五章 二人の気持ち その3
やがて、テレーズはアンネに連れられてこっちに来たようだった。茂みの向こうから、おもむろに糸電話の糸が引っ張られた。アーサーの胸の動悸はさらに高まった。
「アーサー様、先ほどは失礼しました。なんだか、驚かせてしまったようで……」
紙コップの中から、くぐもったテレーズの声が聞こえてきた。あちらもアーサーほどではないが緊張しているような感じだった。
「い、いや別に、それがしは……それがしはっ!」
アーサーは紙コップを耳に当てたまま答える。それじゃ糸電話の意味がないが、声がでかいので、まあ、向こうにも聞こえているだろう。
「アーサー様がうろたえられるのも、無理はありません。わたくし達は、本来口をきくことすら許されない関係だったのですから……。こうして、また再会できただけでも素晴らしい僥倖というものですわ」
そうは言うものの、テレーズの声は少しさみしそうだった。お互いちゃんと顔を見て話せないのが悲しいんだろう。
「本当は、昔、まだ生きているときにもお話ししたかったのですが……。気づいておいででしょうか、あなた様が聖騎士としてわたくしを追いかけてくる以前から、わたくしはずっとあなた様を見ていたんですよ」
「そ、それは、なんとなく察していたでござる!」
「まあ、本当ですか」
テレーズは笑った。うれしそうだった。
「昔は、あなた様を遠くから見ているだけでいいのだと自分に言い聞かせておりました。けれど、こうしてまた巡り合えて、やはり欲が出てきますわね。その……あなた様に自分のありのままの気持ちを聞いていただきたいと……」
「あ、ありのままでござるか?」
「はい。お話してもよいでしょうか?」
「そ、それはその……よっ、よいでござ、ござるん!」
アーサーの緊張はもうマックスという感じだった。無理もないか。これから告白されちゃうんだからな。俺もなんだかドキドキしてくる。いや、俺の心臓はアーサーのせいですでに激しく動いてるわけなんだけれども。
「ありがとうございます、アーサー様。じ、実はその……わたくしは以前よりあなた様のことを、あ――」
「ちょ、ちょっと待つでござる、テレーズ殿!」
と、突然、アーサーはテレーズの声を遮って叫んだ。何だこいつ、また発狂して逃げるのか?
だが、そうではないようだった。彼は糸電話を捨てて立ち上がると、勇ましく茂みの向こう、テレーズの前に飛び出した。
「そっ、そういうことは男であるそれがしが先に言うのが筋でござる!」
なんと、態度だけではなく発言も勇ましい。男らしい。
「それはつまり、今ここでアーサー様のわたくしへのお気持ちを聞かせていただけるということですか?」
テレーズはしゃがんでいたが、そこではっと顔を上げてこちらを見た。
「も、もちろんでござ……ござりまする!」
「本当ですか? では、お願いします」
テレーズはとたんに目を輝かせて、こちらに顔を近づけてきた。なんだかとてもわくわくしているような、子供っぽい表情だった。だが、その瞳はうっすら潤んで、悩ましげな、熱っぽい光をたたえている……。
「そ、それはそのう……それは――」
「それは?」
「それは、また次の機会にお話しするでござる!」
なんと! アーサーのやつ、寸止めしやがった!
『おい、お前、ここはちゃんと話せ――』
「では、あとのことは幸人殿に頼むでござる!」
どろんっ! と、音が聞こえるかのように、アーサーはその瞬間、俺の体の内側に引っ込んでしまった。ただちに俺は俺の体の自由を取り戻した。目の前にはぽかんとしているテレーズの顔があった。
「悪いな、テレーズ。アーサーってばまたヘタレやがって……」
「いえ、いいんです。むしろわたくしはうれしいですわ」
「へ、なんで?」
「アーサー様が次の機会とおっしゃってくださいましたから。それはつまり、またアーサー様とお話しできるということでしょう?」
テレーズは微笑んだ。なるほど、そういうふうに考えれば、いいことなのかもな。
「では、わたくしも失礼しますわ」
テレーズは俺に軽く頭を下げると、紅葉の体の中に引っ込んだようだった。たちまちその体のスタイルは貧相になった。紅葉カムバックだ。
「お話、終わったんですか?」
少し離れたところにいたアンネも駆け寄って来た。俺は今のやりとりを簡潔に説明した。
「そうですか。確かに今日はもうお話しないほうがいいかもしれませんね。天気が悪くなってきましたし」
アンネは上を指差した。確かに、いつのまにか空は重い灰色の雲で覆われている。一雨きそうだ。
「じゃあ、あたしはこれで。また連絡してくださいね、立川先輩、小日向先輩」
アンネはそのまま小走りで向こうに去って行った。俺と紅葉をこの場に残して。
「で、またの機会っていつになるわけ?」
紅葉はなんだか呆れたような口調だった。「さあ?」俺は適当に答えた。
「さあ?って何よ。あんたの相棒でしょ。ちゃんと教育しておきなさいよ」
「お、おう……」
なんだろう。ペットの不始末を叱られてる飼い主みたいな気分になって来たぞ。まあ、実際、約束通りにちゃんと話をしないアーサーが悪いんだが。
「まあ、今日は天気も悪いし、この話はまた今度で……」
「そうね。あんたなんかとこれ以上一緒にいるのも気分悪いしね」
と、紅葉が答えたところで、上から滴が落ちて来た。そして、それはあっという間に勢いを増した。マジでものの数秒で、勢いよく降って来やがった。
「なんなのよ、いきなり――」
「いきなりって、夕立だろ。お前そんなことも知らねえのか」
「知ってるわよ、それぐらい! あんた、どんだけ私のことバカにして――」
「ちなみに、朝降る雨のことは?」
「え、朝だからやっぱり朝だ――って、何言わせんのよバカ!」
紅葉は顔を真っ赤にして俺の頭に鞄を振りおろしてきた。俺はそれを華麗によけた。相変わらず、沸点低いやつだぜ。
「そんなことより、このまま雨の下で濡れ濡れになってていいのかよ。いろいろ透けちまうぞ」
「透けるって――あ」
と、そこで紅葉は自分の制服の上着が濡れて、うっすらブラのラインが透けてることに気付いたようだった。あわてて鞄で胸を隠した。俺は笑った。
「どうせすぐ止むだろうし、あそこで雨宿りしようぜ」
「そうね」
俺達は近くの屋根つきの休憩所に駆け込んだ。
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