第4話 眠らない街には、ギャル嬢レイの「夢」がある

 眠らぬ街、歌舞伎町に店を構える「クラブ・ラ・メール」に勤務して1週間が経った。

 アルバイトの俺は週に4~5日のシフトを敷いて出勤していた。


 そもそも、大した趣味もなく友達も少ない俺は頻繁に飲み会や遊びをすることはないため、昼に大学へ通っていようが深夜までいくらでも働くことができるわけだ。悲しいね。


 店は日曜定休。梁井やないさん曰くキャバクラは日曜定休がベターらしい。

 じゃあ逆に営業してしまえばビジネスチャンスなのでは? と思ったがそういうものではないのか。


「…………」


 今日も治安の悪い歌舞伎町の奥へと歩いていく。

 客引きやスカウト、ホストたちが、待ち構えているモンスターや村人のように道に立っている。


「オニイサン、ギャンブル、ヤル?」

「大丈夫です」


 店までの道を通る時、毎度の如く身長2mはありそうなガタイのよい黒人が裏カジノの勧誘をしてくる。

 ラ・メールに入ってから教えてもらったが、違法な裏カジノがこの街には沢山あるらしい。もっとも、看板など出すわけがないし、雑居ビルの厳重な扉の向こうにひっそりと店を構えているようだが。


「これに慣れてきてる自分が怖い……」


 大学に入る前までは、田んぼ道をチャリで駆け抜ける少年だったのに。

 今じゃこの物騒なアンダーグラウンドを颯爽と歩いていく1人の黒服である。


「よっ!!」

「――ッ!?」


 早足で店に向かっていると、後ろから聞き覚えのある声がすると共に突然肩に重力を感じた。

 こういうところで突然声を掛けられたり触られたりするのは本当に怖いんだって!


「令作くん! おーはよっ」

「あ、レイさんか……びっくりしましたよ……おはようございます」


 ウチで働いているひょうきんギャル、レイさんだった。

 初出勤で話してからは、何度か出勤も被ってその度に話しかけてくれる「陰キャの俺に何故話しかけてくる……? これって俺のこと好きなんじゃ……?」系の女子である。


「猫背で超早足で歩いてんのめっちゃウケたよ」

「えぇ……」


 俺の中ではこのアンダーグラウンドなエリアを颯爽と駆け抜けていたつもりだったんだが。


「俺、そんな風に見えますか?」

「あれは借りてきた猫って言葉がこのためにあるんじゃないかなってくらいだったよ~、ウケる」

「つらすぎる……」

「てかさー、令作くんってお酒強い?」

「え? 強いってほどじゃないですが……弱いわけでもないかと」


 この突然の話題変更はなんなんだ。だからギャルの気まぐれは困るんだ。

 酒は割と好きだ。とはいえ飲み会にあまり呼ばれないため家で1人シコシコ飲んでるだけだが。


「ほうほう」


 レイさんが頷きながら含みのある笑みを浮かべている。まるで何かを思いついたかのような。


「な、なんかあるんですか?」

「いやいや~? 聞いてみただけだよん」

「は、はあ……」


 そうこう会話しているうちに、店の前に辿り着いていた。

 この辺りまで来ると、もう歩いている人はどう見ても同業者ばかりだった。


「この一部と化すことになるとは……」

「んじゃま、今日も1日がんばろーね」

「はい……」


 調子のいいギャルとエレベーターを上り、店の扉を潜る。


「おはようございます」

「おっはよ~」


「おうレイ、と令作。お前ら2人揃ってホテルから出勤か? 100万取るで?」

「まっさか~、健全キャバ嬢だよん」

「100万?」


 入口で作業をしていた梁井さんが笑い飛ばして俺の背中を叩いた。軽く叩いてるつもりなんだろうけどめちゃくちゃ痛いんだよ。階級差考えてくれよ。


 ところで、100万ってなんの話?


「おう令作。この話するの忘れとったわ」

「え……?」

「ウチから説明してあげよう! この業界は、ボーイくんと女の子が恋に落ちると罰金&怖いことが待ってるのでーす!!」

「まじで……?」


 レイさんと梁井さんは唖然とする俺を見てゲラゲラと笑っている。

 罰金&怖いこと? 怖いことってなに? また闇が出てきたよ?


「ガッハッハ! ゆーてな、ボーイとキャストがプライベートで遊んだり付き合ったり、乳繰り合うっちゅうのは禁忌なんや」

「そうなんですか……」

「手ェ出したらボーイ50万、キャスト50万で100万の罰金や。クビにもするし、俺や上にぶっ殺されることになるで」

「ヒィ……」


 やっぱもうやだこの業界。


 とはいっても、俺なんかがあんな派手な女たちとチョメチョメなんかあり得ない話だから正直他人事だ。

 チャラいボーイがやらかすだけだろ、どうせ。


「令作も分からんで。意外と簡単にやらかすもんやで」

「いや俺は……」

「ふーん、じゃあウチ令作くんと風紀しちゃおっかな~?」


 レイさんが悪戯っ子のような笑顔で俺の腕にしがみ付く。


「おうわっ!?」

「あ~、今おっぱい見たでしょ?」


 腕に柔らかい胸の感触が伝わり、思わず谷間を見下ろしてしまった。

 今のは不可抗力でしょ!


「みみみ見てないですから!」

「ムッツリだね~、言い寄られたら風紀しちゃいそ~」

「がっはっは、そのイモくさい反応できんなら安心やな!」


 こちとら童貞やぞ! ふざけんな!


「…………掃除してきます」

「そんな拗ねることないやろ~」


 腹を抱えて笑う梁井さんとレイさんを傍目に、俺はホールへと突き進み掃除を始める。

 くそ、童貞をおちょくりやがって。でもレイさんめちゃくちゃフローラルの匂いしたし上目遣い可愛かったな。おっぱいの感触も……


「って、いかんいかん」


 そうか、こういうことか。

 チャラいやつの方が慣れてるならいちいちドキドキしないし恋心とか芽生えないんだ、俺みたいな童貞が1番危ないんだ。


 悲しいよ、俺。





 19時に店がオープンし、週末ということもあって店内は賑わっていた。

 ホールもなかなか忙しく、時々ミスをして梁井さんに怒鳴られながらも何とか回している状況だった。


「お願いしま~す」

「はい、ただいま」


 ホールを見回していると、席から女の子がコールをする。

 俺がすぐに駆け寄ると、女の子は両手の手のひらを下に向けるジェスチャー。


 もう覚えたぞ。


「2卓でカオリさん場内です」

「おう、了解や。16卓がチェックしてるから会計いけるか?」

「わかりました」


 インカムを入れると、イヤホンから梁井さんの低い声が聞こえた。


 女の子が手のひらを下に向けたら「場内指名じょうないしめい」。

 フリーのお客様について、そのお客様が付いた女の子を気に入った場合、そのまま交代せずずっと席に付いてもらう。それを「場内指名じょうないしめい」と教わった。


 最初から指名で来る「本指名ほんしめい」で次から来てもらうためには、大事な初歩である。

 フリー客に付く女の子にとっては、この場内指名を取れるかが今後大事になるというわけだ。


「おっねがいしまぁ~~~す!!」


 奥の方から元気のよい高い声が響いた。

 誰よりも大きなそのコールは、今日出勤する時に出くわしたレイさんの声である。


「はい、ただいま!」


 急いで駆け寄ると、レイさんはスーツを着た小太りで眼鏡の30代くらいの男の隣に座っていた。

 そして、卓上には既にボトルが2本ほど聳え立っていた。


「君、新人かい?」


 シャンパングラスを傾ける男が、俺を一瞥して呟いた。

 一方、レイさんは終始ニヤニヤしながら俺と男を交互に見ている。


「はい。1週間前から働いてます、新入りの黒川です」

「へぇ、なんだかボーイらしくないね」


 毎回言われるけど俺そんなに見た目向いてないの?


「令作くんってばスーツに着られてる就活生みたいだよね~!」

「はっは、それ的確だね」

「…………」


 悪かったな。


「オーダーでしょうか?」

「いやいや、黒川君。僕は君と一杯やりたくてね」

「え、自分と……?」

「そーゆーこと! ウチと令作くんとだいちゃんでね!」


 俺も入るの?

 たしかに、峰さんや梁井さんはよく客に付いて一緒に飲んでるけど……俺がやってよさそうな感じではないような……。


「申し遅れたね、僕が大ちゃん」

「大ちゃん」

「そそ! 大ちゃんと楽しく飲むよ~! ほれほれ」


 レイさんに腕を引かれ、大ちゃんと呼ばれる謎のおっさんの隣にされるがままに座る。

 端からレイさん、大ちゃん、俺、という謎の並びである。


「んじゃま、かんぱ~い!!」


 レイさんの威勢のよい声に、3つのグラスが集結する。

 コン、と高い音がしたあと、俺はグラスに入ったシャンパンを喉に流し込む。


 う、うめぇ……。


「大ちゃんの金で飲むシャンパンが今日もうまい!!」

「はっはっは!」

「それは言っていいことなのか……?」

「レイたんのいいところはそういうところだよ、黒川くん」

「そ、そうなんですか」

「頑張ってるレイたんに貢ぐ、僕にできることはそれだけさ」

「やだ~、大ちゃん!」

「…………」


 これは完全にオタクである。

 案外本質はアイドルオタクと変わらないのか?


 にしても、貢ぐのが生きがいっていうのもなんかな。


「黒川くん、きっと、僕をしょうもない人間だと思ったよね?」

「え? いや、そんなことは……」

「いや、わかってるんだ。でもね、レイたんは本当に頑張ってる子だから。応援したいんだ」

「大ちゃん、ウチはそんな――」

「彼女はね、朝から深夜までずっと働いてるんだ。夢を叶えるために」

「夢……?」


 男の表情は真剣だった。

 大ちゃんの後ろでは、レイさんが顔を赤らめながら手をパタパタを振っていた。


「ウチって? ほら、そういうキャラじゃないし?」

「レイさん、働いてるのここだけじゃないんですね」

「そうなんだよ黒川くん。レイたんは昼に働きながら夜はここで働いてるんだ」

「ウチ、アパレルで働いててね。終わった後にここ来てるんだ~」

「そうだったんですか」

「レイたんはね、すごく努力家だから」

「やめてよ大ちゃん」

「なにか夢があるんですか?」

「令作くんに言うのはちょっと恥ずかしいけど……アパレルの分野で将来起業したくて……」

「き、起業?」


 ひょうきんギャルから出た意外な言葉に、俺は思わずグラスを置いた。

 レイさんは頭を掻きながら静かに微笑んだ。


「今はアパレルの給料も高くないから……資金のためにお金もある程度は溜めないといけないからね~」

「レイさん、そこまで考えて……」


 意外だった。

 ここにいつのまにか流れ着いただけのキャバ嬢かと思っていた自分がいる。

 梁井さんに詮索するなとは言われたけど、たしかに人それぞれの事情があって、安直に知ろうとするべきじゃないということを今実感した気がした。


 この人、真面目なのか。


「ねぇ! ほら、なんか神妙なカンジになっちゃったでしょ! ほら飲む飲む!」


 慌ててレイさんが俺と大ちゃんのグラスにシャンパンを注ぎ込む。

 そのシャンパンは零れそうなほど並々に注がれた。


「それでは、レイたんの将来に、カンパイ」

「……乾杯」

「もー、恥ずかしいからやめてよぉ~、乾杯!」


 ポニーテールから生えた触覚を指でイジりながらレイさんが唇を尖らせる。

 大ちゃんは満足げにグラスを傾け、俺にグッドサインを送った。


「…………」


 レイさんは、俺で遊ぶためにきっと席に呼んだし、そのために酒が強いかどうか確認したんだと思う。

 と、思いきや意外な一面を知ることができたしなんというかリスペクトの気持ちが少し生まれた。


 きっと、酒の強さを確認したのも、俺を心配してのことだったのかもしれない。

 なんだよ、いいやつかよチクショウ。



「令作。お客さんとうまくやることも、ボーイには大事なスキルや」

「!?」


 喉にシャンパンを流し込んでいると、突然インカムから梁井さんの声が響いた。


「ホールで働くのも大事やけど、俺らはモノを売ってるわけちゃう。すべて人で成り立ってる商売や」

「はい」

「お前なりの商売、してみぃや」

「わかりました」


 それだけ告げると、インカムは途切れる。


「…………」


 俺にはまだ難しいかもしれないけど。


 まあ、こうしてここに入ったのも何かの試練か縁なのかもしれない。


「黒川くん、飲み足りてないのでは?」

「えっ!?」

「令作く~ん、全然減ってないよ! はい飲んだ飲んだ!」


 まだ解せないけど。


「ぐっ……!!」


 一旦、頑張ってみようかな。


「黒川くん! すごい飲みっぷりだね!」

「令作くんすごい勢いのイッキ……!」


「ぷはぁ……っ!」


 この、裏の世界で――。



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