皿割り工場さかさ娘

ソメガミ イロガミ

皿割り工場さかさ娘

 夏、セミの声が聞こえてくると暑くなるだろう。それは誰だってそうであるし、私とてそうであるし、


「ねぇおじさま。あいすください」


 目の前で街頭にさかさにぶら下がるこの蝙蝠のような娘だってそうなのだ。


 夕日が汗を光らせて無理矢理青春っぽくしているが、彼女の言う通り私は年のいったおじさんである。ンなものはとうの昔に通り過ぎた。


「アイスか。こんな暑い日には確かに冷気が欲しかろう。しかし人にものを頼むときにぶら下がっちゃならんと教わらなかったか」


「このぶらさがりにはふかーいわけがあるのです」


「何ぞや」


「運気上昇!私の実家に代々伝わるまじない!」


「ンなものをアイス求めるためだけに使うなぁ!」


 私がそう咎めると、少女は閉じていた唇を悲しそうに歪めてじっと見つめてくる。やめろ、そんな目で見るな。罪悪感にかられるだろう。いや、もっと他に大切な時があるだろうからそのために取っておけと思ったのだ。そんな追い詰めるつもりはなかったのだ。


 彼女が口を開く。これ以上懇願を重ねられればいくらぶら下がりの礼儀に不安を覚える少女であっても私が耐えられるかわからぬ。


 そう思った時だった。


 彼女は同時に指をさしたのだ。

 

 私の後ろの、古い廃工場を。


「そこで皿を割ってるんです」


「皿割り工場…なんとも奇妙な」


「人の膝の皿を」


「一気におぞましい光景に変わりおった」


 少女の意味の分からない言い訳にしてはなんだか生々しいものだ。


「膝の皿を割ったら、そこから魂のかけらがとれるの」


「それをどうする」


「ぱくっとたべーる」


「何故」


「痛みが消えるのー」


「何の」


「死んでる痛みが」


 気が付けば日は落ち、辺りは暗くなんだか色の濃い煙が嫌に地を這い、ぐるぐる回る。少女はそれに向かいふぅっと思いっ切り息を吹く。


 すると煙はその息を嫌がるかのようにさっと消えていく。少女は先ほどのかわいらしさと裏腹に、何故だかひどく不気味に思えた。まるで幼女の皮を剥いで被っているような……。


「おじさんは死後の世界って信じる?」


「あればよいとは思うが信じてはいない」


「そう……残念」


 彼女はそう言いにっこりと笑った。相手にしているだけで私の寿命が縮んでしまいそうだ。こんなかわいらしい少女が恐ろしいというのは少し情けなく見えるかもしれないが本当のことだから仕方がない。


 一歩後ずさりすると少女の目が私を追う。じっと……じっと。


「かえっちゃうの」


「帰っちゃうの」


「家に待ち人なんていないんだからもう少しここにいればいいのに」


 何故。


 なぜ彼女はそんなことを知っている。偶然通りがかったおじさんに語り掛けたわけではないのか。彼女は。こいつは。


「一体……何をしってるんだ。わ、私の」


「おじさまにこの後起こる出来事を知っている」


「い、いったい」


「それを変えるために来たの」


 少女はそうつぶやいて人差し指で円を作って工場を見つめる。


「あなたは高校生の頃に好きな人がいた。両想い。付き合った期間は短かったけど貴方はそれのせいで長年結婚していない。恋人が、自分の手違いで死んでしまったことを悔やんで」


 こいつは確かに知っている。


 私と彼女が待ち合わせをし、私がその時間に遅れたばかりに…彼女が事故にあってしまったことを。車の衝突事故だった。私が待ち合わせに間に合い、彼女を連れだしていれば……。


 思えば、この少女は恋人に似ている。髪型やら仕草やらが少し似ている。


「まさか」


少女が笑う。


「まさかお前は俺を殺しに」


 突如右方面から女性の悲鳴が響く。


 顔を向ければ、工場に引きずられていく女性が見えた。凄まじい早さだったが、一瞬見えた顔を私は知っていた。


 私の部下の女性だった。


 鈍い何かをたたく音が微かに聞こえる。あれは膝の皿を割る音だ。

                    

「君は、私を助け……」 


 そう言いかけ彼女のほうを振り向いたとき、私は気づいた。彼女が、恐ろしいほどに降格を上げて笑っている。


 ああ悦楽。その理由は如何に。


 私は恐る恐る、工場のほうへと足を向け、顔をちょこんとのぞかせて中の様子を見た。私の部下が悶えている。


 膝の皿を割っていたのは……私の死んだ恋人だった。


「部下さんは邪魔だったの。今日あなたにアプローチするつもりだった……。あなたがもう少し先まで進んでいればね。私が引き留めたから、彼女はあそこにとどまり彼女につかまってしまった」


「なんのためにそんなことを」


「おじさまの元恋人さんは、あなたに会うためだけにこの現世に来た。今まで誰の膝の皿も割らずにここにやってきた。あなたに『自分は恨んでなんかいない』と伝えるためだけに。でも私が引き留めたからあなたに会えず、我慢の限界がきて思わず人を襲った」


「君は何者……なんだ」


「私は死神。あなたの元恋人さんに『恋人さんに会わせてあげる』とそそのかしてはせさんじた」


 少女はようやくとんっと地面に降り立って、私を見上げた。


「おそらくどうしてと問うおじさまに私は回答を用意しましょう」


 そうつぶやいて少女を私に抱き着いてくる。冷汗が頬を垂れて、ああ背筋が凍る。


「あなたが好きだから」


「な、何故」


「好きになるのに理由なんているの?あ、もしかしてどうしてあの二人をあんな目に合わせたのかってこと?かんたん。それは邪魔ものの完全抹殺。もうじきおじさまの元恋人のエラーを感じて死神の掃除屋さんが彼女を殺しに来る。止めることなんてできない」


「そ、そんな……」


「この髪形や仕草だっておじさまのために用意したの」


 抱き着く力が強くなっていく。ぎゅっと、大事に大切に。


「わ、私は……」


「ん?」


「私はどうすれば……」


 頭がパンクしそうだ。


 意味の分からない少女が私の独占のために何の関係もない女性二人をひどい目に合わせている。


 そう、私の。私のせい。


「そうだなぁ」


 街灯の光だけが私たちを照らす。


「ねぇおじさま。あいしてください」

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