第39話 最後の花嫁儀式 1

 魔界に魔王の力が満ちている。


 それは、魔王のエネルギーの影響を色濃く受ける王都なら取り立てて騒ぐようなものではない。魔王の力が満ちれば、自然とその土地は豊かになる。

 水も空気も浄化され、花が咲き、大地からは生命力ある緑が育つ。人々はそういった土地や環境を好み、街を形成し暮らしてゆく。土地が豊かだからだ。

 だが、魔王のエネルギーの影響を少ししか受けられない辺境の地は貧しく、そして空気も薄い。負のエネルギーが多いのだ。だが、あの藤間の花嫁を迎えてからの魔王のエネルギーは、驚くべきことに今まで辺境の地とされてきた貧しい土地に花を咲かせ、鳥がさえずる豊かな土地に変えている。


「将軍、きれいですね、ほら、向こう岸にも花も咲いていますよ?」

 兵士が指差す川辺には、どこにでも自生する野草が群生している。魔王のエネルギーの影響を受ける花で、この辺境の地においては、ここ数年の見回りでは見なかったほどの群生したものだった。

「すごいなぁ、花嫁様を迎えるとこうなるんだ。魔王様のエネルギーがそれだけ一定で、安定しているということですよね。つまりそれはお二人が仲が良いってことですよね。俺は初めての経験なんで、こういう時に軍に所属していられるなんて光栄です。はぁ、こんなに群生しているなんて初めて見たなぁ」

 兵士は驚きながらも、その事実を受け入れている。

 周囲にいる兵士も、本当にそうだよね、と話をしている。

 彼らを含め、今の段階の階級では、王宮に出入りすることはあるが、椎名と接触することはまず皆無だろうというほど役職は低い。だから、人間の花嫁であることは知っていても、椎名の人となりを知ることは噂でしかない。

「心配か?」

「花嫁様は、人間ですよ?普通の結婚だって苦労するでしょうに、魔王様も花嫁様もお互いに苦労があるかもしれません」

 そう言った兵士は、結婚したばかりの兵士だ。

「いやいや、それは単純だろう?」

「でも苦労はあると思うよ」

 それぞれ意見が出ては来たが。

「花嫁様は聡明な方だし、何よりお二人は愛し合っておられる。いずれ王妃になられるだろうけれど、心配はいらない。お二人はまだ結婚の儀式を正式に終えていないと言うのに、こんな辺境の地にまで花が咲くんだ。お二人が幸せな証拠だよ」

 兵士たちの不安をふんわりとおさめたのは、副官のファルカスだ。今回の行軍から同行するようになったが、以前は王宮内の内務担当副官だった犬人族だ。

「お会いなさったんですか?ファルカス副官も?」

「ああ、心配いらない、素敵な方だよ。あんなに戦闘に長けた方だとは思わなかったが。」

 実際、大広間で剣をふるったときも、詠唱なしで魔術を展開した時も闘いなれた兵士のそれだと思った次第だ。


 風がふわりと吹いて、花の香りが強くなった。

 この風が、魔王のエネルギーを運んでくるのだ。優しく、温かく、濃密な風は空気を浄化し、土地を豊かにする。

「ああ、また魂の共鳴が深くなったな」

「そうですか?」

 ファルカスがくんくんと鼻を鳴らしたが、わからない、と首をひねった。気配は濃いとわかるが、匂いではわからない、とファルカスは言い、どちらもわからないとルイもアンリも首をひねっている。

「仕事だ仕事」

 王都にいる生涯の友と忠誠を誓った主を思って、アーノルドは微笑んだ。



 その数日後、魔王夫妻は椎名の魔界教育の仕上げと民衆へのお披露目を兼ねて、処刑場であるコロッセオにいた。

「本当によろしいのですか?」

 ジャルダンがルーチェスクに確認していた。

「これは王妃になるための義務ですよ。形式的とはいえ、異種族の花嫁はやらなければなりません」

 セルジュが冷静にそう言った。最終の花嫁儀式を終えて初めて、今度は王妃として認められるのだ。

「何の話?」

 椎名が儀式用の手袋をはめながら控室にやってきた。王宮からここまでの視察の時にはフリフリのドレスを着ていたが、たった今隣の部屋で着がえて、白銀色の正軍服のような詰襟の男装姿になったばかりだ。それに合わせて、後ろに垂らしていた髪もシンプルに同色のリボンで一つに束ねただけである。

「やはり、なかなかお似合いです」

「貴方もね、セルジュ」

 トルコブルーのような、碧い正装を纏ったセルジュがにこりと笑った。

 同じ白銀の正装をしたルーチェスクが視線をやった。

「今日処刑されるのは死刑になって当たり前の奴なんだが」

「ん、公開処刑だって…、ラルクさんが」

「何だ、ラルクは説明しなかったのか?お前が死刑執行官をやるんだ」

「は?」

 意味が分からなくて、椎名はきょとんとしていた。

「魔王の花嫁は大体同種魔族から選ばれるんだが、時々、そうじゃない時がある。異種族の場合は仲間入りの儀式として『血祭り』をするんだ」

「人間界で言う成人式のようなものですな。この儀式で仲間入りしてようやく一人前の魔族として認められると思ってください。これが成功しなければ、将来王妃の座に就くこともできず、側妃のままということになりかねません。まぁ、椎名様が強く望まれるのであれば儀式をやめて、立場上は側妃ということになりますが、それがどういった意味であるかはもうお判りでしょう?」

 セルジュはそう言って説明した。

 側妃ということになれば、寵愛が深くても誰かが正妃に就く可能性が残るということだ。つまり、それだけ権力争いが起きたり、騒乱が起きる可能性があるということだ。

「ダメだ。政治的な観点からも王妃の座に就くには避けて通れない儀式だ。椎名、生贄を捧げて、仲間入りを証明するんだ。心配ない、生贄に関しては随分前に罪人に限ると変更されてから、死刑になって当然の犯罪者がそれを担うことになった。だから後腐れなく殺して良い」

「そうなの?」

「そうなのって…王妃様?」

 椎名はいたって落ち着いていた。

「相手は一人?裁判記録とかあるの?」

「それは、こちらに」

 ジャルダンは簡単にまとめられた裁判記録と裁判所が判決を言い渡した決定書と法務省長官の死刑執行許可書、及び命令書が添えられてあった。

 罪状は、殺人罪。判決は死刑。裁判記録をぱらぱら見ると、この魔族は自分の欲望のままに二人の魔族を殺し、その事実を知ったその魔族の妻子3人を殺害。逃亡し、逃亡途中で二人、合計7人を仲間と一緒に殺害している。

 その仲間という男も、今日死刑が執行されるとジャルダンは言い添えた。

 つまり、椎名が処刑するのは二人となる。

「七人って…」

「少しでも貴方に精神的な負担がかからないようにというラルクの配慮でしょうね」

「で?手順とか、こういう方法とか、あるの?」

「ない。消滅させるのがお前の仕事だ」

「消滅、ねぇ…」

 書類に手を当てて目を閉じる。間接的ながら事件にかかわった死刑囚や被害者の思いや、捜査に関わった捜査局の努力が伝わってくる。

「ほんとに、むかつく奴だわ」

 ぴらぴらと手を振って、椎名は深呼吸した。


「いよーっ、おっはようさん」

 嫌に陽気に入ってきたのはアーノルド・ブラウン・キレンスキー公爵だった。彼は正軍服を着て、真っ赤なマントを翻していた。後ろで副官のファルカスが頭を抱えてすみません、と頭を下げた。

「お願いですから神聖な儀式の前にそんなすっとぼけた事をするのはやめていただけませんか?仮にも将軍なんですから」

 ファルカスが苦言を呈すると、アーノルドはポリポリと頭をかいた。

「いやぁ、ごく普通にしている方が良いだろうが」

 その場の雰囲気を読んだ、ということなのだろう。

「まぁ、それがこの男の良さなんだがな」

 セルジュが呆れ気味でそう言った。


「でも少々控えめに。ここは声が響く」

 椎名がそう言いながら、準備を始めていた。手のひらに、黒い塊がゴロゴロと現れている。

「お、うまそう」

 ロブがつまみ食いをしようとしたところ、あわてて椎名が手を引いた。

「ダメ、死ぬわよ」

 ロブが不思議そうに椎名の顔を見た。

「まさか、浄化師の力を使って毒薬? 浄化した剣で切っても、あいつは死ぬぞ?」

「切らないわよ。これを飲ませるの。精製中だから、まだまだ純度が足りないけど」

「私、教育の仕方を間違えましたかねぇ…あれ、やるんですか?」

 くつくつと笑いながらセルジュが話しかける。

「アーノルドに味見させてやれ」

 こちらもくつくつと意味深な笑い方をしたルーチェスク。

「出来るだけ純粋な奴を渡してやれ」

「じゃぁ、これを」

 ほんの数ミリの透明な珠をアーノルドに渡す。


 ほぼ無色透明、1cmにも満たないビーズのようなキラキラした物体である。


「純度70パーセントくらいのドロップリーフ。これ以上は危険よ」

「何が危険なんだ?」

 アーノルドは小さいし少量だから平気だと言わんばかりにそれを口に放り込む。


 瞬間、自分の体温が上がり、心拍もあがった。猛烈に生体エネルギーが高まるのが分かる。叫び出したいほどの快感と欲情、快感にがくがく震える体を持て余して、思わず片膝をついた。

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