二章 アーサーとテレーズ その5

「家に着くまで、これでいいだろ?」

「そうですね。私がこうして表に出ていれば、紅葉様の恐怖もいくらかは和らぐはずです。お心遣いありがとうございます、立川様」


 テレーズはやはり礼儀正しかった。すぐに立ち上がり、俺に頭を下げた。そのパツンパツンの制服のシャツの胸の谷間が一瞬あらわになった。


「い、いや別に……」


 なんだかちょっとドキドキしてしまう。テレーズとまともに口を利くのは初めてだし。


『ゆ、幸人どの! 何か邪悪な気配がするでござる!』


 と、脳内でまたうるさいござる騎士の声が聞こえた。だが、今は無視だ。またテレーズに突撃されても困るし。あれから封印を厳重にしたので、もう勝手に出てくることはないだろうし。


「なあ、あんたってアーサーの古い知合いなんだろ? どういう関係なんだ?」

「そうですね……少し私達のことをお話ししましょうか」


 俺達は再び並んで歩き出した。


「私達が生きていた時代は、今からおよそ六百年ほど前になります。そのころ、私は悪魔として教会に迫害される存在でした。そして、アーサー様はその教会直属の聖騎士だったのですわ。秘密の組織でしたので、歴史には記録が残っていないはずですが」

「悪魔ねえ……。やっぱりそれって邪悪な存在だったのか?」

「私の一族は魔法が使えますし、それで人間に悪さをする者も多かったようですわ」

「あんたも魔法で悪いことしてたのか?」

「私は、あまりそういうことには関心がなくて……。ずっと山奥で人とは関わらない暮らしをしてましたわ」

「じゃあ、なんでアーサーはあんたを目の敵にしてたんだ? この間だって、あんたを見るなり襲いかかって行くし」

「それは、私が悪魔だからですわ」

「それだけ?」

「はい……」


 テレーズは悲しそうに目を伏せた。そうか、こいつは悪魔とはいえ、人には無害なやつだったんだ。でも、アーサーは悪魔払いの聖騎士で、頭が固くて、悪魔は全員人間の敵と、思考停止してたんだろう。今と違って、宗教の力が強い時代だし。


「じゃあ、もしかして、無実にもかかわらずアーサーに殺されたことを根に持って、死んでなお、この世に化けて出てきてるのか、あんたは?」

「いえ。私はあのお方を恨んでなどおりませんわ。あのお方はただ、ご自分の職務をまっとうされただけです。そう、激しい戦いの末、私があのお方の剣で貫かれて倒れたのは、運命というものです。奇しくもあの時、あのお方も果ててしまいましたが……とても立派で勇敢な最期でした」

「え、そうだっけ?」


 俺が夢で見たアーサーの死にざまはとても立派で勇敢じゃなかったんだが。ただ自爆してただけだったんだが。


 というか、そもそも激しい戦いなんてなかったような。もしかして、アーサーに気を使って、かなり話を盛ってるのか? 真実はひたすら間抜けだからな……。


「じゃあ、なんで死んでもなお幽霊になってこの世をさまよってるんだ? 何か未練があるのか?」

「それはまあ、少しは……」


 テレーズの答えはあいまいだった。何だか言いにくいことがあるようだ。


「じゃあ、せっかく幽霊になってるんだし、今からでもその心残りになってることを実行すれば――」

「いえいえ、よいのです。私の心残りなど、とても小さな、どうでもいいことなのです」

「そうなのか?」

「はい。私は所詮、紅葉様の体を一時的に借りているだけの存在。これ以上、わがままを言うわけにはいきませんわ」

「わがままって……」


 あの日の光景を思い浮かべる限り、紅葉がテレーズの能力を一方的に便利に使ってるだけじゃないのか?


「立川様、実は私、先ほどの紅葉様とのお話を聞いてました。幽霊である私達は、本来あるべきところに帰った方がいいのではという立川様の意見、私も同感ですわ」

「え、成仏したいのか?」

「はい……。このままずっと紅葉様に迷惑をかけ続けるのは辛いですし」


 なんて健気な幽霊なんだろう。俺のアーサーは一度だってそんなふうに言ったことないぞ。


「でも、どうやったら紅葉様のお体から離れられるのか、わからないのです。気が付いたら、私は紅葉様のお心の中に入っていて。今から十年ほど前のことなのですが」

「俺のアーサーと同じだな」


 お互い憑依されたきっかけは不明ってことか。さて、どうしたもんか。お札をくれた霊媒師のばあさんも、俺の体から霊を払うのは無理みたいなこと言ってたような。テレーズでもやっぱりそう言われるのかな?


「まあ、いいや。とりあえず、俺、今の話をアーサーともしてみるわ」

「そうですね。私達はお互い、似た者同士です。アーサー様のお考えも大事だと思いますわ」


 やがて俺達は紅葉が住んでいるというマンションのすぐ近くまで来た。「じゃあ、私はこのへんで」と、テレーズはいったん俺の傘から出たが、ふと何か思い出したように戻って来た。


「なんだ?」

「いえ、たいしたことではないのですが」


 テレーズは穏やかに微笑み、ふいに俺の首に両手を回し、俺の顔を自分の胸に抱き寄せた。


 な、なんだこれは……。それはあったかくて、やわらかくて、素晴らしい感触だった。いいにおいもするし。おおお、おっぱい最高!


「では、アーサー様によろしくお伝えください、立川様」

「は、はい……」


 ようわからんが、彼女なりのあいさつみたいなもんだったらしい。すぐにテレーズは俺から離れ、向こうに去って行ってしまった。


「あいつ、ほんとに悪魔なのか?」


 むしろ天使じゃね? 超天使じゃね? 少しの間、その余韻に恍惚となって、その場に立ち尽くす俺だった。

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