第1話 バーのアルバイトスタッフ募集を見て来たんですが
「バースタッフ募集……キッチン、バーテンダー……」
求人雑誌にその募集はあった。
大学3年生になり、就活費用や卒業旅行のために金を溜める必要が生じた俺は、今まさにアルバイトを探していた。
バースタッフ。これは。
「かっこいい……」
バーテンダーってあれだよね? シャカシャカして澄ましてるあのダンディな男だよね?
「よし、電話だ電話」
その職種名だけで俺は応募することに決めた。
ああ、俺はバカなんだ。この時の俺に戻れるならきっと自分の顔面にデンプシーロールを100発はぶちこむだろう。
「もしもし」
携帯電話から、低い声が応答した。
「あ、もしもし、アルバイトの求人を見てお電話いたしました黒川と申します……」
「あー応募ね。いつ店来れるの?」
不愛想な関西弁が耳を突き刺した。
この時に、嫌な予感がしていればまだ戻れたんだ。俺は、バーで働く自分の姿しか見えていなかった。
「今日でも行けます!!」
「おーそうか。じゃあ20時に店に、身分証持ってきてや」
「履歴書は――」
「そんなもんいらへん。あとスーツ持ってんならスーツも持ってきてな」
「か、かしこまりました……!」
ウキウキしていた自分を殴りたい。
俺は高鳴る鼓動を感じながら、通話終了ボタンを押した。
「よっしゃ……働くぞ!」
もう3か月ほどは開けていない押し入れからスーツを引っ張り出した――。
俺は、青森で生まれ実家の小さな喫茶店を手伝いながらそれはそれはユルく育った。
田舎の青森から上京して、俺は国立大学に入学した。
それなりのエリートコースに上った自負もあったし、正直心は踊っていたものの。
デビューに成功するわけでもなく、あまり友達もできなかった俺はサークルにも入らず3年生までダラダラと大学生活を過ごしていた。
もちろん、そんな生活を送る俺に彼女はいない。
だからこそ、今になって「刺激」を求めてしまったのかもしれない。
「で、名前は?」
「
「声ちっせぇな、騒がしい店内じゃ聞こえへんぞ」
「は、はい……すみません」
バースタッフの求人を見てきました。
俺は、雑居ビルの7階のテナントで、たしかにそう言った。
いや、雑居ビルの前で既におかしいと思ったんだ。
ビルの前には客引きの男がうろうろしていて、怪しげなピンク色の看板も立っていた。
「ほーん、大学生なんや。で、この業界は初めてか?」
「というかこの業界って……」
エレベーター前には各テナントのポップが並んでいた。
クラブなんとかだの、漢字二文字の怪しそうな名前だの、そういえば出てくる人も髪盛り盛りのお姉さんやスーツ姿のイカつい男ばかりだった。
そして、狭いエレベーターを登り辿り着いた7階は。
「いらっしゃいませ、ご指名はございますか?」
「ハルカちゃんいるか?」
「勿論です。ご案内いたします」
部屋の外から男の声が聞こえる。
ああ、これって……。
「はよ案内しろや~」
「はは……ようこそ、クラブ・ラ・メールへ」
「「いらっしゃいませ!!」」
――完全にキャバクラだった。
「あの……ここって、バー……」
「あ!? キャバクラや、キャバクラ。そんで経験は?」
「ひぃ……ありません……」
薄暗い入口は、黒い大きな重い扉に金色の装飾が煌びやかに彩られていた。
そして、「Club La Mer」という文字の看板。
中に入ると、広い店内に荘厳な大きいシャンデリアが天井から俺を見下ろしていた。
黒革のソファがズラリと並び、ガラスのテーブルが備えられている。
鮮やかにライトアップされた客席には、中年の男とドレスに身を包んだ綺麗な女性たちが何人もいた。
それはもう、俺が生涯で関わったことないようなド派手な女たち。
「初めてやろなぁ、そんなイモくせぇツラしてんなら」
「は、はぁ……」
そして、俺は入口で面接に来た旨を伝えるなり狭いスタッフルームに通されたわけだ。
派手な店内と打って変わってこのスタッフルームは無機質でソファとテーブル、灰皿にてんこ盛りの吸い殻くらいしか見当たらない。
見たことあるよ! ヤ〇ザ系映画とかで指切られる時こういう部屋だよ!
目の前に現れたのは、身長190cmはあるであろう、筋骨隆々かつ色黒の男だった。
口ヒゲを触って、その細長い鋭い目で俺を睨みつける。
存在だけでもう怖いから! お願いだからこれ以上威圧しないで!
「ほんなら、接客経験はあるか?」
「田舎の小さな喫茶店を手伝ってました……」
「そうか。じゃあ大丈夫やな」
絶対大丈夫じゃないだろ、ジャンルに差がありすぎるんだよ。
俺は年配のご老人しか相手にしたことないよ。あいつらは殴ってこないもん。
「俺は梁井真也。令作、お前今日から働いてけや」
「あ、ええと……」
梁井真也。キャバクラの店長ですと顔が語っているような形相である。
いや、働かないよ!? だってこれ騙されてるもん! バーテンダーがいいもん!
「すいません、今回は――」
「あぁっ!?」
「ヒィ!? 働きます!!」
「そうか、よかったわ。ほんならスーツに着替えたらホールに出てこい。色々教えたるわ」
「かしこまりました!!」
もう1度言う。
俺は友達も少なく、彼女もいない。
「きゃはは! お兄さんすごいですね~!」
「いや~俺これでも社長だからね」
「えぇ~、じゃあその勢いにシャンパンも入れちゃったり~?」
「勿論! ほれ、ボーイの兄さん、ドンペリを」
「かしこまりました……ドンペリいただきましたぁ! ありがとうございまぁすッ!!」
「キャーッ!」
「…………」
故にコミュ力なんか備わっていないし、こんなコワモテの兄貴やあんなド派手なキラキラ姉ちゃんと上手くやっていけるような人格は養われていない。
「はよ着替えんかい」
「はい!!」
人生という棚から、色々なものが落ちていく音が、脳内に響き渡った――。
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