第2話 

 階下へと降り立ち、一息つくとどっと力が抜けた。意識の過集中が途切れ、平常へと戻っていく。

 ゴーグルを外し、羽織っていた外套を脱いで砂埃を払う。

 ざらついた空気だけが地下へと降りてくる。あの嵐の嫌な感覚は地下道の入り口で立ち往生しているようだ。

 ーー死の嵐が持つ性質は地下までは入り込んでこない。

 以前の調査で判明したことであり、調査を担当している信徒からも報告を受けている。そこに至るまで犠牲になったものもそれなりにいるが。

「未知の領域に踏み込む覚悟、か。それにしてはかなりの痛手だったなぁ」

 もう何年になるだろう。今では死んだ土地とされる汚染地域を調査しよう、なんてボクが言い出したのは。

「ボクのせいでたくさん犠牲にした。でも……ううん、みんなの犠牲のおかげで、ようやくここまでこれたんだ」

 所々崩落はあるが、整然とした地下道が眼前に広がっている。

 最初に入った時は地獄絵図だった。そこら中に白骨化した遺骸が山積みになっていて、とてもじゃないが目を向けられたものではなかった。

「生まれて初めて吐いたよね。研究室で信徒たちが改造されるのはイヤほど見てきたのにさ」

 最初はその時点で調査から外されてしまって全然活躍できなかった。言い出しっぺなのに。

 研究室へ戻ってからその後何回と夢に出てきたかわからない。

 現在は地下区画を開発している信徒たちによってそれは撤去されていて跡形もない。壁も天井も補修され、ある程度その場に存在した死の痕跡は消し去られている。

「開発が始まってからはあまりきてなかったっけ。父さんの計画のせいでほとんど研究室に篭りっきりだったし」

 死の嵐が過ぎ去るには少なくとも一時間はかかる。

 開発の進捗も気になるところだし、時間がなかったからボク自身でほとんど調査できてないから見ておきたい。それに、あの死の嵐を突破しないことには居住区も作れないし。

「ん。妹への報告も大事だけど、こっちもボクの仕事だし」

 と、興味に奮い立つ自分を正当化しておく。正直楽しみでたまらない。

 まず目に入るのは、当時のーーおおよそ百年前のものーー掲示板のようなものだ。所々掠れていて読めないが、電車の路線図らしい。もっとも、ボクはそもそも電車というものを知識でしか知らないのだが。

 ボクらが住む教会街区では稼働していなかったようだし、下層と呼ばれる場所ではもうほとんど走っていないんじゃないだろうか。……至るところから生えてる高い高いタワーの上では走っているのかもしれないけれど。ボクらがその世界を見ることはおそらく一生ないと思う。ボクですらさすがにあの黒い雲を抜けて上に行こうなんて思ったことないし。

「えっと、今いるところは……」

 周囲に目を向けて手がかりになりそうな旧時代の遺物を探す。天井からぶら下がっている看板のようなものが目に留まった。そこには名鉄名古屋駅との記載がある。

 教団による開発が進められていても、邪魔にならなければ旧時代のものは撤去されていないらしい。

 看板と掲示板とを見比べながら、

「ん……これかな。……な、ご……や? ナゴヤ。ふむ……母さんにちゃんと読み書き教えてもらっててよかったな」

 そもそもそれなりの教養がなければ研究者など目指そうはずもないけど。知識だけは叩き込まれたから、役に立つのは素晴らしい。

「ふーん。今と文字の使い方は変わらないのか、ま、確かに昔から続いてる場所に生きてるわけだしね、当然か」

 どうやら、名古屋と呼ばれる場所は、この辺りの中心地のようなものらしい。たくさんの線が名古屋から広がっている。今のボクたちには縁がないけれど、昔ここは『駅』と呼ばれていて、人々の移動の要所となっていたようだ。

「よっぽど便利でいい世界だったんだろうなぁ……ま、ボクには敵わないだろうけど」

 なんて負けじと強がってみせるが、その相手は既に存在していない。少し虚しい気持ちになって頭を振る。

「……よし。視察と参りましょ」

 感傷を振り払うように、更なる地下へと足を踏み入れた。

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