入水動機
夏休み直前のロングホームルームは、落ち着きがない。テストも終わって、明日から休みが約束されているぞというテンションの学生は、無敵だった。担任が義務的に彼らを制するのを端目に、僕は机の下でスマホをいじって、調べ事をしていた。
▶自殺 交通事故 夏休み 高二
統計的に、最近の学生は夏休み明けに自殺をすることが多いのだという。学校に行かなくてもいいという安心感でギリギリ生きていた学生にとって、夏休みが終わるという事実は死刑宣告にも等しいのだろう。僕は学校に対しては特別な不満も、憤懣もなかったけれど、夏休みのことが憎かった。結局、長期休みなんてものが人を弱くするし、殺すんじゃないかと思う。人はなんとなく生きる理由とかがあって、疲れたりして、そこに現実感を見出していなければ無気力になる。それを実感として認識したのは、昨夏、友人の倉知が死んだ時の事だった。
倉知は高校に上がってから初めての友人だった。元々、僕らはお互いに人付き合いについて劣等生で、趣味も適当に合ったから、適当につるむのが丁度良かった。出会った時から、彼にはどこかデカダン信仰者的な、暗い雰囲気があって、僕は割とそういう彼の雰囲気が嫌いじゃなかった。彼は、なんとなく、が口癖だった。なんとなく生きてる。死にたい。ヤリたい。ぶん殴りたい。
だから彼は学校にもなんとなく来る。日によって来ないこともあった。それでも、学校はそんな彼をつなぎとめる役割をそれなりに果たしていた。半ば義務的な予定が用意されているのは、彼に都合が良かったのだろう。けれど、夏休みが来て、彼は今まで学校に費やしていた『なんとなく』を、別のことに当てる暇を得た。なんとなく食べる、寝るに始まって、なんとなく遊ぶ、法律を犯す。なんとなく付き合う、セックス......下らない。
その下らないが、彼を死へと歩ませたのだと思う。
彼はその日、財布もケータイも持たずに外に出た。夏の盛りで、外は青くて、白くて、太陽が愚かな人間共を焼殺せんと馬鹿みたいに光っていた。僕はその日、倉知と待ち合わせをしていて、最寄り駅のベンチに腰かけて彼を待っていた。初めての、倉知の方からの呼び出しだった。適当にカラオケでも行こうとか、まるで普通の友人みたいな遊びの誘いで、僕は困惑した。彼は居酒屋とか、パチンコとか、そういう遊び方をする奴だった。
倉知の姿が見えたとき、違和感があった。陽炎で滲んでいたせいか、倉知はスライムみたいにぐったりとした、倦怠的な柔らかさを纏って見えた。心配になって声をかけようと息を吸ったその時、信号の赤に導かれるように倉知は横断歩道へと躍り出た。吐き出そうとしていた『大丈夫?』が死んだ。キラリと、大型トラックがメタリックに反射した。死んだ言葉の残骸は、あっ、という間抜けな呼吸になって消えた。息が苦しい。全ては一瞬で赤く染まる。頭の中で、何度もそのシーンを反芻して......信じられない。死んだ......明らかにそうだと分かった。
その一連の出来事は、警察には交通事故として扱われた。けれど、僕は確かに見たのだ。倉知は、赤信号だけを見ていた。僕を......見なかった。
事故の直後、Queenの『メイド・イン・ヘブン』が流れていた。遠くに吹き飛ばされた、倉知の音楽プレーヤーからだった。イヤホンが抜けていたせいで、空高くまで音が響いた。メイド・イン・ヘヴン......天の思し召し、その歌詞は、彼の心のあり方を断片的に表しているのかも知れなかった。あるいは彼が、その歌詞の影響を受けて生きていたのかもしれない。今となってはもう確かめようはないことだが、赤くなって横たわった彼を新しい何かとして定義付けるかのように、フレディ・マーキュリーの歌声が空まで響いていた。メイド・イン・ヘヴン......メロディが、倉知の死体の中に溶けてゆくのと同じように、僕の流す汗や涙に入り交じって、赤く唸っていた。
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