第7話 相席スタート

「令作、緊張しているようだね」

「ええ……ちょっとしてます」

「初めて担当を持った時は責任感を凄く感じるからね。梁井さんもよくあの子の担当を令作にしたよ」

「本当ですよ……」


 店は既にオープンしている。

 20時前。キャバクラが賑わうのは22時を回った後から深夜帯にかけてである。


 つまり、現状は客も数人しかおらず店内は比較的静けさを保っている。そんな中、俺と峰さんはホールで接客をするヒメさんを見守っていた。


「…………」


「そうなんですね~! その件は社長さんには許してもらえたんですか~?」

「はっはっは! まだ許してもらえてなくてね!」

「ふふ……じゃあ明日謝りに行かなきゃですねっ」

「それを今日忘れたくて来たんだよ~!」


 うん、今のところは問題なさそうだ。

 本当に教えた通りにミスひとつなく流れをこなしている。きっと賢い子なんだろう。


「令作は担当だから、ヒメさんのことをよく知っておく必要があるよ」

「はい……」

「だから、以前NGと伝えた仕事を始めた理由や背景も、この限りは知っておくべきだ」

「たしかに……目標設定ができませんよね」

「そう。先に俺から伝えておくよ。ヒメさんは、君と同じ大学に通っている」

「はぁっ……!?」

「驚くのも無理ないよな……だから俺は梁井さんの行動が少し読めないんだ」


 同じ大学……?

 え、じゃあ俺が通ってる国立大にいつもいるってことだよな……。


 年齢は同じ21歳だと聞いた。

 とすると浪人や留年をしていなければ同学年だし、どこかで会っている可能性が高い。


「ああ、無論だけどそれを同じ大学の子に話したりしたら令作をクビにするよ」

「話す相手がまずいないんですが」

「それは幸運だ」

「…………」


 じゃあなんでそんな賢い子がスカウトされてこんなところに。

 って、それはブーメランなのか。


「お願いします……!」

「はい!」


 ヒメさんが緊張気味に手を挙げる。

 まるで先生が質問をして挙手をするときのように。


「…………!」


 手のひらを下に向けるジェスチャー。

 ヒメさん、ナイスだ。


「8卓、ヒメさん場内」

「了解、令作よかったね」

「ええ……」


 インカムでヒメさんの初場内指名を告げると、イヤホンから峰さんの穏やかな声が聞こえた。

 安堵感が込み上げてくる。


 同時にドリンクも出た。そのままセット終了までお客様に付き、延長をすることはなく退店した。


「ヒメさん! 上出来すぎます!」

「ふふっ……緊張しましたよ~」


 お客様を見送り終わったヒメさんを迎え入れる。

 彼女は一息ついて安心したように胸を撫で下ろした。


「それで、ヒメさん」


 安心したばかりのところ悪いが。

 ここからが本当に緊張するところなんだ。


「少し休憩したら、あの卓に付いてもらいます」

「えっ……?」


 ヒメさんが、俺の指を差した先を見て目を丸くする。


 これは峰さんの命令なんだ。許してくれ、ヒメさん。


「あの人って……」

「ええ、そうです。ナンバーワンのセリナさん指名客の卓に付いてもらいます」


 あの席は、お客様が3名で来店している。

 3人並びの席で、現状付いているのはセリナさんとレイさん。


 俺は1度しか見たことがないが峰さんによると超古株常連で、リーダー人物がセリナさんの太客らしい。

 他の2人はフリーのようで、現状は1人がレイさんを場内指名して残している。


「ひぃ……緊張しますよ~」

「気持ちは分かります。ですが、あれを乗り越えたら大体のことはもう怖くないです」

「その言葉が逆に怖いです……っ!」


 今日体験の子をいきなりあんな重量級な席に付けるなんて、やっぱ峰さんは恐ろしい人である。


「セリナちゃん! それじゃもう一発乾杯しちゃう~!?」

「レイ、ねだりすぎよ。でも、私ももうちょっとだけ飲みたいかも?」

「じゃあもう1本シャンパン入れよう! 兄ちゃん! ヴーヴくれよ!」

「かしこまりました」


 盛り上がる席で峰さんがオーダーを取っている。

 レイさんの明るさと、セリナさんの貫禄が良い具合に作用していわば「最強の卓」が出来上がっていた。


「ヒメさん……さっきの感じでいけば大丈夫です。あなたは出過ぎることもないですし、20分ほどの辛抱です」

「わ、わかりました……!」


 ヒメさんが拳をギュッと握った。

 俺だったらきついな、あの卓は。


「令作、お客様を待たせてるからヒメさんを付けてくれないか?」

「かしこまりました」


 インカムから峰さんの指示が飛んでくる。

 さて、頑張り時だ。


「それではいきましょう、ヒメさん」

「はい……!」


 先導して、ホール内を進んでいく。

 天井から俺たちを見下ろすシャンデリアが、その卓を鮮やかに照らしていた。


「失礼します。ヒメさんです、よろしくお願いいたします」

「初めまして! ヒメです!」

「だれ……?」


 深く頭を下げたヒメさんを見て、セリナさんが首を傾げる。

 大して笑顔のレイさんが立ち上がり、ヒメさんの手を引いて席へと誘導した。


「君がヒメちゃんなのね! みんな~、今日体験で来てるピッカピカの女の子だよ~!」

「新人の子ね、キャバクラっぽくない子だね」

「よ、よろしくお願いします……」


 不安が過って仕方がないものの、俺がずっと目の前に立ってても意味がない。

 速やかに席を後にし、遠くから見守る。


「私の卓に新人を付けるなんて、峰くんもいい度胸よね」

「がっはっは! 峰の野郎もいけすかねぇなッ!」


 セリナさんの一言に、客3人が手を叩いて爆笑する。常に笑顔のレイさんと、少し目が泳いでしまうヒメさん。

 ああ、これは陽キャのパーティに何故か召喚されて何をしていいか分からなくなっている陰キャそのものである。同情するよ。


「頑張れ……」

「声が漏れてるよ」

「ぷぎゃ!?」


 気付いたら峰さんが真後ろにいた。前世忍者?


「真面目そうな子だからね、少し怖いだろうけど」

「それじゃあなんで……」

「令作、君がちゃんと心配できる人かどうか見たくてね」

「それだけですか……?」

「まさか。彼女に対する思いもあるよ。悪く思わないでくれ」


 試してるってわけか。


「…………」


「社長、新人ちゃんにはシャンパン以外にもドリンクをあげてほしいわ」

「おう勿論だ、ヒメちゃん? だよね、何飲みたいの?」

「あ、えっと……カシス――」

「テキーラわっしょい!!」

「!?」


 え!?

 セリナさんの意外な気遣いからの、何故レイさんが突然テキーラを飲みたがる!?


 いかれてるんか!? いや、てかあの人出来上がってるやん。

 顔が真っ赤になっており、テンションでMAXであった。


「お願いしま~す!!」

「はい」


 レイさんの店内で1番通る声が響き渡る。

 心の中で大きな溜息を付きながらとりあえず席に走る。


「わお令作じゃん! ヒメちゃんはこれから風紀する候補ぉ~?」

「え、マジでやめてください。で、オーダーですよね?」

「うん! テキーラ人数分っ!」

「テキーラ……」


 ヒメさんが唾を飲み込んだ。

 これはいくらなんでも可哀相である。


「あの、レイさん……」

「あら令作。ボーイがオーダーを拒否するっていうの?」

「…………」


 セリナさんが不敵な笑みで俺を一瞥した。

 この人は味方なんだか敵なんだかわかりゃしないな……。


「かしこまりました、ご用意いたします」

「黒川さん……」

「ヒメさん、今日だけ乗り切りましょう」

「…………」


 きっと、ヒメさんは今日の体験で辞めてしまうのではないだろうか。

 表情も今は暗いし、完全に委縮してしまっている。もともと真面目な子だろうし、これで辞めるのが正解なのかもしれない。


「8卓オーダー、テキーラ6」

「了解」


 キッチン担当からの応答を確認し、立ち止まる。


「仕方ないか……」


 峰さんがテキーラを卓に置いたのを見た後、俺は目を瞑りたい気分になった。

 これ以上見てられない。やっぱり、俺たちにこんな世界は……。







「うおぉい!? はよ飲まんかいッ!」

「は、はい……」

「セリナさん! この人ちょい残ししてまーすっ!」

「あら、よくないわね。社長、飲みほしてちょーだい」

「はい……」


「…………」


 威勢の良い声が聞こえ始めたゆえ、俺はレイさんが更に出来上がっているのだと思っていた。

 しかし、それは思い違いであった。


「うおぉい!? 可愛い新人な私のお願い聞けねーっての!?」

「…………」


 すべての音声は、ヒメさんから発せられているものだった。

 途中までそれがヒメさんだと気づかなかった。いや、気付きたくなかった。


「やっほーい! ぐいっぐいっ! 酒うめー!」


 ――完全に馴染んでいた。


「…………」


 つい30分前までは借りてきた猫のようにプルプル震えていた。そこまでは俺の知っている超清楚でしおらしいヒメさんだった。

 しかし、今あの席にいる女はただの暴君である。テキーラを5杯飲んだ辺りから様子がおかしくなったのを記憶している。


「ヒメちゃ~ん! めっちゃいいじゃん! 盛り上げてこ~っ!」

「レイさん! 私、ぶち上げます!!」

「とんでもない新人が入ったわね……」


 お客様は完全にペースを握られていた。ボトルもテキーラも無限にオーダーが来る。あの卓はもう合計15万を超えているはずだ。


 彼女はただの逸材だった。

 俺は今までの不安や心配が灰となってパラパラと落ちていくような気分になっていた。


「とんでもねぇ……」

「はははっ、ヒメさん本当すごいね」

「ある意味、すごいですけど……まさかあんな子だとは……」

「ああいう子ほど酒癖悪かったりするからね、ははっ、あー面白い」


 青ざめる俺と対照的に峰さんは涙を浮かべて笑っている。そんなに面白い?

 席では、ヒメさんが顔を真っ赤にして今まで見たこともない緩んだ表情でグラスを掲げていた。


 すげー楽しそう。


「ヒメ、次のグラスに参りまぁす! 3、2、1……!」


「…………」


 ヒメ。

 本名はまだ知らないけど、彼女は俺と同じ大学に通う女の子であり、今日からキャバ嬢になった。


「かんぱぁ~いっ!」


 ああ、全部持っていかれちまったな。あの子に――。



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