第27話 樹海の中の侯爵令嬢 2
二度目の休憩は何もない草原で食事休憩だった。
当初から予定されていたとはいえ、早朝から動いていたキャラバンとしては必要な休憩だった。
魔獣も休ませなければならない。
キャラバンを編成してきたものは、魔王軍の精鋭たちで、アーノルドの部下たちが多い。セルジュの部下たちである近衛隊が何人か混じっているようだが、こちらも隊編成が違うだけで実力は随一のメンバーばかりだった。
保存食と、簡単なスープが配られ、アンジェは空気の入れ替えも兼ねて馬車の窓や扉を開けた。
侯爵令嬢とは言え、今は冒険者と同じような身なりでいるので、アンジェ自身はかしこまって扱わなくてよいと予め申し出ている。何しろ王妃が同道しているし、その王妃はそもそも狙われている人物である。
距離の差はあるだろうがこのメンバーたちの半数は転移魔法が使えるはずだ。アーノルドもセルジュも随一の使い手だからその実力は知っている。
だが、あの状態の王妃を守りながら王城まで帰るには、少し距離的に不利がある。だから急いでいるのは自明の論理だった。
だからこそ、襲撃するなら今だ。
「あの、私の行動は制限されていますか? 馬車を出てもよろしいですか?」
近くにいた騎士にそう尋ねる。
「キャラバン周辺に結界を張ってあるのでその範囲なら可能です。失礼ですが、御用達の場合は、専用の結界を張った場所があるので、女性騎士をつけますのでそちらでお願いします」
丁寧な答えが返って来た。
「では、王妃様の様子を知りたい、と言ったら答えていただけますか?」
「それなら、けがの手当てをして、眠っているとだけ。ひどい魔力酔いと、お疲れからずっと眠っておられると我々にも説明がありました」
「落ち着いていらっしゃるのなら良かったわ。ありがとうございます。あの、女性騎士の方を呼んでいただけますか?」
その言葉で意味が分かった男性騎士は担当の女性騎士に声をかけ、周囲の警戒に戻った。
アンジェは女性騎士と一緒にキャラバンを離れた。
とはいっても、大きな結界内の一部を小さく区切って、不可視と遮音の結界をしてあるもので、用を足すために区切られたゾーンだったのだが。
草原の中に、動く影があった。
草むらが、静かにざわめいている。
女性騎士もアンジェもその異常に気が付いた。
「アンジェ様」
「戻りましょう」
お散歩、を装って二人はすぐにキャラバンに戻り、異常を報告する。ほぼ同時に見張り要員が異常を感知しており、対処のために動いていいる最中だった。
「何人だ?」
「50はいます。索敵しているだけで分かっているだけですが。おそらく、他にも隠れているかと」
ハードな行程を強行しているので、これ以上のスピードアップはキャラバンを引く魔獣馬の消耗につながると決断をしたアーノルドはすらりと剣を抜いた。
「オッサン、最悪、姫さんとお嬢さん連れてできるだけ遠くに転移しろ。少数精鋭と言えども、前後左右で120はいる気配だ」
「私も結界を張ります。ここのスペースだけなら三日は平気です」
「よし、お嬢さんは結界を頼む。ただし、最長で1時間こっきりだ。それ以上はオッサンと一緒に避難しろ」
むくりと起き上がったランディが、馬車の中から出てきた。
「え?ランディ?」
「頼みましたよ、ランディ」
セルジュはそう言ってランディに目を向けた。
面倒くさいなぁ、といった顔ですたすたと結界の外に出て行った。
「選抜部隊の連中は結界の中から護れ。何があっても外に出るんじゃないぞ?」
アーノルドはそう言い添えると、首元を少し緩めた。
「将軍?」
「ルイ、アンリ」
「はい、ご一緒しますよ」
二人の副官はにこやかにそう答え、抜刀してアーノルドと一緒に結界の外に出て行った。
「ランディは、大丈夫かしら」
そう言いながらアンジェは結界を作っている。
「あれはあれで、強いでしょう」
セルジュはそう言って騎士たちに指示を飛ばし始めた。
結界の中からは外はもやがかかったようにあまり見えない。不可視の魔法がかかっているせいだ。音も大して聞こえない。
誰か飛び込んでくるかもしれないと緊張して待ち構えていたが、誰も飛び込んでこなくて、かっきり一時間でアーノルドと二人の部下、ルイとアンリ、ランディは結界の中に帰って来た。
なぜだかわからないがびしょびしょで。
セルジュだけはその意味が分かって、笑って四人に風魔法をかけて衣服と体を乾かしてやった。
「まだ血の匂いがする」
「仕方ないですよ」
ルイはそう言って仲間たちと視線を合わせた。
「長居は無用ですね、出発しましょう」
何故か真っ青な顔の、選別部隊付きの結界師を気遣い、アンジェは彼を助けようとしたがセルジュはもうお手伝いは結構とばかりアンジェを馬車に押し込めた。
ちらりと見えた結界の先は。
血塗られた草原にほかなく、血肉を求めて既に魔獣が集まりかけていた。
「見ない方が良い。少しの間、外は見せないようにお願いします」
一緒に乗り込んだ女性騎士が頷いて、馬車内のカーテンをしっかり閉めた。アンジェはこの女性と王城まで同道することになった。
そして、出発した後はややペースを上げたように感じたが、そのあとで一回の休憩をはさみ、駆け込むように王都の門に入っていった。
王都に入ると、最短ルートで王城に隣接する軍の施設からひっそりと王城に入った。
車寄せで待っていたのは魔王その人で。
突進する勢いで椎名の乗った車両に乗り込もうとした途端、中からドアが開いた。
「椎名」
「気持ち悪い…。ルー、ごめんね、心配かけました」
椎名がゆっくり自力で馬車を降りようとした。
その手を取ったのはルーチェスクで、有無を言わさず抱きしめた。
ふうわりと心地よい風が吹いて、その場の雰囲気がなごむ。
その風を感じながらセルジュとアーノルドはちょっとだけ微笑み、ルーチェスクに対して臣下の礼を取った。
困ったのはアンジェである。女性騎士が降りた後、ルイがエスコートしようとしたところで先に王妃である椎名が降り立ってしまった。
本来なら椎名よりも先に降り立っていなければならないのだが。
ルイはその失態に顔を真っ青にしている。そもそも、アーノルドの副官といえども王城に足を運ぶことは少なく、しかも魔王ルーチェスクとは初対面である。アンジェが間違ってもマナー違反で出てこないようにとドアの前に立ち、ガードしている。
「ああ、ごめんなさい、気にしないで。とても気分が悪くて我慢できなかったの。アンジェを降ろしてあげて」
椎名が逆にルイに言葉をかけることでその失態はゼロになったが。
「ああ、ロブから簡単に報告を受けている。樹海で助けてくれたのはアンジェだったんだな。それより、大丈夫か?」
「大丈夫じゃない…」
ルイにエスコートされて馬車から降り立ったのは狩人姿のアンジェだった。
「やはりお前か。椎名が世話になった、礼を言う。事情を聴きたいからしばらく王城に滞在してくれないか? 仕事が入っているなら無理強いはしないが」
「では今夜一晩。それよりも、王妃様のお手当てを、早く」
アンジェはそういって頭を下げた。
「行こう、椎名」
ルーチェスクは腕の中の椎名を抱き上げようとしたが椎名はそれを拒否した。そしてキャラバンの面々に、深く深くお辞儀した。
それを見て取ったセルジュは膝をついて最上級の恭順の意を示し、アーノルドは右手の拳を自分の左胸に当てた。これも軍隊式の、最上級の恭順の意である。
日本式の「礼」を知らなかったキャラバンやその場にいた魔族の面々も、椎名の「お辞儀」が今回のことでいろいろ骨折ってくれた人々への感謝と謝罪のための「礼」だったと伝わり、末端まで気にする「花嫁」の心配りに感心する。
助けてくれて当たり前、骨折っていろいろやってくれて当たり前、と自分の地位をふりかざしてわがままを通す貴族が多い中で、この「花嫁」の姿は意外過ぎるくらいに普通で、しかし花嫁の人柄を伝える出来事で周囲の者は皆感銘を受けた。
ルーチェスクはこんな時に、と苦虫をかみつぶしながら、それでも頭を下げた椎名を誇りに思う。再度彼女を促し、抱き上げると早々に振動を与えないように王城の中に連れ去った。
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