第3話 圧倒的No.1嬢セリナ、黒川に立ちはだかる

「おはようございます!」


 夜だろうが挨拶は「おはようございます」だ。


「おお、令作れいさく。おめぇ昨日は無事だったみたいやな」

「無事……?」


 このクラブ・ラ・メールに入店して2日目の出勤。

 なんでまた来ちゃったんだろう。


 とにかくイカつい店長こと梁井やないさんが、相変わらず歪んだ笑顔で俺の肩を掴む。


「今日は俺がみっちり教えてたるからよ、感謝せぇや」

「ひぃ……」


 今日は仏の峰さんじゃないのか……。

 思わず肩がすぼんでいく。


「店のオープンは19時や。ボーイは17時に来て準備やミーティングをする」

「はい……」


 講義を終えて出勤した今はまさに17時。

 まだ女の子の姿は1人も見当たらない。


 静寂とした店内には、俺と梁井さんのみ。


「あの、みねさんは……?」

「俺じゃ嫌なんか? 殺すぞ! あいつは買い出しに行っとるわ」

「そ、そうですか」


 傍から見たらヤクザに恐喝されてる一般男性だ。

 この人黙ってても怖いのに口開いたら2倍マシで怖いよ。


「じゃあ、18時までは開店準備と掃除や。ほれ、さっさと動きぃ」

「はい……!」


 梁井さんに背中を押され、雑巾や掃除機を手にホールへと投げ出される。

 キャバクラはお客様トラブルが非常に多い。掃除など店内環境も文句の捌け口にされないよう徹底してやるように梁井さんから告げられた。


 俺、荒事は対応できないよ。喧嘩とかしたことないからねマジで。


 不安の旨を昨日伝えた時、梁井さんから「ネクタイとインカムを取ればその時点で勤務中ではなくなるから、どっかの地下駐車場でボコボコにしても店の責任はないよ」と教えてくれた。もういや。


「…………」


 無心でテーブルを拭く。


 結局、昨日は峰さんに教わりながらクローズの3時まで働いた。とはいえ何も分からないからオーダー受けや会計処理くらいしかやってないけど。


 結局上がったのは3時半。車を持っていないボーイは女の子の送りと一緒に乗せてもらえるようだ。


 とはいえ、童貞の俺は女の子に自己紹介以外の会話をすることなどできず、助手席でひたすらエアコンの穴の奥を見つめ続けるという奇行に走った。


 なによりも、ビルの前に黒塗りの送迎車が5台も並んで止まっていたのは歌舞伎町の闇を感じた。何かの危ない集まりかと思った。


「やってけんのかなぁ……」


「戻りました」

「おお峰! ばっちり仕入れてきたか?」

「完璧です」


 小さなガラスの灰皿をテーブルに並べていると、後ろから相変わらず背が高くひょろっとした峰さんが現れた。


「さすがやな。今日はスタッフが俺らしかおらへんから、負担かけるが頼むわ」

「任せてください」

「ほれ、そんじゃミーティング始めようや。はい集合」

「…………」


 客席の1つに、俺と帰ってきた峰さんが呼び出された。

 丸いガラステーブルを囲む。梁井さんと峰さんがタバコに火を付けた。


「ふーっ……昨日面接来た子やけどな、まあランク高いわ」

「ほう、4いきますか?」

「ゆーてもな、未経験なんや。初っ端は3.5で手打つわ」

「…………」


 4? 3.5? 何の数字?


「何の話か分かってない令作に教えといたるわ。昨日面接に来た女の子の時給をどうするかって話や」


 ああ、4,000円、3,500円、てことか。

 でもこういう業種って明確なスキルとかがないから、やっぱり顔で決めるのかな。


「どうやって決めるんですか?」

「まあランクが高ければ勿論時給は高くなるが、それだけじゃない。出勤ペースが多い子には相応の良い条件で出す。それと、水商売経験の有無も大きい」

「でも、ランク高いって言ってましたよね? 3,500円って高いんですか?」

「まあ平均ちょいくらいやな。キャバ嬢の収入は時給だけちゃうで。そこにバックが重なるからこそ高収入ってわけや」


 梁井さんがグラスを持つジャスチャーをして、テーブルをトン、と叩いた。


「バック……?」

「お客様から女の子へ酒をあげた時に発生するドリンクバックや。1杯ナンボって感じで計上するんだわ。シャンパンとかボトルの場合は値段の15%がバックに入る。んで、あとは同伴バックと指名バック」

「いろいろあるんですね」

「せや。同伴バックは入店前に客とメシ食ってきてそのまま指名で入ったら渡すんだわ。指名バックはそのまま、本指名1人につきナンボって感じで計上する」


 時給+ドリンクバック+指名・同伴バック=?? みたいな感じか。

 それじゃあ時給だけで4,000円貰ってたら、日給合計はそれなりの額になる。


「それが重なったら夢の高収入……」


 街を通り抜ける例のトラックが頭をよぎる。


「人気炸裂の子なら月100万も夢ちゃうで。ウチにも1人、100万円プレイヤーがおるでな」

「ええ、セリナさんのことですね」


 峰さんが割り込む。


「セリナさん……?」



「おはようございます」


 刹那、入り口から女性の甲高い声が聞こえた。


「お、噂をすれば……」

「セリナ、今日は珍しく早いんだな」

「あら、いつもギリギリみたいな言い方じゃない?」


 ホールに顔を出したその女がセリナ。

 金髪の髪がカールしており、身長も恐らく170cm程度。しかし、体つきは引き締まっておりロングスカートから覗く脚は細く色白い。そして巨乳。


 なんというか、顔から自信が滲み出てるタイプだ。俺はそういう女性をできるだけ避けて生きてきたもんだから、一瞬目が合うだけで少し頭が熱くなる。


「いつもギリギリだろ……」

「失礼だわ。で、そこの村人Bは?」

「あ、初めまして、新入りの黒川令作です。よろしくお願いします」

「…………」

「ああ、店長。今日はオープンと同時に2人指名が来るわ、そのあとは20時に1人、22時台に2人……」


 あれ? 俺の存在って突然消えた?

 突然俺に関する記憶失うみたいなアレ?


「おう、さすがウチの誇るナンバーワンや」

「ナンバーワン……」

「せやで、この女がウチの誇るナンバーワン嬢、セリナや」

「当たり前よ」


 髪を掻き上げた彼女から、フワッと強い香水の匂いが鼻を突き刺した。

 これ、女王だ……。なんかもう典型的なやつだ……。


「何円貰ってるんですか?」

「おいこら令作。銭の詮索は厳禁や」

「そうなんですか?」


 梁井さんが俺に顔を近づける。デカい威圧的な顔がもっと威圧的になる。この人、脅しだけで食っていけるよ絶対。

 隣では峰さんが苦笑いを浮かべ、セリナさんが呆れたように溜息を付いた。


「給料を管理してる俺らはええけどな、それ以外のやつは安易に給料を聞いたり、何に使ってるかを聞くもんやない」

「そ、そうなんですか……すみません」

「まあ、しゃーないわ。女の子同士で給料を教えあうのもこういう場所では禁止や」

「これだからビギナーのちんちくりんは困るのよね、あなた私の前でドジやらかしたらシバくわよ」

「はぁ……すみません」


 なんかもう四方八方から強烈な人種に詰められてて、切実に辞めたい。


「まあまあ令作、そう落ち込むな。こういう訳ありの業界だからこそ、コミュニケーションの線引きは難しいし、暗黙の了解も多いんだよ。これからじっくり覚えよう」

「峰さん……」


 やっぱこの人に一生ついていきます。


「ほんなら、時間ないから雑談はやめて本題に入るわ。セリナ、待機室に行ってくれ」

「は~い」


 セリナさんがモデル顔負けの澄ました歩き方で待機室へと歩いていく。

 いちいちオーラ発揮してるな。


 再び3人になり、梁井さんと峰さんが真剣な表情でミーティングを始めた――。






「いらっしゃいませ!ご指名はございますか?」


 お客様が入口に立っていたので、第一発見者の俺が対応する。緊張が解けず未だに声がうわずる。


「セリナちゃんいるよな?」

「はい、います。ご指名でよろしいですか?」

「おう。はよ通せよ」

「か、かしこまりました!」


 ブラックスーツでガタイの良い、コワモテの中年男が俺を怪訝そうに見つめる。

 モテないオジサンみたいな人ばっかかと思ってたけど、なんかヤバそうな人種も沢山来るんだなぁ。


 セリナさん本指名来店をインカムで流そうとすると、男は俺のことを指差し話しかけてくる。


「お前さん、新人か?」

「は、はい! そうです! 黒川と申します」

「黒川ね。黒服っぽくねぇな」

「は、はあ……」

「おいおい冗談だよ、そういうの上手く返せねーとお客さん捕まえらんねーぞ?」

「す、すみません」

「だからそれもだよ! チッ、早く案内してくれ」

「かしこまりました!」


 案内しようとしたら勝手に喋り始めたんだろ……。

 内心苛立ちつつも、再度インカムを入れる。


 まだ2日目だが、昨日から思うのはボーイと過剰にコミュニケーションを取ろうとする客が多い気がした。

 たしかに、峰さんや梁井さんはよくお客さんと談笑しているし、たまに一緒に席に付いて酒を飲むことすらある。


 仕事中なのにいいのか? とは思うが、梁井さん曰く「俺らもキャストみたいなもんや」だと。


「セリナさんご指名1名様です」

「承知。令作、口の悪いコワモテのスーツの人だろ? その人は加藤さんっていう常連様で、いつもVIPルームに入るから聞いてみてくれ」


 峰さんから応答があった。

 見てもないのに分かるもんなのか。


「かしこまりました……お客様、本日はVIPルームご利用でしょうか?」

「ったりめぇよ!」

「ご案内します!」


 おしぼりを取り出し、お客様を店内の一番奥にあるVIPルームへ案内する。

 唯一の個室で、扉を開けると大きなソファに囲まれたテーブルと、モニター、カラオケ機器がある。


「それではオーダーをお伺いします」

「そんな質問いらねぇよ、兄ちゃん。セリナちゃんが付いたらすぐソウメイ出せよ」

「ソウメイ……かしこまりました」


 頭を下げ、速やかに部屋を出る。

 ソウメイ……正直なところ、まだボトルの名前は全然憶えられていない。


「ええと……VIPにソウメイお願いします」

「ガッハッハ! 加藤ちゃん飛ばすやんけ!」

「え、あ、はい……」


 インカムのイヤホンから、梁井さんの大きな声が響く。


「まあ、あの人、口は悪いけど太客ふときゃくだから」


 ホールにいた峰さんが、俺の不安げな顔を見てフッと微笑む。


「ふときゃく……?」

「そう、太客。お金を沢山使ってくれるお客様のことをそう呼ぶんだ。多少行儀は悪くても、羽振りがいいならVIP待遇でもてなしてあげないとね」

「そういうものなんですね」

「女の子はそういうお客様を掴まないと、成り上がっていけないからね」


 峰さんが骨ばった細い手で俺の肩を叩く。

 そして、呼ばれた客席へと消えて行ってしまった。


「新人くん。私のお客さん、今入った?」

「あ、そうです!」


 後ろから、スタンバイ済みのセリナさんが話しかけてくる。

 赤いドレス姿の彼女は先ほど以上に「女王」だった。


 アップした髪の下から覗くうなじは、俺も息を飲むくらい綺麗で妖艶だった。


「ちょっと! ボーッとしてないで、はやくエスコートしてよ」

「すいません!」


 あ、そうか。女の子が席に着くときはボーイが先を歩いて席までエスコートするんだった。


「…………」


 再びVIPルームの扉をノックし、セリナさんをつれて中へと入る。


「失礼します。セリナさんです、よろしくお願いいたします」


「お久しぶりね、加藤さん」

「セリナちゃん……今日も美しい」

「ふふ……でも毎度言われると飽きちゃうわ?」

「じゃあ、結婚しよう……!」

「ん~、加藤さんとなら本気で考えちゃうかも、ね?」


 出勤したときの仏頂面は1ミリ残らず消えて、新しい人格が出現したのかと思うほどの屈託のない"イイオンナ"の笑顔を見せる。


「くぅ~~、おい兄ちゃん! はよシャンパン持ってこい!」

「は、はい!」


 怒鳴られ、急いで部屋を出る。

 アイドル握手会のオタクみたいだったな……。


 あれがナンバーワンの笑顔か。末恐ろしい。


「…………」



 結局、その席では2時間で3本のシャンパンが空いた。

 その間にも、セリナさん指名の客は複数人来店し、セット時間を分割してそれぞれに接客していた。


 A客B客と指名が被った時、Aの客に付いている間、Bの客には勿論付けない。

 その場合、ツナギとして席に着く女の子を「ヘルプ」と言うらしい。


 でもなんか、それってバーターみたいなものですよね、と梁井さんに言ったら少し怒られた。

 1人で働いてるわけじゃないから、ある程度の助け合いも必要だと。


「すげーなぁ」


 結局、閉店まで指名の客は途切れることなく、一度もフリー客に付かない状態で今日が終了した。

 空いたシャンパンは恐らく10本を超えている。よく潰れないな。


「今日もお疲れ様、令作」

「お疲れ様です! 峰さん! セリナさん、すごいですね」


 女の子たちはメイクルームで私服に着替えている。

 俺たちボーイは、グラスを洗ったり、売上の確認作業を行っていた。


「そうだな、今日も圧倒的な売り上げだった」

「よく潰れないですよね、あのシャンパンとドリンクの数で」

「ん、もしかして本当に飲んでると思ってる?」

「え?」


 え、怖い。

 どういうこと?


「シャンパンは本当に飲んでるから、お酒は強いだろうけど……グラスで出てるのは全部ソフドリだよ」

「えっ……でもウーロンハイとかカシスオレンジってオーダーには……」

「名目はね。でも、それらはすべてアルコール抜き。ウーロンハイなら、ウーロン茶」

「そ、そうだったんですか!?」


 なんか騙された気分でショックだ。

 そんな、アイドルや声優が「弟」と呼ぶのは実はすべて彼氏です、みたいな詐欺あるの?


 目を見開いて絶望する俺に、峰さんが子供をあやすように微笑んだ。

 この人、俺を赤ちゃんだと思ってる説ある。いやすっげー親身で助かってるけど。


「"濃いめ"とオーダーされて初めてアルコール入りを出す。じゃないと酔っ払い過ぎちゃうからなぁ」

「そうだったんですね……衝撃です」

「はは……まあ水分は摂りまくることになるから、なかなか大変だろうけどね」

「…………」


 だからキャストたちはみんなトイレが近いのか。

 サボってるものだとてっきり……たしかに、席に着くごとにドリンクを飲んでたらそうなるのも無理はない。


「ねえ、新人くん」

「は、はい!」


 着替え終わったセリナさんが後ろから話しかけてくる。

 接客中の眩しい笑顔を柔らかい表情はもう跡形もなく、当初の仏頂面が復活していた。


「接客中モタモタしすぎなのよね。しっかりしてくれない?」

「すいません……」

「まず、私が接客でお客様に密着してる時に入ったら、目を逸らすのやめてくれない?」


 ああ、たしかに人がイチャついてる姿は思わず目を逸らしてしまう時がある。カップルのイチャイチャ中に突撃するみたいでなんか気まずいんだもん。


「あと、もっと堂々として。おどおどしてるのは恥ずかしいわよ」

「わかりました……すいません」


 今日何回「すいません」て言ったんだろう。自己肯定感下がってくなぁ。

 肩を落とす俺に、セリナさんはキッと睨みつけ近づいてくる。


「私が最高の接客をしてるんだから、新人くんもせめて態度だけは同じようにしてよね」

「はい……」

「……以上。お疲れ様でした」

「お疲れ様でした……」


 踵を返し、颯爽と店を出て行ってしまう。


「はは、言われてますな~令作くん」

「おわっ!」


 突然後ろから「合法ロリ」がエンカウントした。

 昨日出会った、キャッシャーをやっているあのオレンジ髪のロリっ娘(三十路)である。


「そいえば昨日名乗ってなかったですよね! あーちは丸山まるやまです!」

「丸山さん……俺は黒川令作です」


 あーち、とかいう謎の一人称。やっぱこの人なんか怖い。


「セリナっちは新人に手厳しいけど、優しい子ですよ!」

「え、嘘ですよね……」

「本当に性根が腐ってたら、わざわざ帰る前に自分から話しかけてまで説教しないですよ! しかもあーちから見ても的確ですし!」

「そ、そうですか……」


 小さな頭から生えたアホ毛が、ぴょこっと揺れる。

 うーん、まあ、そういう風に捉えておくことにしよう。


「フォローありがとうございます、丸山さん」

「なんのこれしき、です! 頑張ってくださいね! ではお疲れ様です!」

「はい……お疲れ様です」


「…………俺も帰るか」


 2日目の勤務終了。

 キャバクラのボーイは、コミュ力とメンタルが死ぬほど大事なのは分かった。


 やっぱ童貞の俺にはハードルが高いのでは?



 女王ナンバーワンセリナ、やっぱりまだ怖いです――。



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