第16章 光(後編)

「刻限ぞ」

 簡潔に、そして無慈悲にグネモン卿は宣告した。

「決心はついたか」

 昨日と同じ部屋で、ディルは昨日と同じく上半身を拘束されて立っている。椅子に座ったままこちらを嬲るような目つきで見据える老人に向かって、彼は静かな面持ちで口を開いた。

「……おれは、エフェドラには……行けません」

 結局、心は変わらなかった。

 その返答は予測済みだったらしく、グネモン卿は顔色ひとつ変えない。ただ何かを思案しているような表情で、無言で椅子の肘掛けに頬杖をつく。

(おれって、ばかだなぁ……)

 さてどうしてくれようか、とでも言いたげに、口許を嗜虐的な笑みに歪める老人の顔を見ながら、ディルはそう思った。

 クローブに言われるまでもない。どう考えても、愚かな選択だ。なぜこんなにも頑なにカーラントを拒むのか。

 ……というより、なぜこうまでヴィーを信じたいと思うのか。

 昨晩、眠れもせずうずくまったまま過ごした闇夜の底で、ずっとディルは考え込んでいた。

 ヴィーにも、あの亜麻色の姫にも、負けるなと言われたことを思い出す。

(……姫様のほうは、おれのただの夢かもしれないけど)

 しかし相手はあまりに強大で、ディルひとりの手に余る。自分は何に負けないでいるべきなのか。何が負けになるのか。


 ――ヴィーは、なんでいつも最後はおれに選ばせるの?


 ――それはディルの人生だから。……私にできるのは、ディルの生がここで途切れてしまわないように、それからディルが望む道を歩めるように、手助けをすることだけなんです。


 離れ際の、ヴィーとの会話。

(ヴィー、あれは本当なの? 今でもそう思ってる?)

 自分を生かし、望む道を行けるよう助けることならできると、それだけができると、彼は言った。

(ヴィーは、できないことをできるって言わない)

 彼の表現はいつも控えめで、でもそれゆえに現実味があった。

 あの夜、彼がこれまでどれほど真摯に、自身の生と向き合いながら生きてきたのか、それを垣間見た気がしたのだ。

「……お前は残念なことに、理解力はあっても賢くはなかったようだ」

 老人の言葉に、ディルは口許を引き締めた。こうなることは覚悟の上……と言いたいが、やはり気圧される。

 しかし散々怯え、泣き惑う自分にディルはなんだか嫌気が差していた。ここで怖気づいたら来るかもしれない勝機も逃げていくような気がするのだ。

(ねえ、おれ、ヴィーを信じるよ?)

 必ず、自分を生かしてくれると。

(おれは、ヴィーを諦めたら負けだって思うんだ)

 なぜなら、ついていこうと決めたのは自分だから。

 その結論に至ったとき、不意にディルは悟った。

(ああ、そうか。自分で選んで決めるって、怖いことなんだ)

 一見、選ぶということは贅沢で傲慢なようにも見える。何者かに従属しているのが常の平民の身では、なおさらに。

 けれど自ら選択したら、誰のせいにもできない。そして自分自身のことは容易に裏切れない。だからこんなにも、自分を縛る。

 ……それを知っているから、今目の前にいるこの老人も、ディルの選択を待ったのだろう。

 ヴィーもグネモン卿も、彼に覚悟を求めたのだ。

「ひとつ訊くが、お前は連れになんぞ弱味でも握られておるのか? あるいはここで始末される以上の恐ろしい脅しでもかけられておるのか」

 ディルは首を振った。

「いいえ」

「ならば大したたらし込まれようよな。このグネモン侯爵家の庇護を得る機会など、望んで手に入るものではないのだぞ。そこは分かっておろうな?」

 老人の言葉に、ディルは無言で頷く。

 分かっている。この国でこの侯爵に比肩するような強力な庇護など、数えるほどもないだろう。分かっては、いるのだ。

「――連れに何を言われ、何を約したのか言うてみよ」

「……どこかに置いていったりしない、って……」

「それだけか?」

 ディルは再度、こくりと肯いた。相手が失笑するのを気配で感じる。

 そのことに腹は立たなかった。ヴィーを知らない人間にはさぞかし馬鹿げた話に聞こえるだろうと、ディルも思うからだ。

 真剣な彼の表情にくつくつと笑いながら、グネモン卿はその背後のクローブに呼び掛けた。

「クローブよ」

「は」

 視線はひたとディルの顔に据えながら、老人は愉しげに続ける。

「お前の予想通り話は決裂だ。存分に嬲って細切れにしてやるがよい」

「御意」

「骸が人かどうか判別つかぬさまになってもニームの食指が動くのか、興味があるのう」

 縄が引かれた。ディルは傾いだ身体を両脚で踏ん張って支える。

 老人の目は細められ、明らかに血の気が引いたディルの表情を面白がっているようだった。

「身体が動かぬか。だが後悔してももう遅いぞ」

「……後悔なんか……してません……!」

 自分は愚かな選択をしたかもしれないけれど、今になってそれを悔いるほど馬鹿ではない、そう思ってディルは言い返した。

 さすがにその反応は意外だったのか、グネモン卿は眉を上げ、頬杖から顔を離す。

「お前は天には昇れぬのだぞ」

「草になっても……昇れない……」

 カーラントの草になったら、これまでの自分は消える。それはディルにも漠然と分かった。グネモン卿が言っていた新しい素性という話ではなく、これまで両親や、他の周囲の大人たち、師である司祭から教えられてきた「正しいこと」を捨てて、命令のままになんでも従わなくてはならなくなる。自分のこれまでは否定され、壊されてしまうのだ。

 そんな人間が、天の門をくぐれるかは疑わしい。

「ほ、言うではないか」

 唇の端を吊り上げたグネモン卿は、手応えのある獲物を見つけた狩人のような目つきになる。

「……惜しいの、この手狭な王都の屋敷では先に舌と喉を処置せねばならぬが、口を最後まで活かしておきたくなるわ。果たしてその威勢がいつまで保つか見ものであったろうに」

「舌と、喉……?」

「喚かれてはうるさいゆえな」

 こともなげに言う老人に、ディルはぞっとした。

 実際に何をするのかは分からないが、言葉と声を奪うつもりであるということだけは理解できる。

 つい一昨日、口に短剣を突っ込まれるという衝撃的な体験をしたばかりだ。あれはそれでも、はじめから脅しだと分かっていたこと、そしてクローブの腕が精確だと知っているからこそ耐えられた。それがもし、あのまま闇雲に振り回されでもしたら……。

 ディルは自分の想像に慄然とする。

 大人の考えることは、「殺される」と聞いて剣で一刀のもとに斬り伏せられるくらいしか思い浮かばなかった自分の考えをはるかに超えて、残虐だ。

 クローブが再度縄を引く。ディルの足はまたもや動かなかった。

 先ほどのように自分の意志で踏み止まったのではない。足が竦んで動けなかったのだ。

 こんなところで死ぬ気はない。でも、回避するための具体的な策があるわけでも、助けのあてがあるわけでもなかった。

 ここで連れていかれたら、仮に死ぬ前に助け出されたとしても無傷では済まないだろう。二度と喋れなくなっているかもしれない。それどころか身体のあちこちが壊され、あるいは欠けてしまっているかもしれない。

 自分の心臓の音が耳元で聞こえ、胃の腑も肺も一緒くたに鷲掴みにされたような感覚に襲われる。

 動かないディルを、ついにクローブが掴み上げた。

 あっさりと肩に担がれ、ディルは自由にならない身を捩る。

「今さら見苦しいぞ」

 暴れるディルにクローブはそう言ったが、ここで抵抗しないわけにもいかない。

 しかし赤夜狐のときのような手は通用しなかった。ディルはここにきて、自分が厳重に拘束されているわけを思い知る。あのときのような不慮の事故を避けるためだったのだ。

 そしてクローブにはまったく隙が無かった。いかに身体を捻ろうと、足をばたつかせようと、その腕はびくともしない。噛みついてやろうにも、それも計算に入れた上で抱えているのか顔がどこにも届かなかった。

 クローブはディルに肩の上で好きなだけ暴れさせながら、平然と歩き出す。グネモン卿が入ってきた豪奢な扉とは反対の壁にある、目立たない木戸の方を目指していた。つまり、こちらは屋敷のいわゆる『裏』向きに通じる扉なのだろう。

(いやだ……いやだ。怖い!)

 これまで何度も絶望を感じた瞬間はあった。命の危険を感じたこともある。でも、今ほどはっきりと死を意識したことはない。目尻に涙が滲み、やめて、と命乞いの言葉がなり振り構わず腹から押し出されそうになる。

 しかし、顔を上げると視界にグネモン卿の姿が入った。その冷たい笑みを目の当たりにして、恐慌に呑まれそうになっていたディルの意識は急速に冷静さを取り戻す。徒労にしかならない抵抗を止め、開きかけた口を再び引き結んだ。

 まるで子供が珍しい虫を見つけて捕まえるのと同じように、捕らえて閉じ込めて、意に沿わぬと分かれば打ち捨てる。それだけならまだしも、痛めつけて魂までをも弄ぼうという。

 無力な相手をいたぶって愉しむような人間の、思い通りになんてなってやるものか。ディルの中の最後の意地が頭をもたげた。悲鳴など絶対にあげない。怖れに意識を渡したら、そこで終わりだ。


 ――恐怖に負けて手足が動かねば、そもそもそんな幸運は訪れなかったのだからな。


 そう言ったのは他ならぬグネモン卿である。遠ざかりつつあるその老人を睨めつけるように見据え、そして心の中で、必死にヴィーの姿を思い描いた。

(ヴィー、おれ、ヴィーの約束忘れてない。絶対に忘れないで、って言われたことも)

 涙で視界が歪む。でも目を閉じようとは思わなかった。別れ際の、あの言葉があるからこそ、ディルはまだ自分を諦めずにいる。自分のことを、他者の都合で消されてしまっていいような存在だと思わずにいるのだ。

 親も主人も失って、あらぬ罪を背負わされ、まともな道からも逸らされた。それを知っても、ディルがディルのまま進めるように助けてくれると、ヴィーは言ったのだ。彼の縄を解いた恩の報いとして。


 ――ヴィーには何が見えてるんだろう?


 彼に見えていた自分の道を、ディルはどうしても知りたいと思った。そのために進みたくて、だからこそヴィーと離れ、ひとり捕らわれることを承知したのだ。

 だから、彼の言葉を忘れてここで屈するわけにはいかない。

 ただ現実問題、今この場からどうにか逃れなければ、すぐさま自分に終わりが来てしまう。助けがないなら、自分自身の力で切り抜けるしかない。

 何か……何かないのか。クローブの腕から逃れる隙が。

(ヴィー、おれはどうすれば……!)

 無情に時は進んでいく。

 あと数歩でクローブが部屋の出口に至るという、そのときだった。

「旦那様、クローブ様」

 突然外から声が掛けられ、グネモン卿の近くの扉が開く。

 ディルは小さく息を呑んだ。どくりと、心臓がひとつ大きく脈打つ。

 呼び掛けられ、クローブも足を止めて振り向いた。

 現れたのは初老の使用人である。いつもグネモン卿が現れる際に伴っていた家令とは別の男だった。しかし古参らしく、室内の異様な情景にはなんら驚く様子も見せず、足早にグネモン卿の許まで歩み寄り何やら耳打ちする。

 老人の眉根が寄せられた。

「なに……? ふん、よいところであったに」

 グネモン卿はつまらなそうに鼻を鳴らし、使用人にディルを指し示す。

「あの者を隣室に連れていけ。騒げぬよう猿轡を噛ませ、足も縛り上げよ」

「かしこまりました」

 使用人が一礼し歩き出すと、次いでグネモン卿はクローブにも声を掛けた。

「クローブよ、それを渡して近う。続きは用事の後だ」

「……は」

 クローブは主人に応えると、ディルを降ろし、縄の端をこちらにやってきた男に渡す。大人しく床に立ったディルに厳しい視線を向けるが、ディルはあくまで悄然と俯いていた。

 寸刻、クローブは疑わしげにディルを見遣り、もう一度主人を振り返る。

「腱を切っておいたほうがよろしいかと。拘束だけでは心許ない」

 しかしグネモン卿は首を振った。

「今ここを血で汚してくれるな。客人ぞ」

「……御意」

 やがて仕方なくクローブはディルの傍を後にする。

「逃げ出したとて無駄なことぞ。その姿で飛び出して見逃す者などおらぬのだからな」

 グネモン卿は念を押すと、ディルから視線を外してクローブと何やら話し始めた。

「さあ、来い」

 縄を受け取った使用人はそう言い、無造作に彼の腕を掴んで引っ張った。

 ディルはのろのろとした足取りで、小さく歩を踏み出す。

 本当は今すぐにでも駆け出したい。しかし、クローブが警戒を解いていない以上、彼の意識がすっかり自分から離れるまでは動くべきではないと思って必死に衝動を抑える。

 ここで失敗したらもう後がない。

 そう思うと、ディルの精神はこれ以上なく張り詰めた。重圧に足が震えそうになる。この両手が動かない状態で、ちゃんと走れるだろうか。この相手を振り切れるだろうか。

 ディルの腕を掴んだまま、使用人はクローブが連れていこうとしていた扉に至り、片手で戸を開ける。そして次の間に彼が足を踏み入れた瞬間、ディルは掴まれた手を振り切って思いきりその背に体当たりした。

「あっ」

 突然のことに使用人は転びかけ、縄を持つ手が緩む。

 その隙を見逃さず、ディルは後ろに飛び退すさった。相手が取り落としかけた縄の端をさばき、すぐさま身を翻す。

 もしこれがクローブだったら、こうはいかなかった。彼なら必ず、先にディルに扉をくぐらせて退路を塞いでいたはずだ。だからこれは、ディルにとっての僥倖だった。そうであると、彼は信じた。

 ディルは猛然と走り出し、あの使用人やグネモン卿が入室してきたのと同じ壁面にある、手前の扉に頭から突っ込んだ。

 連れていかれようとした木戸と違い、重厚で壮麗な両開きの扉は堅牢で、全身に物凄い衝撃を受ける。視界に火花が散ったが、ディルは構わず僅かに開いた戸の隙間を突き進んだ。

「待て!」

 使用人が慌てた声で叫び駆け出すが、その頃にはディルは部屋を飛び出している。

 壁の向こうには、激しい扉の音に何事かと振り返る多くの家人がいた。だが構わず、そのまま一直線に走り抜ける。

 当然、言わぬことではないという顔でクローブも追おうとしたが、グネモン卿は落ち着き払って止めた。

「やめよ」

「しかし……」

「問題ない。捕らえたコソ泥が脱走を図ったとでも言えば皆納得する。どのみち屋敷から出られようはずもないのだからな。それよりお前が追えばどんな大事かと皆が注目する。ここは他の者らに任せよ」

「は……」

「やってくれるのう。あの齢にしてはなかなか計算高い動きではないか。ことにお前を警戒しているのがよう分かったわ」

 本気で逃がす気など毛頭ないくせに、この展開を期待していたとしか思えない主人の様子に、クローブは憮然とした。

「……ずいぶんと身綺麗なコソ泥ですな」

「……洗うのではなかったかの」



 ディルは人目も憚らず駆け続ける。権勢誇る侯爵家の屋敷だ。家人が多いことなど予測済みである。

 それでもこの『表』側に逃げたのには彼なりの目算があった。

 自身も使用人だったから分かる。大抵の使用人は、クローブのような武人ではない。なんの前触れもなしに突然現れた子供を、咄嗟に捕まえようと動ける人間は少ないのだ。して、周りの人数が多ければなおさら、誰も自分がやらなければと思わなくなるものである。

 案の定、捕まえようと手を出してくる者が何人かはいても、どれもそれほど本気ではない。大人たちを掻い潜り、ディルは通路に出た。

 手を振れないので走りにくい。速度が上がらない。すぐに肺が音をあげようとする。けれど今止まったら何の意味もない。

 草に狙われ、ヴィーと駆けた山道を思い出す。あのときはついに身体が動かなくなって、ヴィーに引き摺られたっけ。あれはあれで服の襟刳えりぐりが喉に食い込んで苦しかった。


 ――どうか。どうか今走るこの先が、おれの未来さきに繋がりますように。


 祈りに似た願いを胸に、ディルは歯を食いしばって駆ける。

 自分を取り逃がした使用人だろうか、一直線に追ってくる足音が聞こえた。大人の歩幅では早々に追いつかれてしまう。

 前方を見ると、通路をこちらにやってくる一団があった。先頭を歩くのは昨日と今日、接見の際にグネモン卿と共に姿を見せた家令だ。

 例の客人とやらを先導しているのだろう。こちらを見て目を丸くしている。

(あそこを抜ければ……!)

 子供の自分ならどうにかすり抜けられる。しかし追っ手は相手が客人である以上、歩を止めざるを得ないはずだ。

 急転する事態のなか、ディルの頭は恐ろしく冴え渡っていた。

 一団は、速度も緩めず前進するディルの目前に、あっという間に迫る。家令が出迎えるような正式な客である以上、それなりの身分の相手だということは予測がつく。

(構うもんか……っ)

 意を決してディルは頭を低くし、人々の間に突っ込んだ。そのまま駆け抜ければ、追っ手を引き離せるに違いない。

 ――と、そこでまさか、驚くような素早さで右肩を掴まれた。

「……!」

 ぐん、と肩が後ろに引っ張られ、ディルは焦りのあまり相手も見ずに叫んだ。

「放して……っ!」

 外に、外に出なくては。こんなところで止められている場合ではない。

 自分の未来はヴィー無しでは成り立たないのだ。

 だから、彼に会うまで敵の手に落ちるわけにはいかないのに。

 しかし乱暴に身を捻ってもディルを掴んだ手はびくともしない。それどころか、もう一方の肩も掴まれ、ディルはまったく進めなくなった。

 ずっと追ってきていた足音が、少し離れた後ろで止まる。

 自分は失敗したのか。

 もう一度、運を掴みかけたと思ったのに。少しでも、先を切り拓けそうだと思ったのに。

 失意に蒼白になり、ディルは両目をきつく閉じた。

(終わりだ……)

 項垂れ、足から力が抜ける。身体を支えきれなくなった膝が、床につきそうになった。

 そのとき――。


「ディル」


 頭上から、思いもよらない単語が降ってきて、ディルは目を見開く。

 ……うそだ。自分の名を呼ぶ人間など、もう周りにはいない。

(最後に呼んでくれてたひとは――)

 ディルは、恐る恐る顔を上げた。まさか、という思いと、ようやく、という思いがせめぎあう。

 淡い髪色が目に飛び込んできた。


 ――ここ。ひかり、のところ。……分かるかしら?


 なぜか、脳裏にあの姫の言葉がよぎった。

(ああ……)

 ディルの目から涙が溢れる。滲んだ視界が明確な像を結んでくれない。

(……ひかり、だ)

 彼は乱れた呼吸に掠れる声を、どうにか絞り出した。心の中で何度も、何度も呼び掛けた名を。

「……ヴィー」


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