第8話 キャバクラの店長って何をしてるの?

「お疲れ様でしたー」


 送りの車に乗り込むキャストたちを入口で見送る。

 今日は金曜ということもありなかなか忙しかった。梁井さんには相変わらず怒られるし、峰さんはいつものようにサイコパスだし。


「黒川さん、また明日です!」

「おお、ヒメさん。今日もお疲れ様。気を付けて帰ってください」

「はい!」


 ヒメさんもキャバ嬢御一行に混じってエレベーターへ乗っていく。

 ヒメさんが体験に来てから2週間。出勤頻度はそこまで多くないものの、彼女なりに接客のクオリティを上げようという意識のおかげか指名客は少しずつ付き始めていた。


 俺自身も、売上データを管理したり相談に乗っているうちに、この店のことやキャバクラというものの仕組みをもっと理解し始めた。


 ここで働いてもう1か月か。

 元はと言えば、あのチンピラ店長のせい――


「おう、令作。なんや、まるで俺に文句があるような顔してるやんけ」

「いやいやいや! してないですよ……!」


 なぜ分かった。


 発注表を持った梁井さんが俺を上から見下ろす。

 なんとも納得いかなそうな顔をしながら、目線を再びボトルの棚に戻す。


「……モエロゼが3本やな……あ、モエシャンが足らんな……」

「…………」


 ぶつぶつ言いながら発注表を記入する梁井さん。


「梁井さん、店長を始めてどれくらいなんですか?」

「なんや? 3年くらいやで」

「そ、そうですか……この仕事してて、嫌になることってありますか……?」

「どういうこっちゃねん、えらいネガティブな話するやん」

「し、失礼しました……」

「…………」


 なんでそんな話題を振ったんだろう。

 無言の気まずさからか、少しは梁井さんのことを知りたいと思ったからなのか。


 自分でも分からなく、話を振っといて目を逸らしてしまう。


「…………」


 梁井さんが手を止めた。


「なあ、令作」

「はい」

「このあと、一杯ひっかけにいこうや」

「え……わ、わかりました」


 ラ・メールの人間から誘われるのは初めてである。

 少し緊張するが、何か意味があるように感じたし断る理由はない。


 幸い、明日は4限からだ。


「おっしゃ、発注終わったら出るからよ……準備しとけや」

「はい……!」







「おう、やっとるな」

「真也じゃねぇか、元気してっか?」

「おーぼちぼちや」

「…………」


 クローズ作業を終えた俺と梁井さんが訪れたのは、歌舞伎町の奥にひっそりと軒を構える小さなバーだった。

 いかにも怪しげな雑居ビルを上っていくとその店は現れた。


「そこのボウズは誰なんだ?」

「こいつはな、ウチの新入りや。よろしゅう」

「え、えと……令作って言います」

「おう、令作ちゃん。ゆっくりしてけよ」

「令作、このいかにも社会のレールから外れたみたいな輩は、シュンジって名前なんや」

「あん? 真也てめぇが1番反社だろうが!」

「「ガハハ!!」」

「…………」


 暗いカウンター席に俺と梁井さんは横並びで座った。

 対面でグラスを拭いているのはシュンジと呼ばれる男。


 身長は梁井さんと同じくらい大きい、190cmほどありそうだな……。

 ワイシャツの袖を捲った腕には桜や鯉などの和彫りがぎっしりと描かれている。あ、首にも入ってる。


 なんだこの反社ご用達みたいなバーは。絶対人殺されてる場所でしょこれ。

 俺たち以外には客は2人しかいないが、彼らもまた表社会で生きている人相ではない。


「てめぇら水だけ飲みに来たんじゃねぇだろうな」

「んなわけあるかい……竹鶴をロックでくれや。令作、お前は?」

「俺は……ウーロンハイで」

「んなもんねぇよ!!」

「ひぃ!? 梁井さんと同じで!」


 ないってことある?

 ウーロンハイが何故許されない?


 そもそも竹鶴が何なのかすら分からずに頼んでしまったが、出されたグラスから香る匂いですぐにウイスキーであると分かった。

 てっきり焼酎か日本酒の名前かと……。


「国産ウイスキーに最近ハマってんねん。ほい、乾杯」

「乾杯です……!」


 カン、とグラスが甲高い音を上げてぶつかり合う。

 ウイスキーが波打ったまま、俺はグラスを傾け小さく1口。


「あ、おいしいですね」

「せやろ? けどよ、シュンジから恨み買ったら毒盛られるから気ィ付けや」

「え、毒……?」

「余計なこと言うんじゃねぇ。殺すぞ」

「ホンマ怖いわ~」


 なにこの会話?

 なんで否定しないんだよ、本当に過去にあったみたいだろ。え? マジであったの?


「こいつとはな、俺が歌舞伎町に来てから長い付き合いなんやで」

「そうなんですか……歌舞伎町にはいつから?」

「シュンジはもう15年いるわな。俺は8年前くらいやから……まあこの街ではシュンジが先輩や」


 意外だな。

 梁井さんはもうずっと何十年も歌舞伎町にいると思っていた。8年前って、関西弁だしやっぱ関西にいた期間が長いのかな。


「梁井さんは、関西でずっとキャバクラやってたんですか?」

「あー、俺がキャバクラの世界に入ったのは10年前や。大阪のミナミで2年やってから歌舞伎町来て8年やな」

「なるほど……」

「グループ店で働いとったんやけど……この店ができたのは3年前やからな、オープニングでめでたく店長に就任したわけや」


 梁井さんも店長経験は長くないわけか。

 この前、今の年齢は33歳と聞いたから……23歳から夜を始めて30歳で店長就任か。


 意外と、この業界に来た年齢は俺より遅いんだな。


「…………」


 というか、33歳にはとてもじゃないが見えません。

 戦場を潜り抜けてきた40代の元軍人にしか見えません。


「真也! 偉くなったな! サボってるだけなのによ、令作ちゃんも大変だろ?」

「ええ、まあ……」

「おいこら令作シバくぞ。俺は忙しいんや」

「……これは単純な疑問なんですが、キャバクラの店長って何をしてるんですか?」


 店長の業務というのは見えにくい。

 ホールにいる時のことしか分からないため、店を出ている時やスタッフルームにいる時は正直まったく何をしているか把握していない。


「なんや? 店長やりたいんか?」

「い、いえ……興味です……」

「店長ってのはなぁ、仕事をしないべきなんや」

「え?」


 それは縦社会の主張ですか?


「営業を回すのはお前や峰の仕事や。俺はな、店の人間を管理する立場やから、店舗営業に直接的な業務よりも人事的な業務が多いんよ」

「人事的な……キャストとか俺らボーイのですか?」

「それも勿論そうやけど……スカウト会社とか、グループの他の人間とか、まあお前は関わることのないヤーさんとかな」

「それこそ俺の知らない世界だ……」


 俺はこの世界の住人になったつもりでいたが、あくまでクラブ・ラ・メールの中しか知らない。

 キャストとか、峰さんや梁井さんのことしか。


 キャバクラというものを取り巻いている環境については人脈も無ければ知識もない。


「まあまず大事なのは面接やな」

「ああ、梁井さんよく女の子をスタッフルームに連行してますもんね」

「言い方が悪いっちゅうねんコラ。面接は予めアポが入ってるパターンとスカウトがいきなり連れてくるパターンがあるんや」

「そんな行き当たりばったりなんですか?」

「せやな。スカウトが路上で声を掛けて、上手くやってくれりゃその場ですぐ面接と体入を取り付ける。そしたら、俺らはすぐ対応して店で話しながら条件を練るでな」

「なるほど……」


 だから特に梁井さんはバタバタしているのか。

 外部からの緊急連絡が多いから休まる瞬間がなさそうだ。


「面接対応は峰にもやらしとるけど、基本は俺やな。で、あとは入った女の子のマネジメントや」

「ああ、担当を持ったりですね」

「まあ俺は全員の、やな。女の子たちのトラブルや悩みは絶対解決させなアカン。だからホールとかを回すより女の子とコミュニケーションを取る方を優先しとるわけや」


 俺たちがバタバタ動いている時に待機室で女の子と談笑してばかりなのは怠惰ではなかったんだな。

 いつでも女の子の心情や表情の変化に敏感でいる必要があるからだ。


 カラン、とグラスに入った3つのアイスがぶつかり合いながら溶け落ちる。


「やっぱり、怖い人たちとの絡みもあるんですか……?」

「当たり前や。こういう会社にはバックにヤクザがおる。奴らに金をいくらか納めて、ここで水商売やらせてもらってるわけや。まあトラブルが起きた時には最後の砦になってくれるんやで」

「一応味方になるわけですか……」

「まあ、俺らがしょーもないことばっかしとるとシバかれるでな、ガハハ」

「笑えねぇ……」


 店長も色々大変なんだな……。


 話を聞いているだけでも疲労感がドッと押し寄せてきた。残り少ないウイスキーをグイッと飲み干し、グラスをカウンターに置く。


「面接、売上管理、スカウトやキャッチ会社とのやり取り、女の子の管理……まあ、考えることがぎょうさんあるんや」

「…………」

「売上が上がらない子や、モチベーションの低い子には時に残酷な扱いをせなアカンのや。この仕事、俺はこれしかできないからやっとるけど、ホンマ疲れるで」


 いつものコワモテな顔が今日は少し柔らかくなっている気がした。

 フッ、と小さく笑うと、梁井さんもグラスを傾け残ったウイスキーを飲み干した。


「おう令作。まだイくやろ?」

「ええ、勿論です」


「シュンジ、同じの頼むわ」

「へいよ」


「令作ちゃん。あんた、真也のとこでよかったと思うわ」

「え……?」

「話してる感じで分かるけど、あんたインテリだろ? 真也も関西の私立では1番賢いとこ出てるからな、タイプが合ってると思うんだわ」


 え? タイプが合ってる?

 いやいや、こんなTHE・裏社会みたいな人と陰キャの俺が合うわけ……ていうか大卒なの!?


「梁井さん、大学出てたんですか!?」

「やめーや。今は今やで」

「しかも関西で1番賢いところって……まさか――」

「もうええやろ。昔どうだろうが今この姿が現実や。しょっぱい話せんで、飲めや」

「は、はい……んっ」


 つぎ込まれたウイスキーに口を付ける。

 梁井さんは溜息を付くと、カウンターに肘をついてアイスを回した。


 確かに、少し思い当たる節があった。

 梁井さんは、仕事の説明をする時にあの人相とはズレた言葉遣いや言い回しをすることが多い。


 ビジョンとか、俺の成長とか、細かい部分や先の部分を見据えてるし……もっとノリと勢いでやっているような人間かと思っていた。


 意外だな、と思っていたのだがまさかそんな経歴があったとは。

 この人相で一流大学のキャンパスを歩いていたのを想像するととてもシュールである。


「じゃあなんで――いえ、やっぱ何でもないです」

「ふっ……一丁前に気遣いおって」

「…………」


 言いかけて、出て来そうになった言葉をウイスキーで流し込んだ。

 安易に聞けるわけがない。だって、平坦な理由にはとてもじゃないが思えなかったからだ。


 きっと、何かあったはずだ。


「梁井さん……今日は連れてきてくれてありがとうございます」

「なんやいきなり……媚売ってもお前の扱いは変わらへんぞ」

「…………」


 早朝4時の、怪しげなバー。


 気が付くと客は俺たちしかいなくなっていた。


「…………」


 入って1か月ほど。

 まるで異世界転移でもしたような気分だったが、こんな生活にも慣れてきた自分がいる。


 最初は梁井さんにネガティブなイメージしかなかったけど、彼は間違いなく俺のボスだ。

 いつも荒いしすぐ怒るけど、この人はいつも俺の成長を見据えてくれている。


「まだまだ飲めますよ……俺、この世界でもう少し」


 楽しんでみようかな――。


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きゃばかつ! ~童貞の俺がキャバ嬢たちと深夜限定日常ラブコメだと?~ 三澤凜々花 @ririka_misawa

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