休息 宵月
なんとか檻へと帰還する。
直前でグノーシスの効果が切れて砂の海へ飛び込んだときはどうなるかと思ったが無事戻ってくることができた。
「おかえり、宵月。砂塗れじゃないかどうした?」
乃亜が待ち切れなかった様子で駆け寄ってくる。この人もだいぶ変わったものだ。
仄暗い洞窟の出口付近、ここには教団の臨時キャンプ地が設立されている。
「ああ、これはですねさっき砂漠で派手に転びまして……」
視線を合わせないようにフードを脱ぎ、服に付着した砂を払う。
他の聖剣の部隊の出迎えはない。おそらく、戦うなり休息を取るなどして忙しいのだろう。それに、俺を出迎えるならこの人だけで十分だということをみなが知っている。
「宵月」
突然両肩を掴まれびくっとした。目線が正面に引き戻され、悲しげな顔の乃亜と目があってしまった。
「何回使った?」
至極真面目な声で俺を問い詰める。
「……戦いでは一回。合図で一回、です」
彼女はハッとした後、俯いてしばらく無言を貫いていた。
乃亜は最近ではいつもこうだ。俺が不死の力を使うたび、こんな悲しそうな顔をする。数年前のあの日を機に、彼女は人の心を取り戻してしまったようだ。以前はもっと気高く、冷徹なくらいであったのに。
「わたしの名前はわかるな?」
「ええ、もちろん。乃亜様」
安心をさせるように、見つめ返す。
ほっと一息ついて両肩から手を離してくれた。緊張していたらしい。
「なぁ、宵月。この近くに湯が湧き出る場所があるようなんだ。行かないか?」
「えっ……今からですか?」
時刻は夕方に差し掛かろうとしている。時間帯もそうだが、俺はまだグノーシスの副作用が抜けきっておらず少し気持ち悪かった。
「そんな砂だらけじゃ休むに休めないさ」
しゅっとタバコ型グノーシスに火をつけ乃亜は煙を吹かす。彼女は昔からよくタバコを吸う。
不死だから身体に悪いくらいがちょうどいいんだよ、とは彼女の言だ。
「そうですね。わかりました」
言い返す言葉も思い浮かばず、従う他ない。
「もちろん、二人でだ」
当然だろう。水浴びなりお風呂に入る際はどう頑張っても女にはなれない。本来男であることを知る者としかその時間は共有できない。
乃亜が先導して歩き始めた。その少し後方からついて歩く。
キャンプで荷物を整えてから出発した。
縦にも横にも広い天然の洞窟。それが檻と呼ばれる場所だ。ここには教団の人間でも上位の信徒にしか立ち入りができない場所となっている。
俺や乃亜はここで過ごす時間の方が長い。地上よりもはるかに空気も美味しく居心地もいい。もちろん、異形が徘徊してはいるがそれほど苦になることもない。
どれほど歩いただろうか。長い時間ではないがこんな洞窟では時間の感覚もあったものじゃない。
それは昔書物で読んだ温泉によく似ていた。地下から湧き出るお湯を湯船に流し込み、人が入れるようにしたもの。だっただろうか。
「温泉だ……」
「なかなかのものだろう?」
わたしが発見したんだ、と得意げに乃亜は話した。
「穴場だ、誰もいないぞ」
いるわけもない。こんな異形の巣窟のような場所で。だがそれにしては、原生種もいないようだった。
「手を突っ込んだ感じだと、ちょうどいい温度だったはずだ」
「わかりました。入りましょう」
砂だらけの服を脱ぎ捨てていく。隣では乃亜も同じように服を脱いでいた。衣擦れの音が聞こえてくる。
緊張はしない。もう慣れたものだ。
「ところで、他に信徒はいないんだから今は敬語じゃなくてもいいんだぞ?」
「いえ、一応念のため」
そうか。と、乃亜は少し寂しそうな声を出した。脱衣の音が止まる。
「よし、入るか」
傍に立つ女性が一糸纏わぬ姿で湯の中へと足を滑らせていく。とぷっという音と共に飲み込まれていく中で、彼女は気持ちの良さそうな声を漏らす。
「んん……」
そのまま肩まで浸かっていって、表情を和らげて俺を見上げる。
「どうした? 入らないのか?」
「いえ……」
さっきの声はずるいと思った。普段から女として生きるということを俺ははるか昔から叩き込まれてきた。だが、彼女といるときは男でいるということもまた、積み重ねてきたのだ。
「興奮したか? くっく、若いな」
「肉体的には同い年でしょう……」
呆れたことにより精神が落ち着いた。
ゆっくりと足をつけることにする。
爪先が水面を貫くと、心地の良い熱さがじわりと伝わってくる。そしてふくらはぎ、膝、太ももと入っていくと、なんとも言えない安らぎが身体を駆け巡っていった。
初めての温泉だった。教団ではいる風呂とは何もかもが違った。
「気持ちのいいものだな」
「はい」
お湯の中にもニューアークが混じっているらしい。体表に触れては熱を作りパチパチと弾けて身体を刺激する。体の汚れを飛ばすだけじゃなく、身体に宿る天使をも落ち着かせているようだ。
「まだまだ戦いは続く。不死の力を使いすぎないように」
「ええ。わかっています、ここは我らの戦場ではないのですから」
乃亜は頷き俺へと身体を寄せる。
柔らかい感触と、人の鼓動が聞こえてきた。
慣れたといっても変わらないものはもちろんある。お互い歳を取らないからか、こういった若さによるときめきは色あせることはなかった。
「乃亜様……乃亜」
「なんだ、『 』」
どちらからともなく身体を抱き合う。
湯船の中にいても彼女の温もりが伝わってくる。
そうだ。俺にはこの人がいれば、この人がいるから戻ってこれる。見失わないで済む。
口付けを交わした。
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