第7話

 ーー蒼。

 そこにあるのはそんな色だった。

 ボクには、その色で輝く大きな存在を一つ二つ知っている。

 一つは海。この陸地の外に広がる大きな水たまり。外を飛び回っている時に見たことがあった。得体の知れない何かが潜んでいそうで、覗き込むのすら怖かったのを覚えている。

 もう一つは。

「ーー空? こんな地下深くに?」

 少しずつ離れていく中、どんどん視界を奪っていく色に見惚れている。下層に住むボクらには、一生縁のない深く澄み渡った「蒼穹」。そんな言葉が自然と脳を駆け巡った。

 あの黒いスモッグのさらに上、教団の人間でもあの上に行こうとする「本物」はいないだろう。信徒に天使などと言われても、ボクらは上を目指そうだなんてちっとも思っていない。それどころかーー。

「天使という名とは裏腹にボクらはどんどん地の底へと向かっている……皮肉なものだね」

 体勢を立て直し着地する。衝撃なくストっと音を立てて靴が大地を噛み締める。

 かさり、と音がしてボクの頭に疑問符が浮かび足元へと視線を投げかけた。

「ん? んん!?」

 緑があった。これも、下層ではついぞ見かけることのない大地の色だ。そんな大地が見渡す限り広がっている。

 遠くには、山や森、谷のようなものも見えた。随分と広大な世界が存在しているらしい。

「はは、ボクらは随分狭い世界に生きてたんだなぁ……」

 ぺたん、と力なく座り込む。

 地上であの大きなタワーを見た時もこんな気持ちになった。ボクらが生きる世界のちっぽけさを。ボク自身のちっぽけさを。でも。

「だからこそ、探求のしがいがあるってものなんだけど……」

 緑に燃える大地、海のように広がる空……正確には天井なんだけど。見上げると一点に大きな赤色の塊が浮いている。あれはもしや、いやそんなはずはないか。

「……よし。一通り絶望した。捜索と探索を開始しなきゃ。それにしても、ここは更にニューアークが濃いみたい」

 しかし、体内への摂取量に大きな変化はないようだ。おそらくはこの、羽織のおかげだろう。

 耳へと神経を集中させる。

「そういうことなら、ボクの耳なら理由がわかるかも」

 微かに空気が動いているのがわかる。それはボクの羽織へと吸い込まれて、そして羽織からも出ているようだ。これは、呼吸?

 地下に生きるものたちは素材となっても細胞が生きていることが研究でわかっている。この効果は納得だ。

「この羽織が呼吸をして周囲の濃度を下げてくれているのか、これなら……リヒト、聞こえるかい?」

 声をかけるが返事はない。先ほどから何も応答がないと思ったらどうやら、通信に障害が出ているみたいだ。あの穴から落ちたからだろうか。

「ふむ。……それなら、ひとまずここで情報を集めつつ、耳を使って消息を絶った仲間を探すとしよう」

 立ち上がって目を閉じた。命の息吹の音色が心地よく精神を落ち着かせてくれる。

 羽織の効果は折り紙付きだ。この吸収量なら壁としての役割を果たせるだろうし、あの嵐がまともに衝突しても大丈夫だろう。ここの生物の素材なら、ボクらみたいに障害も出ないと思うし。

「ならあと必要なのは、壁の中か」

 居住区そのものをここの生物の素材で作るとしたら、どれだけの量と時間が必要なのか恐ろしくて考える気にもならない。ボクらに残された時間は一応決まってしまっている。

「壁の中でのアレの発生は抑えないと。……うん、それならあそこから調べてみるかな」

 教会街区でも見ることができない、自生する樹木の立ち並ぶ森林のようなところへ行こう。遠目で見ても、知識としてある森林の見た目とは逸脱した雰囲気を感じられる。

 今から胸がドキドキしている。この好奇心はもう抑えられるものではない。

「けど弁えておかなきゃだね……ここは足を踏み入れたことがない場所だ」

 原生種と遭遇した場合は基本的には逃げること。それが小型であれ、中型であれだ。

 ボクには戦闘能力は皆無。機動力を利用した撹乱と逃走、耳を使った索敵で敵の目からいかに逃げおおせるか、それだけを考えておけばいい。

 調査に集中しすぎるのも厳禁。原生種に遭遇し、命を奪われれば、ボクは死ぬ。

 今回は、共に戦う仲間もいない。

 それだけが、心細い。でもこの溢れんばかりの探究心は止まることを知らなかった。

「よし行こう」

 走ることはなく歩き出す。

 踏み締める足音が心地よく耳に届いてきた。

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