第38話 発情 2
椎名が良く眠るようになったのは別の理由がある。体が限界とばかりに寝ることを要求しているのである。順応するために眠っているという方が正しいのだろうか。おばばは笑って正常なことだと言うが、ルーチェスクにとっては折角の発情期間を眠られては、と思い、折角ぐっすり寝ているのだから、と思い毎晩葛藤を繰り返している。だが当の椎名は眠ること優先で、まさしくルーチェスクは湯たんぽ状態になるときがあった。
最も、体を繋げなくても椎名を抱きしめ、腕の中に閉じ込めている間はルーチェスクにっても椎名にとっても至福の時間であり、少なからずもごくわずかな魂の交接は起きているのだが。
「椎名」
「ん?」
すやすやと寝息を立てる椎名が体を動かした時、そっと声をかけると半分寝ぼけた返事が返ってきた。
「ああ、ごめんなさい、また寝ちゃった…」
「いい、執務が長引いたからな」
夕食は一緒に取ったが、その後緊急案件が入って執務に戻ったルーチェスクを待つうち、椎名はソファで眠ってしまったのである。
椎名を抱きしめようとして、ルーチェスクは気がついた。体の匂いがいつもと違う。それは、いつもの甘い匂いだけではなく、男を誘う甘い匂いも漂ってきているのだ。
「椎名、体調は良いのか?」
「ん?どうして?」
「匂いが変わった。女の匂いになった」
「ん?」
「子供を産める体になりつつある、というのかな?もちろん、まだすぐに授かるわけではないだろうが」
と言っている間に、椎名はもうベッドに横になっていて、しかも何も身につけていない。
「え?ちょっと…」
「こんなに嬉しいことはない」
そう言って質問する前に何度もキスで封じられる。と同時に、椎名の戸惑いが伝わってくる。魂の交接が深まるたびに、以前には感じられなかったことも感じられてくるときがある。時に喜びだったり、時に戸惑いだったりさまざまだが今日は戸惑いの方が大きい。
「不安か?」
「知識としてわかってはいるんだけど、子供って…子供…」
「ああ、心配ない。まだまだそんな状態じゃないし、こんな精神状態の時に妊娠しても負担になるだけだから。ただ、俺はもしかしたら一生子供は持てないかもしれないと思っていたから、ちょっとでも可能性があるということが分かって嬉しいんだ」
耳元でそう囁きながら説明するが、椎名は逆に体を震わせている。
大司教もおばばも、子供の可能性については言及した。言及したが、けれどもその先の子供のことについては二人は口が重かった。
そもそも、魔族同士の結婚でも子供が生まれることは確率的に半分から8割の間と言われている。それも、一子がやっとだという。魔王の力が安定していれば、子供を産み育てるのに良い環境となるので出生率も上がるのだという。けれど、魔王自身が子供を持てる確率はほぼ半分だという。先代はルーチェスクの父だったというから、彼は幸運な魔王の部類に入り、その前の先先代は子供には恵まれなかったという。だから、椎名とルーチェスクの間に子供が生まれなくても不思議はないという。
「でも、人間の血が入るという意味で子供が生まれなかったら意味が違うじゃない?」
そんな素朴な質問は一笑に附された。それは血族の話ではなく、魔力の話だという。
藤間の花嫁を迎えることに意味がある、と魔界では言われるのだが、花嫁の魔力が魔界に混じることに意味があるのだと、とおばばは教えてくれた。
たとえ、つたない魔力であっても、人間の魔力が魔界の魔力を構成する魔素の安定につながるからだという。そのあたりはまだまだ研究を進めている最中であるという。
「とにかく、お前さんがこっちに来てからというもの、魔界には良い風が吹くようになった。これは魔界が安定しているということじゃ」
おばばはそう言ってニコニコ笑うだけだったのだ。だから、魔界にとっては吉と出たが、ルーチェスクと椎名の二人の間に子供が生まれるかどうかということは口を閉ざした。それはまた別問題ということらしい。
相性の問題と、魔族と人間の間にある身体の違いはどうしてもあるものだから、椎名の身体がより魔族の女性に近くならなければ子供が生まれることは難しいく、それは椎名が人間としての身体から、より魔族に近い身体へと変容するということを意味していた。
「不安はあるよな、確かに」
ルーチェスクはそう言ってぎゅっと抱きしめた。だが、そうされることで椎名の気持ちがほっこりと温かくなる。文字通り、ルーチェスクの気持ちが椎名を温めているのが伝わってくるのだ。ああ、これが魂の交接なのか、と実感できて椎名はルーチェスクを抱きしめた。
「でも大丈夫だ。守ってみせる」
一気に身体の中にルーチェスクの気持ちが流れ込んできて、椎名はびくびくと体を震わせた。ただ抱きしめられただけなのに、非常に強い快感が椎名を襲っているのが良く分かる。
慌ててルーチェスクは椎名から離れ、椎名もルーチェスクから離れ、呼吸を整える。
「今の…」
「魂の交接…が、強めに出た。大丈夫か?」
エネルギーが一気に流れ込んだのが良く分かる。快感を伴って。
「今までかなりセーブしていたんだが、これぐらいが平気だと楽しみが増える」
「セーブしてたの?」
「魔力のやり取りは危険を伴う。魔宝石や魔具を使ってのものならそのものをセーブするようにしたり、身につけない、使わないようにすることで調節ができるが、直接のやり取りは時に死を招く。セルジュがお前と契約したのは、契約することで魔力の流れを調節することができるからだ。直接肌を合わせ、直接魔力を交わすのはお互いにその能力がないと難しい。今までは椎名のペースでゆっくりとしか交わしていなかったんだがな」
「魂の交接って、つまり魔力のやり取り?」
「それも一つの方法だな。お互いの信頼や愛情も必要になってくる。例えば、お前の身体の中にどす黒い、もやもやした魔力があっても、お前はそれを私に向けては使わない、違うか?」
「だって綺麗な魔力じゃないから。死んだ祖母はそういうもやもやした黒い魔力は良くないものだと言っていた。だから、純粋すぎる魔力と黒い魔力を混ぜて魔石を作りなさいと。その配合によっていろいろできることも違うと言っていたからそのようにしているけど」
「…本当に、優秀な浄化師だ。純度100パーセントで反撃されたら俺は寝込むな、きっと」
「まさか」
「本当だ」
ルーチェスクはキスを落としてもう一度抱きしめた。今度はゆっくりと、しかし確実に椎名の中にルーチェスクの魔力が流れ込む。同時に、同じだけの力が椎名からルーチェスクへと流れ込んでゆく。それは非常に甘くて強い快感を伴い、椎名はびくびくと体を震わせ、小さく何度も達していた。そんな椎名に喜びを感じながらルーチェスクは椎名からの魔力に身体を震わせた。
「ああ…」
肌に触れるルーチェスクの体温がぶわりと温かくなる。
「ルー?」
椎名もまた、ルーチェスクが喜びに満たされていることを知ると、ルーチェスクの身体を抱きしめ返した。
「ダメだ、抱かせろ」
にやりと笑った彼は人間の様相からオオカミの様相に変身し、椎名を組み敷いた。
最近、アーノルドは驚く光景を目にすることがある。王宮のある王都だけの現象ではない。今までは魔王の影響力が薄いとされる辺境の地でも、この光景が広がっている。
魔界に魔王の力が満ちている。
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