第5話 ボーイは"担当"の嬢を持つ。そして超清楚新人嬢ヒメ現る。
「えー、ベトナムにおいては即席麺の市場で6割のシェアを誇り……」
「…………」
熱くも寒くもない丁度いい気候と、窓の外からは桜がキャンパスを彩っているのが見える。
大きな講義室にまばらに空いた席。最後列の端っこで頬杖を突く。
まだ3限か。
昨日もクローズまで出勤したからさすがに眠いな。
入店して2週間、ほぼ毎日出勤してるせいか睡眠時間が圧倒的に足りていない。
「それでは時間になりましたので終了します。レポートは4月末までに提出するように、以上」
年老いた白髪教授の合図と共に、講義室内が一気に喧騒とした。
ぞろぞろと講義室を後にする者、席についたまま次の講義の準備をする者、立ち上がり友人と談笑する者。
今更いうのもなんだけど、俺本業は大学生だもんなぁ。
「うぇ~い、カナコちゃん今日飲んじゃう~?」
「カイト君ごっめーん! 今日バイトでさ~」
「え? 何のバイトしてるの?」
「カフェだよ! 是非きてよ~」
「うぇい? んじゃ行っちゃおっかなー!」
「…………」
俺の後ろでチャラそうな男女が大声で話している。
今日も俺は当たり前のように誰と会話することもなく席を立ち上がろうとする。
さてと、4限は別棟か。面倒くさいな。
「おっと」
「あ、すみません……」
隣席の女の子がペンを落とす。
拾って、特に何も言うこともなく返す。
「ありがとうございます」
「いえ」
「…………」
思えば、ラ・メール以外で俺が人と会話してるのって、コンビニか隣の人が物を落とした時くらいじゃないか?
いや、友達が0人というわけではない。俺はまだマシだ。
あっちはどう思ってるか知らんけど。俺が友達だと思ったら友達だ。いいんだよそれで。
「大学に通ってるのにJDと会話せずキャバ嬢と会話する生活」
受け取り方によっては、大学生にして彼女も友達もおらずキャバクラ通いをしている悲しきモンスターである。次に親から電話が来てもバイトの話だけはシラを切ろう。
「はーっ……」
大きく溜息を付き、足早に次の講義室へと歩き出す。
3年間、本当に灰色だったな。
「ああ、令作。3日ぶりだね」
「峰さん! どこ行ってたんですか」
「グループ店のヘルプに行っててな」
すべての講義が終わり、その足で店に行くと入口で峰さんがネクタイを締めていた。
ここ3日ほど、峰さんは不在で俺と梁井さんと数人のボーイで営業を回していた。
他のボーイとは正直まだあまり話さないし、梁井さんは怖いし、峰さんだけが心の救いだったのに。
「今日からはずっといてくれますか?」
「あ、ああ、いるけど……どうしたんだ令作」
もしかして、これが恋?
「おう令作きたか! おめぇ意外と飛ばへんなッ!」
「店長、それは言い方悪いですよ」
「…………」
梁井さんが世紀末クオリティの笑顔で俺に駆け寄る。
なんかよく分からないけど多分俺を褒めているのだろう。梁井さんありがとう。
「じゃあ、掃除はやっときます」
いつものように、オープン前の掃除に取り掛かろうとホールに歩き出す。
「令作きゅん! おっはよー!」
「ああ、ロリバ――丸山さん、おはようございます」
「今ロリババァって言おうとしました!? ロリババァって言おうとしましたよね!?」
視界にぴょこぴょこと映るアホ毛を無視し、掃除機のコードをコンセントに差す。
「令作、今日は掃除やらへんでええぞ」
「え……?」
「峰がバッチリやるからよ、お前は俺とスタッフルームで面談や」
「め、面談……?」
俺が初めてこの店に来た時に恐喝されたあのスタッフルーム。
そこで、また梁井さんと二人きり?
俺は思わず峰さんのいる方へ思いっ切り振り返った。
峰さんはワイシャツの袖を捲りながら苦笑いを浮かべていた。
「おら、ボーッとしてないで来いやコラ」
「タスケテ……タスケテ……」
がっちりと首根っこを掴まれた俺は、スタッフルームへと文字通り引き摺られていった。
「…………」
引き摺られている間、ふと今日の講義室で聞いた会話が脳を過る。
「カイト君ごっめーん! 今日バイトでさ~」
「え? 何のバイトしてるの?」
「カフェだよ! 是非きてよ~」
「…………」
俺もキラキラバイトにしておけばよかったのかもしれない。
いや、カフェみたいなキラキラバイトは俺みたいな闇の存在がやっていいバイトじゃない。
じゃあどこでやればいいの?
「お前みたいなモンはウチしかないで」
「ヒィ……なんで頭で考えてること読めてるんですか」
「顔に迷いが見えた」
「ヒィ……」
そのまま、無機質な景色のスタッフルームへとぶちこまれる。
黒いソファに腰を降ろすと、相変わらず吸い殻がてんこ盛りの灰皿が目に映る。
対面にドカンと腰を降ろした梁井さんがグッと大きな顔を近づけてくる。
だから毎回ヤ〇ザ映画のワンシーンみたいな演出すんのやめろってば。
「お前はここに入って2週間ちょっとや」
「はい……」
「まだまだヒヨっ子やけど、それなりに真摯に働いてくれてるのは伝わるで」
「あ、ありがとうございます」
「まあ、思ったよりコミュニケーションも取れとるみたいやから、1つミッションを課すわ」
「ミッション……?」
梁井さんが胸ポケットからセブンスターを1本取り出し、咥えてジッポで火を付ける。
吹きかけた煙が部屋中に勢いよく舞うと同時に、俺の顔を直撃する。
「ゲホゲホ……ミッションって何ですか?」
「ホールとして動いてるだけやと……ドリンクを運ぶ、オーダーを取る、ご案内する、とかいう営業におけるプロセスの1つの動作をその場で達成して満足してまうやろ?」
「は、はあ……」
「お前が今やってる単一的な仕事の先に、何があるのか学ばせる必要があるでな」
「梁井さん……」
この人、頭でも打ったのか?
なんかいきなりマトモな話し始めたぞ?
「この業界特有の部分をまだ体感できてないわけや。すべてのプロセスや業務は繋がってるんや、今の1つを完成させて満足する状態から1歩ステップアップしてもらわんと一人前にはなれへん」
「はい……」
「それは……誰かから正解の提示がされへんモンを、自分で考えて行動して、つまり試行錯誤することなんや」
「なるほどですね……」
まて、急にどうした。
この人は怒鳴って笑って怖い顔を十二分に発揮するキャラとして存在する人間じゃなかったのか。
やっぱり、こういう業界とはいえ店長なのか。
「ちゅーわけで、ミッションの内容や」
「はい」
思わず引き締まる。
手にかいた汗を握りこみ、梁井さんに耳を傾ける。
刹那。
「ん……?」
ドアをノックする音が部屋中にこだました。
なんだよ、大事な時だってのに。
「お、来たか」
「え、来たかって……?」
しかし、梁井さんがニヤリと笑う。
ゆっくりと立ち上がり、ノックされたドアを勢いよく開けた。
「お待ちしとったで、ヒメ」
「失礼します。ヒメと申します」
「誰……?」
開いたドアから入ってきたのは、黒髪ロングの清楚な娘だった。
艶やかな黒髪だが、髪を盛るわけでもオシャレに決めるわけでもなくストレートにストンと落ちるロングヘアー。
カラコンも入れてないようで、黒い大きな瞳が俺の顔を見つめていた。
色白で、体は細くて、身長は160cm行かないくらいだろうか。
「ヒメです。よろしくお願いいたします」
「新人のヒメや、令作も挨拶せい」
「新人……」
キャバクラに働きに来た、というにはちょっと無理があるような。
それくらい、夜の匂いがしなかった。いかにも正統派アイドルとして活躍してそうな、ナチュラルな素朴さ。
「く、黒川令作です……ここでボーイやってます」
「黒川さん、何も分からない新参者ですが……どうぞよろしくお願いしますっ!」
「…………」
礼儀正しくて、腰も低い。
本当に新人?
「梁井さん、これは一体……」
「なーに困っとるんや。このあいだ面接来て、今日から体験で働く子やで。仲良くしたってな」
「あ、あの時の……」
俺がまだ出勤2日目だった時。
開店前のミーティングで3.5だの4だの話し合っていたのがこの子のことなのか……。
「でも、今日は体験なんですか?」
「せやで。まあ普通1日目は日払いの体験入店って形になるんだわ。そこで店と女の子お互い大丈夫やったら本入店でキャストとして正式に働くんや」
「なるほど」
俺よりあとに入ってくる人間初めてである。
まあ、といっても俺が教えられるようなことはないし、今日もいつも通り――
「で、ヒメ。この黒川令作っちゅう男が今日からヒメ担当のボーイになる。売上のことや些細な相談事もまずはコイツを通すんやで」
「わかりました! 黒川さん、色々教えてください! よろしくお願いします!」
今、なんて?
「梁井さん?」
「ん、なんや令作。ミッションを課すゆーたやろが」
「これのことですかっ!?」
「当たり前や。担当としての仕事はみっちり教えたるから、ガタガタ言わんとまずはやってみぃ」
「そんな……!?」
入って2週間ちょっと。
しかも俺は社員でもなんでもない。ただのバイト(しかも童貞)だ。
普通の女の子すらマトモに扱えないのに、管理する立場だと?
さすがに話が早すぎるんじゃないか?
「わかりました、やらさせていただきます!!」
頭では反論を100パターン考えたものの、梁井さんの目つきが鋭くなったのを確認して俺は元気よく口を開いた。
力こそパワーであり、パワーこそ正義である。
「じゃあ、俺は峰を手伝うから開店前まで二人で自己紹介でもしといてくれや、んじゃ」
「えっ、ちょっと――」
俺の声を遮るように、ドアの閉まる音が響いた。
「…………」
「…………」
訪れる沈黙。
時計の針が動く音が、部屋内に無機質なリズムで流れ続ける。
「…………」
え、なにこれ?
いきなり担当とか言われて、放置?
恐る恐る、俯いていた顔を上げてヒメと呼ばれた女の子の顔を見る。
汚れのない澄んだ瞳が俺と合う。
「店長さん、怖かったです~!!」
「えっ?」
突然、大きな声で悲痛の叫び。目には涙が浮かんでいた。
「あの……」
「黒川さんは怖くないんですか……?」
「いや、めちゃくちゃ怖いし、なんならこの業界の人みんな怖い」
峰さんを覗いて。
いや、あの人もある意味怖いか。今のところ謎以外ないし。
「ですよね……? スカウトさんもボーイさんも怖くて……私そういう人と今まで関わりなかったので……」
「そ、そうなんですか?」
「はい……今日もすっごく怯えながらここに来ました……」
先ほどの張りつめた顔が一気に崩れていた。
これは尚更キャバクラに働きに来た子ではなく、その辺にいる清純娘である。
「ヒメさん……」
「黒川さんは怖い人じゃなくて少し安心してます」
「俺もこの業界向いてない人間ですから……」
「…………」
この時。
俺はヒメという女に。
絶大なるシンパシーを感じていた――。
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