第3話
「えっ、主任!? 緋奈サマですよね?」
「あ、どもどもー、ご苦労さま!」
ふくよかな男性信徒に声をかけられる。
その声で、研究室で一緒だったのはわかった。だけど、こんなふくよかな研究者の信徒なんていただろうか。名前が思い出せない。
ナゴヤの地下道、その一区画に研究施設が作られていることは知っていた。教会地区の外へ出た場合、研究できる施設は必要なのだ。そしてここには、もう一つの役割がある。
「どうしてここに?」
「あー、嵐に捕まりそうになっちゃってさー。あれが過ぎるまで時間あるから視察でもしちゃおうかなぁって」
「なるほど……」
うなづくと同時に後ろに何かを隠したことに気づいた。もしかして、アレだろうか。
「あー! つまみ食いしてたなー?」
「はは、バレましたか」
だからそんなにふくよかになるんだ、とは言わないでおこう。ここの仕事は相当過酷だしストレスも溜まる。とはいえ、このご時世にそこまでふくよかなのは彼くらいのものじゃないだろうか。
下層に住むボクらは基本的に栄養素だけが詰め込まれた携行食を食べている。それは当時イヅナ精密電子と呼ばれる機関から配給されていたものだ。だが、教団の中にも食糧プラントができてきて、教団内部の食がここ数年で随分と充実してきている。一般的な信徒の食い扶持に関してはほとんど賄えているといえるだろう。彼らのよい仕事にもなっている。
ーーそう、ここにあるのは食糧の栽培、および培養のプラントだ。
そのはずなのだが、一角にこの場に似つかわしくないほどの大きな培養カプセルが置いてあるのが気にかかる。だがひとまずは。
「味は?」
「んー、携行食よりはもちろんおいしいですよ、見た目はアレですが」
男は地下大空洞に住まう原生種の肉をボクに見せる。それは教会地区の地下奥深くにある、いつの時代のものかもわからない大きな世界に生きる存在のものだ。
ーー我々は、親しみを込めてその生物たちを妖精、精霊や『天使』などと呼んでいる。
「食べてみます?」
「ん。それなら一口だけもらうよ」
「『天使の子供』のあなたの口には合うかと」
「はは、ひどいなぁ。ボクは今も昔も『人間』のつもりだよ」
はっと信徒がボクの顔を見る。そして気まずそうに顔を逸らして俯いてしまった。彼とボクがこの汚染地域で生存できるようになった経緯が少しだけ違うからそのような皮肉も出るのだろう。
肉を一口かじりとる。
それはなかなかしっとりとしていて、噛むたびに肉汁が口の中へと広がっていき、甘いような、辛いような独特な味がする。なにより、携行食よりもかなり味が濃い。
「ん……。言うだけのことはあるじゃない。こんなのが製造できてるなんて」
「ええ、私も結構驚きでして。試食と称して色んなものを食べていたらこんな体になりました」
「そんな体で教団に戻ってきたら信徒たちに血祭りにあげられるかもしれないから気を付けて。うん。それにしても順調なようでなにより」
彼がうなづくのを確認した。
大空洞に存在する動植物を養殖、培養し食物の生産を可能にする計画。大司教を務めるボクの父親の計画に合わせて彼が提唱したのを覚えている。相変わらず名前は思い出せないのだが、その頃はもっとスマートな見た目をしていたはずだ。
「あれ? ちょっと待って。ここってこんなに色んな種類を持ち込んでいたっけ? それに……あんな大きな培養カプセル、まるで天使を入れるために作ってるみたいじゃない?」
研究区画に入ってから気になっていた大きな培養カプセル。その話を投げかけると、信徒はニヤリとしてボクの顔を見た。ようやく気付いてくれましたかと言わんばかりの顔だ。その表情には見覚えがある。
「緋奈・ハルモニア様。研究室主任であるあなたにご報告したいことがいくつかございます。今後のお父上の計画を推し進めるにあたって革新的、かつ重要なことです」
「ほほう? それはいったいなにかな? 副主任のーー」
小首を傾げる。
「はぁ……リヒトです、リヒト。相変わらずジュディス様とお気に入りの信徒以外は目に入らないようで」
「ごめん、そんなつもりはないんだ。ただ、君の変わりように驚いてしまって、名前が出てこなかったんだよ」
ふふ、っと2人で顔を見合わせて笑った。
一息ついたところで、リヒトは得意げに語り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます