第19話 忠誠の誓い


 戸惑いながらその剣に椎名は目をやった。

 椎名の手元に剣の柄が来るように斜めに構えて差し出される剣は、「忠誠の誓い」を貴方に捧げます、受け取ってください、という意味であると、大司教から受け取った儀礼書にはそう書かれていたはずだった。けれど、一般的には終生忠誠を誓う相手、おそらく彼ならばルーチェスクであるはずなのだが、と戸惑う。


 一瞬の戸惑いを察知したルーチェスクが椎名の背後に立った。

「構わんよ。ロブとは終生親友の誓いを交わした。忠誠の誓いをお前が受けたところで、揺るがない」

「もしもこの誓いを受けたら、私がおバカをやったときに諫めてくれる家臣がいなくなることはないの?」

「『忠誠の誓い』は命を懸けて諫める必要があればそうします。しかし、王妃がそんなヘマをするような人ではないと思いますが」

 今度はアーノルドが真顔でそう返事した。アーノルドから、椎名へと返された「信頼」に、今度は椎名がどぎまぎしていた。


「いや、ちょっと自信がない。私には『生きろ』という指針しかないから」


 思わず漏れた本音に、ルーチェスクは苦笑する。


「大丈夫だ、俺もいる。おばばもいれば大司教も、頼りになる家臣もいる。案ずることはない」

 そう言ってルーチェスクは椎名の背後で、誓いを受け取る作法を椎名に教える。


 まず剣を受け取り、その剣を鞘から出して頭を下げているロブの両肩に軽く当て、再び鞘に納めるとその剣を同じように斜めに、柄をロブの方向に返すのだ、と。


 その儀式の真っ最中、椎名がロブの剣を手にしているところで、椎名の前方、ロブの背後でぶわりと殺気が起きた。

 アーノルドは反射的に椎名が持つ剣を手にしようとして、既に自分に対して持ちやすいように愛剣とは違う細身の剣が差し出され、それをためらうことなく掴んで椎名を襲おうとしていた剣を受け止める。

 一方で別の襲撃者が、がら空きになった脇腹を狙ってくるのがわかったが今はそれよりも椎名の安全を優先し、次の反撃のために椎名の手にある愛剣を受け取ろうとしたが、それよりも先に不快な音が響いた。


 ギィィィィィィンという金属音特有の音が広間に響く。


 アーノルドの愛剣を手にした椎名が、ロブの脇腹を攻撃するための剣を受け止めていた。


 ほんの一瞬の出来事である。


 二人の刺客がしくじったかと第二の攻撃を繰り出そうとしたところで、椎名は体重移動しようとしたその刺客の足を蹴り飛ばした。

 ボキリと嫌な音がして、刺客が「ぎゃっ」と悲鳴を上げた。二撃目の椎名のケリは容赦なく刺客の腹に入り、その男は足を抱えて広間を転げて距離を取った。蹴り飛ばされた足は、嫌な方向に向いているし、腹を蹴り飛ばされて刺客はうなっている。


 一方のアーノルドは、次の攻撃への防御と自分自身の攻撃のために反射的に力技で受けた剣を弾き飛ばす。見た目は、振り回すには軽いほど細身の剣だと思ったが、予想以上に手にしっくりくる重さになっていることに違和感を感じる。使い手に丁度良いように自動調節できる剣らしいと気がついたのは、手にした時に一瞬でぼうっと剣が光ったからだ。

「このぉ」

 三人目の刺客は、足を蹴られた刺客と同じ三つ目の人型魔族だった。

 彼はアーノルドを襲った人型魔族と一緒に、無理な体勢で一撃目の襲撃を受けたアーノルドを襲おうとしたが、間髪いれずに片目と額の目に小さなナイフが突き刺さった。


 ぎゃぁぁぁっと言う叫び声が広間に響く。


「え?王妃様?」

「暫くやっていないからコントロール悪い。小柄が上手く飛ばない」


 ニヤリと笑って当たり前のように答えると、襲ってきた別の刺客二人を一瞬のうちに、しかもアーノルドが扱う重い剣を軽々と扱って薙ぎ払った。

 続いて、アーノルドは切りかかってきた三人を切り倒す。

 椎名の動きもアーノルドの動きも、ルーチェスクを守ろうとした動きであることに間違いはなく、衛兵やセルジュも飛び出してきてそれに準じて動いている。


 少し余裕ができた二人はお互いの刀を交換し合う。


 言葉にするまでもなく、お互いに視線を交わして立ち位置やタイミングの間合いを詰め、次々と襲いかかる刺客を薙ぎ払っているが、椎名の剣は剣としての力ではなく、魔力の力を増幅させて薙ぎ払っているということにアーノルドは気がついた。


 魔界で、魔力を増幅させる剣を扱える者は少ない。自身に魔力をコントロールする力がなければ剣に飲まれてしまうからだ。そして、その剣を扱う椎名は人間だと言うのに、明らかに戦い慣れた様子で、しかもルーチェスクを守るようにしか立ち回らない。


 加えて、驚いたことに自分の立ち位置や剣を振るタイミングは間違いなくこの人間に読まれていた。全く違和感がないし、逆に邪魔にもならない。


 ルーチェスクを囲むように左右にロブと椎名がつき、その前にジャルダンとラルクが剣を構える。切り込み隊長よろしく、衛兵と一緒に剣を振るっているのはセルジュだった。


「人間の女に守られるなど、魔王としては最大の屈辱だろうが」


 首謀者らしい魔族の男が片眉釣りあげながらセルジュと対峙した。

「私に対する最大の侮辱ですね」

 冷たく言い放ったセルジュに、その場の雰囲気が変わる。


「あ、セルジュ、怒っちゃったよ」

 あらかた乱闘が終わった大広間で、椎名はしゅ、と剣を一振りして余計なものを払うとさっさと剣をしまった。フリフリドレスの下に隠し持っている、ひそかに渡されたあの魔剣である。


 温厚な公爵が怒りを見せたことで、大広間の空気が一瞬にして変化する。

「藤間の花嫁には、花嫁にふさわしいようにと剣術から護身術まで教えています。花嫁になるべく、最悪、魔王様のために命をかけても良いようにです。その私の歳月を、貴方は侮辱した」

「人間界に行って、頭いかれているんじゃないのか?こいつは、人間で、しかも女だ。魔族よりも劣っているのは確かだ」

「能力がや寿命が劣っているのは確かでしょうが、魂の崇高さにおいては魔王様と並び称されるお方。何故それがわからぬ?」

「お前魔族を裏切るのかっ?」

「竹馬の友といえども、自分の信念を曲げることはない。私はこの藤間の花嫁に、終生変わらぬ忠誠をつくし、主と決めた。それが先代の望みであり、先代が望むだけの実力を兼ね備えた花嫁だからだ。それは揺らぐことはない」


 言い争いながらのセルジュの告白は、参列者に動揺を起こした。

 誇り高い公爵家が忠誠を誓うのは王家に連なる人物であることが多い。セルジュはそもそも亡くなった先代の魔王に忠誠を誓っているので今はフリー状態だ。だから代替わり後の魔王に忠誠を誓うのが順当である。


 そして、先代は椎名と会ったことはない。椎名が生まれる前に亡くなっているからだ。だが代わりに、花嫁を見届けられるセルジュに遺言を残した。

 花嫁に足りうる藤間の花嫁ならば、力になってほしいと。


 もちろん、力になってほしいという意味は様々であろうが。


 偶然とはいえ主従の契約を結ぶことになった縁もあったが、セルジュの中では椎名は、たぐいまれな花嫁だと評している。


 だから生涯の忠誠を誓った。椎名は受けてはいないが。

 魔族の「忠誠の誓い」は絶対的な意味を持つ。だからこそ、セルジュは最適解を選んだ。


「そこまで堕ちたかっ」


 首謀者は、怒りに燃えた目でセルジュをにらみつけると、剣を力任せにぶんと振り上げた。その剣の真下に、セルジュが飛び込んで体当たりすると男は広間の端へ吹き飛んだ。魔力で体重が加算された体当たりだったのか、壁にひびが入り、手にした剣が落ちるくらいの勢いだった。

 すぐに衛兵が拘束する。

「なぜ殺さないっ!!!」

 首謀者の男が声を荒げて抵抗するが、衛兵はものともせずに拘束した。

 首謀者の男は殺せ、辱めを受けるくらいなら死んでやると言い、今すぐ殺せとわめいた。しかし、自殺防止用の魔法がかかった拘束用の首輪をかけられたその男はもうどうにもできない。自由にできるのはしゃべることくらいだ。

 そんな男に目をやった椎名は、ふふん、と馬鹿にしたように笑った。

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