死の直前からの遡行。不死たる所以。そして、すべての傷が元どおりに修復した時、とある感情が湧き出してくる。

「この程度じゃなぁ! 死ねないんだよ! もっとだ、もっと来い! 喰わせろぉ!」

 闘争本能。顕著に現れる俺の精神異常はこれだった。

 破壊衝動、暴食への渇望が噴水のように吹き出してくる。一度死からの回帰をすると少しの間暴走してしまうようになった。

 表出するのは彼の者と自身の本能が混ざり合った自身ではない自分。それを俯瞰して見つめるように俺という理性が存在している。

 グノーシス服用からおおよそ四分が経過した。

 めぼしいキジュウはほとんど破壊し尽くしてしまった。カーマインも、動きを止め呆然と佇んでいる。中にいる人間の部分が、恐怖を感じたんだろう。

「化け物だ……」

 その言葉が耳に届いた時、俺の闘争本能は涙と共に零れ落ちていった。今回は短い。運が良かったのだろう。

 そろそろ五分が経過する。潮時だ。

 敵の後続が合流し、こちらを攻撃してこようとしている。

 合図を送らなければならない。

 左腕が溶けるように形を変える。

 天使化して暴走した信徒の左腕。熊の左腕から細いパイプが三本伸びたようなそれは、俺の幼なじみの腕だった。生体部位がほぼそのまま利用され、負担を軽減させるために緩衝装置をつけられただけの、特別な俺だけの武器。

(レイ。……力を貸して欲しい)

 祈る。天使化した女性への祈り。力を発現するかは彼女の残滓次第だ。

 身体に電流が走る。ありがとう、レイ。

『天雷よ、閃きて我ら天使の道標となれ』

 大地に熊の爪を突き立てると、眩い雷が轟音と共に落ちてきた。周囲に電流が走り去る。

 一瞬の意識の喪失と共に復活する。この武器の一撃の代償は命一回分。ただし、さっきのように異常は起こらない。理由はわからないが、レイの加護だと思っておくことにしている。

 直後。

「合図を確認。みな、聖戦だ。総員グノーシスを服用、このエリアを制圧する!」

 声と共に複数の信徒が動き出すのがわかった。同時に砂嵐が起こり始める。この砂嵐に乗じて彼らは戦場を蹂躙するだろう。

「よっ、お疲れさん。噂通りすごかったぜ。後始末は俺らに任せてあんたは下がりな」

「うんうん。美味しいところはあげたんだからあとはあたしたちに任せなさい」

 鉄塊のような大剣を持つ信徒と、これまた大きなチェーンソーを持つ信徒が両脇に並ぶ。

 鐵と鬼灯だ。

「タイミングバッチリです。ありがとうございます」

 脳にインプットされた地図を頼りに後退する方向へ一足で跳ぶ。他の信徒によってその道は切り拓かれ敵部隊の外郭の外へと出ることができた。

 砂の竜巻の外には多数の銃火器を携えた信徒が並ぶ。

「お疲れ様です、宵月。早く乃亜様の元へ戻って差し上げてください」

 何名かに声をかけられ少しはにかむ。彼らに礼を言って翼を広げる。

 ーー良い仲間たちだな。

 ああ、とうなずき飛翔した。

 残り時間は二分弱、敵影はなかった。この辺りのほとんどの敵を巻き込めたらしい。

 間に合う。

 安堵の溜息とともにスピードを上げた。

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