三章 霊媒師アンネ その7

 やがて、落ちついたのだろう、アンネはテレーズから離れた。


「もうよいのですか、アンネ様?」

「はい……あたし、いつまでもテレーズお姉さまの優しさに甘えてちゃだめだから」


 アンネは顔を赤らめ、熱っぽい目でテレーズを見ている。完全に落ちた雌の顔をしていやがる……。


「それで、あたし思うんですけれど、ここは北風と太陽のお話の太陽になっちゃえばって」

「太陽? それはつまり、人間たちの間で有名な童話のことでしょうか?」

「はい。今までのやり方は北風だったんです。でも、それじゃダメだったんです。もっと世界とテレーズお姉さまに優しさを……あ、ついでにそこの金髪の男の人にも。そういうやり方じゃないと霊は救えないと思うんです」


 アンネの言葉はなんだかよくわからん。要するになんだよ。


「つまり、お姉さま達は幽霊です。そして、幽霊というのは普通、この世に何か未練があってとどまっているものです。お姉さまもきっとそうなんでしょう? 何かやり残したこととかおありなんでしょう? それをぜひ、あたしに話してください。あたしにできることなら何だってします。お姉さまのために!」


 言ってることはもっともだが、途中から完全にアーサーのことを忘れてるっぽいアンネだった。そもそも発想がもう霊媒師じゃねえし。素人の俺と同じこと考えてるし。


「心残りですか。それはまあ……多少は……」


 テレーズの答えはやはり、俺が同じことを尋ねた時と変わらなかった。


「やっぱり未練が何かおありなんですね? ぜひおっしゃってください!」

「それは……その……」


 テレーズは何だかとても恥ずかしそうに目を泳がせ、ふと、こちらをちらっと見た。そして顔を赤くしてうつむいてしまった。また、何だよ……。


「この金髪の男の人がどうかしたんですか? もしかして復讐したいんですか? そういうことでしたらあたしが代わりに――」

「いえ! そうではないのです! それだけは絶対にやめてください!」


 テレーズはあわてて声を張り上げた。


「じゃあ、あの金髪に何の用があるんですか? テレーズお姉さまを殺した最低野郎でしょう?」


 うわ、なんかどさくさにひどい言われようだぞ、アーサー。


「用と言うほどのものではないのですが、その……」


 テレーズはやはりもじもじしている。


「はっきりおっしゃってください、テレーズお姉さま!」

「は、はい……実はわたくし……アーサー様と――」

「あの金髪最低野郎と?」

「も、もっとちゃんとお話ししたかった……」


 と、そこまで言ったところでテレーズは顔を真っ赤にして、両手で覆い隠してしまった。


「え、お話って……それだけですか?」


 とたんにぽかんとするアンネだったが、そこで、


「な、何を言うでござるか、この悪魔めぇ!」


 アーサーが壮絶に動揺しながら叫んだ。顔が熱い。たぶん真っ赤になっているんだろう。心臓もめちゃくちゃドキドキしている。


「そ、そのようなたわけた甘言でそれがしを惑わそうとは、片腹痛い!」

「いえ、アーサー様。今言ったことはわたくしの偽りのない本心ですわ……」

「しょ、笑止千万っ!」


 アーサーのうろたえっぷりはもう発狂と言ってもいいレベルだった。声を裏返らせながらそう叫ぶと、いきなり二人に背を向け、走り出した。逃げるように。


『おい、お前、いきなりなんだよ! お祓いまだ終わってねえぞ! 戻れよ!』


 俺は頭の中で必死に制止するが、聞いちゃいねえ。結局、その男子高校生の制服を着た金髪の男(二十五歳児)は、俺のすぐ家の近くまで爆走し続けた。


 そして、走ることで内なる激情を消費しつくしたのか、脚を止めると同時にアーサーは俺の内側に引っ込んでしまった。体もすっかり元通りの俺だ。


「お前さあ、なんでテレーズから逃げるんだよ。話ぐらい聞いてやれよ」


 左手をぺしっと軽く叩いて言ったが、答えはなかった。何だこいつ? 自分の殻に閉じこもってるのか?


 と、そこで、俺のスマフォが鳴った。アンネからだった。


「あの、立川先輩、実はテレーズお姉さまが突然消えてしまって……」


 なんと、あっちも全く同じ現象が起きているらしい。


「それって、テレーズの魂が小日向の体から離れたってわけじゃないのか?」

「はい。たぶん、小日向先輩の体の中に引き籠っているんだと思います」

「そうか。実は俺もだ」

「そうなんですか。じゃあ、今日はお祓いできないですね……」

「だな。今日は悪かったな。また後日頼む」

「はい。あたしも先輩達のこと、お婆ちゃんに相談しておきます」


 電話はそこで終わった。


 そうか、テレーズもアーサーと同じ状態なのか。ふと、さっきの彼女の様子を思い出した。顔を赤くして、恥ずかしそうに、ためらいがちにアーサーに言った一言、「もっと話がしたかった」。あれって、どう考えても、アーサーに好意を寄せてるってことだよな? つまりあれは愛の告白だったってわけだ。


 でも、それに対するアーサーのリアクションはひどいものだった。ひたすら狼狽し、あげくにその場から逃げたんだから。きっとテレーズはショックで落ち込んでいるんだろう。だから、紅葉の中に引き籠ってしまったんだろう。


 そう、彼女の心残りってのはアーサーへ恋心だったんだ。つまり、それを何かの形でかなえてあげれば、彼女は満足し成仏できるんじゃないだろうか。


 でも、今更両想いになるのとか無理だよな? アーサーはテレーズを目の敵にしてるみたいだし。うーん? もしかして成仏って結構難しいことなんじゃ……。


 それに、テレーズの未練はわかったとしても、アーサーはどうなんだ? あの脳筋バカ騎士も霊としてこの世にとどまっている以上は、何か心残りがあるはずだよな? 一体何だろう? もっと聖騎士として活躍したかったとかかな?


「おい、アーサー、お前、なんでこの世に化けて出てきてるんだよ?」


 試しに聞いてみたが、またしても返事はなかった。まあ、そのうち表に出てくるだろう。とりあえず、そのまま一人家路についた。

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