方舟へと至る天使たち
月緋
一章 楽園に墜つる
第1話
「仕込みは順調、っと。だけどちょっと早そうかも。最愛の妹様に報告しなきゃ」
飴玉を口の中に放り込み、舌の上で転がす。徐々にレモンの味が広がり、同時に身体に力が満ちていくのがわかる。
さすがボクの発明品だ。美味しくて力も湧いてくる上位信徒御用達の地上での必需品。みんなもっとボクに感謝すべきだ。やれ副作用がどうだのやれ頭がおかしくなるだの。文句ばっかり言うもんだから効果を落としてまで嗜好品になりそうなキャンディとタバコまで作っちゃったじゃないか。ほんとはここぞって時の増強剤なんだけど。
「まぁでも、これを舐めると落ち着くって気持ち、わからなくはないんだけど」
耳の感覚が研ぎ澄まされていく。
この辺りには生きている者の気配は一切感じられない。息吹すら、鼓膜を震わせることはない。
聞こえるのは変質した空気のざらついた音楽と、それを乗せる気流の旋律のみ。
ーー来る。
嵐の音が遠くに吹き荒れている。それはゆっくりと大きくなり、うねりをあげては叩きつけるように大地を鳴らす。
「死の嵐か……実に興味深いんだけど、直接相対するのはマズいんだよねぇ」
ボクにとってはそれも研究対象に含まれるんだけど、あまり時間が取れなくてなかなか進まないのが難点だ。研究とは別に、教団での対処法の開発は進んでるんだけど一向に上手くいっていない。
このあたりは一般的に汚染地域と呼ばれる場所で、昔の戦争によって生物の住めない土地になってしまったらしい。
建造物の亡骸と砂化粧、そして空気に混じる汚染の原因物質ニューアーク。ここに満ちる大気の組成は、大空洞内のそれと八割以上一致していた。
「っとと、そんなこと考えてる場合じゃない、早く地下に避難しなきゃ」
風が逃げていく場所、逃げてくる場所を音で確かめる。ここから一キロメートルほど北に地下への入り口が綺麗に残っている場所を見つけた。ーーよしっ。
飴玉をカリッと砕いて体内への摂取量を少し増やす。すると、足がふわりと軽くなった。
ーー意識する、足首に翼が生えたイメージを。
瓦礫の残る地面からほんの少しだけ体を浮かし、靴の下の空気の層を蹴りつける。
「んっ……!」
走る、というよりは滑るように空を駆ける。吹き抜ける風が周囲の石壁を叩く音を拾い続けて、最適なルートを探る。ここではあまり遠くは見通せないため、頼りになるのは父親から引き継ぎ、鍛えたこの耳のみだ。
転がる瓦礫、立ち塞がる鉄の大木に触れることなくただひたすらにゴールへと突き進む。
死の嵐が後ろから追いかけてくるのを感じながら、地下道への入り口へと滑り込んだ。
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