第6話 新米コンビ、始動。

「あの……黒川さんはここ長いんですか……?」


 ヒメさんが身を少し乗り出して不安げな表情を浮かべる。

 うーん、守りたい。


「それがまだ2週間目くらいなんですよ」

「えぇっ!? それでは新入りさん同士頑張りましょうね!」

「え、はい……」


 なんという爽やかさなんだ。

 誰かに脅されて入ってきたんじゃないのか?


 この屈託のない笑顔を見ていると、むしろ闇を感じさせられる。


「ええと……もうそろそろヘアメイクさんも来るので、着替えておきましょうか……ドレスはありますか?」

「はい! 着替え終わったら言いますね!」

「お願いします」


 キャリーバッグからドレスを引っ張り出すヒメさんを横目に、俺は部屋を後にした。


 キャバクラには、キャストのヘアメイクを専門に担当する人がいる。

 大体は外注で呼んでおり、何人かを固定のローテーションで回しているのだ。


 なので出勤時はスッピンで来るキャストもいる。


「…………」


 廊下で壁に寄りかかる。

 もし大学に彼女がいたとしたらめちゃくちゃ可愛いし愛想もいいし、サークルの姫間違いなしである。


 そういう「表の世界」でキラキラしていそうな子なんだ。

 俺みたいなぼっちの陰キャとも、梁井さんみたいな裏社会の人間とも、交わらないような。


「…………なんたって、こんなところに」

「私を目の前にして、挨拶なしとはどういうこと?」

「えっ!? あ、セリナさん……おはようございます」

「元気が足りないわね。雑魚キャラBみたいな顔のくせに一丁前に悩んでる様子ね」

「仰る通りでございます……」

「…………」


 壁にもたれかかる俺の目の前に立ち、セリナさんは不思議そうに俺の顔を覗く。

 この人も近くで見ると本当に綺麗な顔立ちしてるな、鼻も高いし。


 俺はこういう濃い顔の人あんまり好みじゃないけど……。


「令作、あなた担当を持ったんでしょ?」

「え、まあ、はい……」

「だったらそういう顔はしちゃいけないわよ。女の子まで不安になるわ」

「…………」


 相変わらず、セリナさんの顔は険しかった。

 客に付いてる時とは180度違うその表情。


 でも、目は確かに真剣だった。


「ありがとうございます、セリナさん」

「普通あなたが私たちを励ます立場でしょ! しっかりしなさいよ!」

「いてっ!?」


 セリナさんが俺の頭を叩く。

 俺が何かを言い返そうとしたときには、彼女はもう踵を返してメイクルームへと入っていってしまった。


「…………」


 言ってることは間違いないんだよなぁ。

 でも、ヒメさんがセリナさんと接したらきっとビビってしまうだろう。


「終わりました~」

「はいはい!」


 スタッフルームからヒメさんの声が聞こえる。


「着替え終わり――」


 言いかけて、思わず止まってしまった。


「どうでしょうか……?」

「とても……美しいです……」


 扉を開けると、そこにはお姫様がいた。

 白いレースのドレスに、艶やかなストレートロングの黒髪。その素朴ながら整った顔が、白を更に神々しく彩っている気がした。


 果たして、俺がこんな子の担当をまっとうできるのだろうか。

 さらに不安になるくらい、見とれてしまった。


「美しいなんて……照れますよ?」

「え、あぁっ、違くて……いや違わないけど……!」

「ふふっ……本当に夜っぽくないですよね、黒川さん」

「否定できないですね……」


「準備が終わったみたいですね、ヒメさん……と、令作」

「峰さん!?」


 どこからともなく、峰さんがヌンッと姿を現した。

 身長差がありすぎて、俺の目の前には峰さんの首があった。


「ヒメといいます……よろしくお願いします、峰さん」

「よろしくね。ヒメさんは未経験だから、接客について黒川から教えるよ」

「あ、俺ですか……?」

「当たり前。キャストさんの接客についてはこの前教えたよね?」

「はい……」


 つい数日前、キャストの接客について徹底的に教わった。

 ボーイがキャストの接客について知らない部分があるというのは業務上支障がでるからだ。


「それじゃあ、令作。開店まで時間があるから、ホールに行って接客を教えてくれ」

「わかりました」

「黒川さん、お願いしますっ!」

「…………」


 バーのアルバイトだと思って嬉々として電話をかけていた時の俺に言いたい。

 今お前はいたいけな女の子をキャバクラの世界へ導く立場になってますよ、と。


 俺たちはホールへ移動し、1つの席に横並びで座った。


「ええと、まず流れとしては……フリーの場合、付け回し役のボーイがヒメさんを待機室まで呼びに来ます」

「付け回し?」

「ええ。どの女の子をどの席に配置するか、2回転目は誰にするか……そういった采配をする担当の人です」

「なるほどですね……」


 付け回しはなかなか難しそうな業務である。

 客と相性がよさそうか、今日あまり客に付いていない子は誰か、指名の来店状況はどうか、単一的ではない様々な状況を総合的に考慮して1つ1つ決定する。


 セット時間は決まっているから、常に全卓の状況を把握するため時間にも追われるし、相性が悪いとキャストや客からのクレームを招きかねない。


「それで、呼ばれたら名刺やライターが入ったポーチを持って、ホールへ行きます」

「基本的にボーイが先導します。ボーイがヒメさんの名前をお客様に伝えたら、挨拶をして隣に座りましょう」


 実際に、立ってお客様の横に座るまでを実践させる。

 隣に座った時いい匂いがしていちいち脈が速くなるなんて言えない。


「お客様が喫煙者であれば、必ず持参のライターで点けてあげましょう。灰皿は1本吸い殻が入ったら交換します。ボーイが隈なく確認しますが、万が一気付いていない場合は"お願いします"とコールをして、手で輪っかを作るようなジェスチャーを見せてください。急いで交換します」

「お願いします、ていう風に基本呼ぶんですか?」

「そうです。基本的にボーイを呼ぶときは"お願いします"とコールしてください」

「わかりました~」


 しっかりとメモを書いている。

 この子、大学生とかなのかな……。


「1つ注意してほしいのが、お客様がボトルを頼んでいる場合、ドリンクは作ってあげましょう。そして、マドラーを回す時は必ずにしてください」

「え? 何か理由があるんですか?」

「……時計回りに回すと、時間を巻くジェスチャーになるので帰りを促しているようで失礼に値するからです」

「なんかすごい……!」


 そこまで気にしてる人がいるのかどうかは知らないけど。

 とりあえず峰さんや梁井さんの受け売りをするしかないのだ。


「会話はアドリブです。ヒメさんは常識人ですから特に気を付けることはないと思います。会話を始めたら、まず狙ってほしいのがです」

「ドリンク……」

「はい。お客様が女の子にドリンクをあげるんです。何か飲んでいいですか? と聞けば大丈夫です。シャンパンなどのボトルは最初から要求すると印象が悪いので、最初は通常のドリンクをねだりましょう」


「そして、次に狙うのはです。大体30分前後で女の子は入れ替わります。ボーイに声を掛けられたら、そのまま指名してもらって同席を続行できるように頑張ってみてください」

「みんなにねだればいいんですか……?」

「基本はそうです。ですが、明らかに相性が悪いお客様や、誰かを普段は指名しているお客様の場合は絶対に言わないでください。特に、誰かを普段指名している客には、場内をねだることも名刺を渡すことも禁止です」

「やっぱ横取りはダメなんですね」

「そうですね。連絡先を交換したら、指名替えをする可能性があります。それはバチバチになっちゃうので気を付けてください」


 これは本当に怒られるらしい。俺は見たことないから分からないけど。

 指名が被った際に、お客様にヘルプで付いた場合も連絡先交換はNGである。まれに、指名の子が忙しい時はこの子をヘルプで! というヘルプ指名のようなものもあるらしいが。


「と、まあこんな感じです。分からないことはありますか?」

「あの……付くお客様って1人だけとは限りませんよね」

「あ、そうですね。複数人で来たお客様には基本同数の女の子を付けます」

「それ怖いですね……」

「女の子同士の相性もありますからね。そういう時は助け合うしかないです」

「そうですか……!」


 共演NG、のようなこともよくあるらしい。

 女の子のいざこざは怖いので俺はできるだけ関わりたくない次第である。


「気を付けた方がいいことって他にありますか~……?」

「あ、それでは1つだけ。1回転目についた場合と、最後の2回転目についた場合では役割が少し異なります」

「役割……ですか?」

「はい。1回転目に付いた時はさっきと同じ場内指名を狙いますが、2回転目の時はセット終了時間がいずれ来るので時間延長を狙いましょう」

「まだいてほしい~! ていうアレですか!」

「そうそう。できるだけお客様に長時間いてもらうように頑張りましょう」


「…………」


 ざっと、こんなもんだろうか。なんというかめちゃくちゃ疲れた。

 教わったばかりのことを正確に教えるのは本当に頭も使うし、復習テストをされているようだ。


「黒川さん!」

「はい……?」

「すっごく頼りになります! わたし安心しましたっ!」

「えぇ……?」


 満面の笑顔と、文字が敷き詰まったメモ。


 そうか。

 俺が新人とか関係ない。この子に俺が教えた時点で、この子の接客のクオリティやこの店でうまくやっていけるかも俺次第になるのか。


「わたし、頑張りますっ!」

「…………」


 これからはヒメさんと二人三脚だ。

 まだ俺は担当の何たるかどころかボーイの何たるかすらマスターできていない。


 これはミッションだ。

 梁井さんの言う通り、自分で考えるしか選択肢はない。


「俺も……頑張ります」


 もうやるしかない。


 俺は、ヒメさんと一緒に最高の接客を目指すんだ――。


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